1519年マゼラン
年代は前後しますが1519年マゼラン出帆です。
1519年はアステカ王国征服にコルテスが失敗した年です。
キューバ総督に情報は入っていますがスペイン本国はまだ知りません。
1519年、ポルトガル人マゼランは、西回りルートで香辛料ルートを求めて、スペインのセビリアを出発した。
5隻の艦隊は1516年に技術供与された蒸気機関とスクリューを備えた帆船で切替式だった。
ここでもキーミョウデールの差し金があった。
そして、もう1隻この艦隊に随航しているのは、日本の船「まみや」であった。
当時、新大陸は東アジアの東端の巨大な半島である思われていた。
日本や琉球、明国に至る海峡がある筈だったが、なかなか発見できなかった。
そこで日本人なら現地で案内役が出来るだろうと今回の探検では末席に参加させてもらったのである。
「キーミョウデール」
この恐ろしい単語が符丁のように西欧に広がっていた。
「キーミョウデール!」
子供達の流行言葉にもなってしまった。
彼らの存在はもう既存の事実である。
宗教とは関係のない事が分かり、検邪聖省は手を引いた。
代わりに権力者が近寄ってきた。
キーミョウデールは遠ざかった。
一定の距離を保ちながら、この攻防は続いた。
1519年アステカ王国で手痛い目に遭ったスペイン。
その一報はキューバ総督の元に届いていた。
しかしこの時点で、スペイン本国はこれを知らない。
彼らの船は何事もなく大西洋を南下していった。
この「まみや」は実は補給艦であった。
当時の航海中の食事は堅パンと塩漬肉、ワインであった。
堅パンには虫さんが湧いた、いや自然に湧いたのではないが……。
塩漬肉はどんなに塩漬けにしても常温ではそんなに持たない。
ワインはエタノールの作用で腐敗は遅いが限界はある。
今回の航海では、それを全てやめて「まみや」が担当した。
日本製の缶詰がスペイン船にも持ち込まれ、好評を博した。
小麦や米などの穀物は全て「まみや」の4度の低温保管室に貯蔵された。
熱交換器が初歩である為、まだ氷点下の冷凍保管庫は存在していない。
氷が欲しい場合はその度にドライアイススノーを生成する。
ビタミン補給としてサワークラウトとジャガイモを大量に積んでいる。
「ジャガイモは根粒に毒があって食べられない」
「観賞用の花がキレイで食用には向かない」
西欧の常識であった。
「日本人は野蛮人なので平気です」
奇妙寺の僧形は笑顔でうそぶいていた。
サワークラウトは塩漬けキャベツの発酵食品でビタミンCがある。
ジャガイモにもビタミンCがあるが、過熱するとビタミンCは壊れてしまう。
しかしイモのデンプン質が成形する膜で、ビタミンCが壊れにくいのだ。
これらも低温保管室に山積みにされた。
1520年マゼラン艦隊は新大陸を南下していた。
途中の新大陸沿岸でさらに物資を補給した。
しかし探検は困難を極めた。
幾度となく反乱が起こり、1隻を失い1隻は勝手に帰国。
しかし遂に新大陸最南端にマゼラン海峡を発見する。
こうしてマゼランは太平洋の大海原に出帆する事となった。
「さあさあ、ジャガイモを茹でましたよ」
食卓にはジャガイモの茹でたのが並ぶ。
西欧出身の船乗り達は定説が邪魔して食べられない。
缶詰とサワークラウトばかり食べている。
だが日本人が美味そうに食べるので、とうとう食べ始めた。
「こりゃあいい」
「煮ても揚げてもいい」
「何にでも合うな、コレ」
毎日毎日、缶詰の肉とジャガイモ、サワークラウト。
これでも当時としては驚異的なメニューではあるのだが、隊員の目が死んできた。
見えるのは水平線と毎日の同じ食事で変化が無いためだ。
長い航海で疲弊した乗組員を活気づけたのは補給船「まみや」の”寿司”だった。
生食の習慣の無い南蛮人は、最初は嫌がったが、ネタは周りの海に無尽蔵にいたのである。
夜に明かりに寄ってきた魚群を、虎網で一網打尽にして、その場で刺身と寿司にした。
「ほーらほら、お寿司だよー」
嫌がる南蛮人にお寿司をむりやり勧める「まみや」の日本人スタッフ。
こんなに美味しいものを知らないなんて勿体ない。
食べればきっと好きになるって!
フェデリコは故郷の漁村で食べた臭い煮魚料理を思い出していた。
ギジェルモは町のハエのたかる魚市場を……。
ベラスコは田舎の叔母の魚しょうの瓶を……。
「やめ…モガッフ…グッ…あれっ?」
食べてみると生臭さがまったく無い!いやむしろ美味い!
酢の効いた寿司米がマッチしているではないか!
南蛮人はやがて全員が寿司の虜になったのである。
彼らは船乗りであったから、こういう反応だったのだ。
スペイン本土で、これやったら、ただではすまないところであった。
生食は格好のビタミン摂取であり、ビタミン不足が原因での病気は発症しなかった。
ただし「なれずし」や「くさやのひもの」は日本人だけが好んで食べ、南蛮人はとうとう口にしなかった。
1人ベラスコは田舎の叔母の魚しょうの瓶の懐かしい香りだとか言って「くさやのひもの」を好物にしていたが。
……。
大丈夫か?
また「まみや」には海水淡水化装置が装備されており、飲料水の一翼を担った。
多段フラッシュ(蒸発)装置といって海水を加熱して真水の蒸気を得、それを海水で冷却するものだ。
蒸発装置は、低温で蒸発が進行するように減圧加熱されており、低温で沸騰蒸発した。
それを海水で冷却して塩素を添加し、4度の低温保管室に貯蔵していた。
腐敗防止の為、微量の塩素を添加した「真水」である、
真水生産は日量400Lであった。
「日本の補給船はバケモノか……」
美味い料理とおいしい4度の真水の冷水……。
日本人しかできない。
日本人がまたやった。
日本人はどうしてそうなんだ。
変な畏怖がスペイン人乗組員の間に広がっていった。
1521年遂にグアム島に到達する。
ここで住民が略奪の為に近づいてきたが追い払っている。
さらに1週間後にフィリピンに到達したマゼランは、西回りルートはとんでもない距離である事を知るのである。
ここでマゼランは、セブ島の酋長らの政治的衝突に巻き込まれて、戦場で孤立するが、「まみや」の火力により救助されている。
「まみや」はここでマラッカ王国の奇妙寺マラッカ支部にフィリピンから急使を派遣して救助を要請した。
直ちに救助艦隊がマラッカ王国より出帆し、マゼラン艦隊を収容している。
その後マゼランと共に艦隊は帰国した(1522)。
マゼランは帰国後、恐るべき日本補給船の設備について報告した。
スペイン科学アカデミーは真っ青になった。
南蛮国では直ぐに真空沸騰の原理、低温保存装置の原理を突き止めた。
すぐにこれらはフリーズドライ食品の開発に向った。
ここでもキーミョウデールの差し金があった。
マゼランはポルトガル人だったので、故郷のポルトガルに帰り、やはり報告した。
ポルトガル科学アカデミーは真っ青になった。
すぐにこれらは低温保存、強いては冷蔵庫の開発に向かうのである。
ここでもキーミョウデールの差し金があった。
マゼランは再度探検への参加を勧められたが断り、余生は田舎暮らしで過ごしたという。
ここであえて言おう。
マゼラン死んでない。
次回はフィリピン攻略です。




