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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第6章
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1500年ごろ幕間:佐渡金山採掘

佐渡金山です。

1500年頃に国内で発生しました。

戦国時代に佐渡守護代は本間氏であった。


11-12世紀の今昔物語に「佐渡の国に行きて金を掘る語」というのがある。

これは金鉱石ではなく、砂金(純金)の川での採取であった。


つまり佐渡島の金の「鉱脈」については、未発見である。


 長尾景虎(16代目:1530-1578)の次代の景勝(17代目:1556-1623)が、本間氏を滅ぼして佐渡金山を手に入れている。


この時代(1500)、佐渡金山の金の鉱脈は手付かずという事になる。


 佐渡島で、川で砂金が採れる事は採れたが、まだ大規模な採掘はされていなかった。

ここに3人の山師が入り、、金鉱石を発見、鑑定した。


佐渡島の金鉱石は石英の白い鉱石に黒い縞模様で「銀黒帯」と呼ばれる。

黒い部分は酸化した銀(輝銀鉱)で、その部分に金が賦存する。

肉眼で見て、キラキラ光っている訳ではなかった。


よく似た鉱物に黄鉄鉱や黄銅鉱がある。

これはすりつぶして確かめるしかなかった。


鉱山を開いても無駄なく金がとれそうだ。


この山師の1人が奇妙寺の息のかかった者(素っ破)であった。

正確には奇妙寺の協力者だった丁翁の(ゆかり)の者である。

 彼が山陰地方を、タングステン鉱石を求めて徘徊していた時に、知り合った山師の子孫だ。


1500年武田海軍の軍艦が佐渡島沖に現れた。


駿河から津軽海峡経由でやってきたのだった。

これはすぐに越後国主の知る所となったが、越後には海軍が無い。

 商業船を武装した、にわか仕立ての軍船を派遣したが、やんわりと追い返されている。


 金の鉱脈の発見についての説明を武田側から受け、佐渡本間氏は真っ赤になり、やがて真っ青になった。

佐渡本間氏は裕福になるだろう、だがしかし越後の国主が黙ってはいない。


越後は長尾為景(1486-1543)の時代である。


 すぐに佐渡の金山目当てに襲いかかってくる、佐渡本間氏は根絶やしになるだろう。

だが現在は武田の水軍がいる限り、守護は万全である。


「1年間の採掘に限り許す」


結局、佐渡本間氏は1年契約で武田に採掘を許した。

当時の技術では1年の手掘りで採掘出来る量はたかが知れていた。

また最新の南蛮絞りでさえ、木炭での熱量で採れる金は微量であった。


佐渡金山を効率的に掘るにはどうすればよいか?


それには地下の鉱脈の位置と流れを見るしかない。

かつては露頭の調査(地脈と噴出物、周囲の状況)から匠が正確な推測をした。

これを基に試掘を重ねて試掘坑を掘り、それに従って本坑を掘る。


だが奇妙寺はもっと直接的で可視化出来る最新機器を用意していた。

超音波地下探査装置である。

5-10-100khz程度のサイクルの人工地震で地下を見る機械だ。


見るといっても、解析して3DCG化するプロセッサーもモニターもない。


爆薬で人工地震を起こす。

揺れを炭を塗った(薄い金属板を巻いた)円柱に針で記録する。

1回ごとに金属板を取り替える。


この記録を回転転写で紙に転写する。


鉄芯で書かれた深度と位置毎のギザギザの線をみるだけだ。

だがそれを数百枚合わせると地下の地図が完成する。


ローテクだが、この地下深度図と匠たちの腕を合わせて坑道を掘ればいい。

鉱脈とは「岩石の割れ目に入り込んでいる板状の鉱床」のことだ。

これを追い求めて坑道を掘り進めてゆくこととなる。


期間は1年。すぐに取りかからねばならない。


とりあえず匠たちが地上から地質地脈を地表踏査(露頭調査)する。

それを基に5万分の1、1万分の1の地上地質分布図を作成する。

次にその地図を基にボーリングによる現地調査だ。


はじめは深さ100mぐらいが良いだろうという事になった。

恐れていたのは古生層の有無であった。


古生層は古い日本の地層で、古いゆえ何度も地殻変動を受け断層が多い。

脆く崩れやすい上に断層岩盤の割れ目が多く湧水の浸透を許す。

鉱山でこれほど好ましくない地層も無かった。


ボーリングは単純な繰り返し作業である。

 探査深度に達したら、パイプを全部抜き出して、先端コアに詰まった試料を抜き出す。

それの繰り返しだ。


試掘深度が深くなればパイプは何本も継ぎ足して掘削を進める。

掘っては抜き、掘っては抜きの繰り返しになるのだ。

古生層は検出されなかった。


超音波地下探査装置がその上を走査してゆく。

数千枚のギザギザ線から鉱脈の規模、深度と場所がわかった。

これは試掘ボーリングの試料検査の結果とよく一致していた。


いよいよ採掘だが、その前に坑口切取工事等の土木工事が必要だ。

斜面(等高線)と坑口トンネルの関係で偏圧が作用し崩壊の恐れもある。

盛土工事や地表水排除工が必要になる場合もあるのだ。


今回は斜面直交型坑口となり理想的な坑口であった。

 コンプレッサーや巻上機等の機械座、ずりびん(ずり置場)等の設置工事も着手した。


いよいよ採掘だが、その前に飯場の設営だ。

佐渡島は暖流の対馬海流の影響で実は温暖な気候であった。

 ただし北西方向からの季節風が厳しく、積雪がある大佐渡山地と積雪の少ない小佐渡山地に分かれた。

冬は暖房は火災に直結する。

ストーブや火鉢などの火を使う暖房を使わない事にした。


だが、寒いのを我慢して下さいというのは酷である。


そこで奉行所のある中心地から放射状に街が広がる地形を利用する事にした。

全館集中暖房(温水セントラルヒーティング)である。


 奉行所に給湯器熱源装置(ボイラー)を設置して、温水を各家々にあるラジエーターに送り届けるのだ。


これには家屋に断熱が必要だった。

和風家屋は空間に無駄が多く、ラジエーターの循環暖房に向いていない。

この為に洋風建築で窓ガラスが入った家屋が建てられた。


地元の人間のみならず、鉱山関係者はぶったまげである。

「へ……えっ、これ、なにっあ」

「暖かい……、ウソだろ?」

フンドシ一丁で通年過ごす強者もいる坑夫達も顔面蒼白である。

こんな世界があったのか……。


さあて。

いよいよ採掘だ。


奇妙寺100年の採掘技術はバケモノだった。


佐渡金山の金を徹底的に掘り尽くす。

 圧搾空気による特殊岩盤破砕穿孔装置(ドリルジャンボ)、ダイナマイト、蒸気機関による揚水装置で3交代24時間体制である。

金山の埋蔵量はおよそ金は80t、銀は2300tだ。

金鉱石換算16~80万t、坑道総距離400km、最深部600m。


坑道が深くなるにつれ、蒸気機関は排煙の問題で使えなくなる。

その為の送風機と排煙機を用意してある。

地上部に巨大なタービン筒施設を設けて、空気を圧搾して地下に送る。

その空気で内燃機関の燃料を燃焼して動力を得る。

圧搾空気の一部はアンモニア媒体の空気冷却装置に導かれた。

これは坑道に冷却した新鮮な外気を提供している(切羽のみ、他は陰圧)。


坑道の切羽(掘進先)はさらに深部にある。

掘削最先端である。


ここではドリルジャンボに必要な動力機関は使えない。

内燃機関しかなく電動モーターはまだ非力な時代だ。

有毒有害ガスの湧出、湧水(ゆうすい)の最前線は火気厳禁である。

電球が既にあるため、照明の炎の誘爆の心配は無い。

 金鉱石は鉱脈に沿ってドリルジャンボで穿孔、ダイナマイトで発破をかけ、採取される。


ここでは圧搾空気のボンベを使ってドリルジャンボの動力にしている。

フルチャージでの作動時間は20分だ。

これを交換しながら使い続ける塩梅(あんばい)である。


ダッダッダッ。

キュルキュルキュルッ。

……。

ドッカアアァーン、バラバラバラッ


坑夫たちは働きながらでも呆然自失である。

 ノミでコンコンやりながら、鉱脈に沿って這いつくばりながら、作業していたのと違う!

1日8cmでも掘れれば上出来だった。

1日20m(20000cm)も掘ってる、しかも機械が掘ってる!

おかしいだろ、掘削速度2500倍だぞ……。


坑内通気は基本的に吸出し式である(主要坑道)。

これは坑内に湧出する有毒有害ガスを一刻も早く坑外に排出するためだ。

その為、送風以上に強力な排気施設が設けられ、坑内を若干陰圧にしてある。


 湧水は渦巻ポンプ(毎分1トン、揚程60m)で、切場から第一次小貯水槽の間に設け、3段中継ぎして揚水した(揚程180m)。

 第一次小貯水槽は泥や砂等の遺物を沈殿させる沈殿槽の役目も果たし、ポンプの寿命を延ばした。

 次が大型ポンプ(毎分4トン、揚程400m)で、これで一気に湧き水は坑外に排出された.


……。


誰も手廻しポンプを触ってない!

機械だ、機械が揚水している!

アルキメデスポンプで毎分1リットルが限界だぞ。

毎分1000リットルはおかしいだろ、揚水速度1000倍だぞ!


金鉱石は石英脈に黒い筋状の縞模様として現れ、銀を含む黄鉄鉱と黄銅鉱である。

1トンにつき200g以上の金を含む超高純度の金鉱石だった。

採掘された鉱石は鉱山内の砕石所で粉々の砕石に粉砕される。

粉砕された金鉱石はバケットに乗って地上に排出される。


そのまま私設鉄道で隣接する精錬所に運び込まれる。

そして溶出である(自溶炉)。

鉄分の除去の為に(鉄と反応して珪酸鉄となる)珪酸鉱を入れる。

 硫黄は高熱で燃焼(酸化)し酸化硫黄ガスとして放出する為、酸素を転炉で吹き込み燃焼させる。

これらの工程で(転炉で)鉄と硫黄を除去し、99%の粗銅(金と銀含む)にする。

次に湿式塩化法(湿式精錬)で


「ちょちょっと、コレ何あっ」


現場でその工程を見ている現地人たちは夢でも見ているようだった。


ようやく南蛮絞りを体得したばかりの若い鍛冶部(かぬちべ)は茫然自失である。


南蛮絞りとは、炭と骨灰を使った金の精錬法で、炭の熱で金を溶出する方法だ。

真っ赤に焼けた炭の火力でじっくりと金を溶出させるのだ。

その丸一日掛かる工程がここでは20分しか掛からないのだ。

炉から流れ出る溶解した金・銀合金の量は狂っていた。熱量が異常だ!

こんなに採れるなんてどうかしてる!!

「へ…へっ」

「ちょ、おま」

頭がどうにかなりそうだった。


信濃の山猿になにが出来る!などと思い上がっていた。

止めなければ!今すぐ止めなければ!

佐渡金山は金脈が枯渇してしまう!


「どうかしましたか~」

ぬーっと奇妙寺の僧形の鳥羽瑠(トバル)技師長が工場の装置の影の中から現れた。

「おぐわたあぁっ!」


変だ。妖しすぎる。


工場は照明も暗かったからだが、登場の仕方が変だ。


「あ、いや、あのその」と若い鍛冶部。

「しまったと思ってらっしゃいますな~」

「なんとかして止めなければとお考えですかな~」


相手の心を見透かすように僧形はにっこりと微笑んだ。

その目は妖しく光っているようにも見えたのだった。


その目を見ているとなんだか変な気持ちになる。

もうどうでもいい、何でもやってくれ。

これも時代の流れなのだろう。

そう自分を納得させて、若い鍛冶部は去って行った。


ここの金鉱の事はすぐに日本中に知れ渡るだろう。

特に越後の国主は素っ破を派遣してすぐ事情を知るだろう。

そうなると、越後の国主が乗り出してくる。

佐渡の守護代を討伐と称して滅ぼして、金山を独占するだろう。


現在は武田水軍の駿河軍第七艦隊が佐渡島を守護しているから手が出せない。

しかし1年後、契約が終結して艦隊が撤退したらどうなるか?


1年後、契約は延長と決まった。


金山には続々と鉱夫が集まり始めた。日当と鉱山環境の良さからだった。

作業員の親玉を「号令」という。

末端の作業員を纏め上げ、難しい坑道を何本も掘った強者(つわもの)の呼称だ。

その下に「号令捕」「坑夫」……と続く。


 末端の作業員は、地元漁民だったり農夫だったりで、賃金に釣られて雇用されていた。

彼らを能力や人柄で分けて現場に送り込むのが号令の仕事だった。

奇妙寺の異様な技術力により、技能はすでに関係が無くなっていた。

やり方さえ覚えれば、あとは機械がやってくれる。


鉱夫は日当をパーッと使ったので地元も潤った。

炭鉱町では時々祭りが開かれ、親睦が図られた。

しかし荒くれ者が多く、犯罪が多発したのもまた事実であった。

だがとりあえず、何もかもが順調だった。


金は延棒に変えられた。

陸路では運べない。

甲斐国に運ぶには越後+北信濃の領地が立ちはだかっている。

越後は内乱が収まってはまた起こる、お家騒動の真っ最中だった。


隙に付け入る事も出来たが、今は刺激したくない。


金塊は武田水軍が津軽海峡経由で駿河の清水軍港まで輸送した。

海賊が現れては消えた。襲ってこないのは圧倒的火力の差が原因だった。


1年後、契約は延長と決まった。

1年後、契約は延長と決まった。

……。


20数年が経過した。


1520年。


さすがに金の産出は100分の1以下に落ち込んでいた。

手掘りで400年間もった佐渡金山も、機械化採掘で20年間で掘り尽くした。


だが、まだだ、まだ終わらない。


1tあたり2gの金でも普通の金鉱石の含有量に相当する。

それだけ佐渡金山の含有量が異常だったという事だ。


1530年長尾景虎が越後に爆誕するころには特に記するところがなくなっていた。

1578年長尾景虎が越後で病没するころにも特に記するところがなにもなかった。


 地元の守護代本間氏は、金の力で越後の内乱(1536)に乗じて、越後に領地を確保していた。

あごがれの本土に領地を得るために本間氏はありったけの金をつぎ込んでいた。

だがそれがいけなかった。目をつけられたのだった。


1589年景勝が越後を平定した後に恐れていた佐渡討伐が始まった。

武田水軍は既に撤退しており、警備は非常に手薄だった。


また本間家も内部の意見が分裂しており、景勝に味方するかで割れていた。

結局、佐渡の本間家は一部は反旗を翻し景勝に味方して越後についた。

一部は莫大な金の延棒と共に船で逃げ、武田水軍に救出され、亡命に至っている。


佐渡本間家はここに滅んだ。


景勝は佐渡金山を手に入れたが既に枯渇しており、1年後に閉山している。

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