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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第6章
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1500-1510年マラッカ王国000(経緯と発端)

日本人がマラッカ王国に進出します。

弗朗はマラッカ王国の王都マラッカの片隅に日本人町を築く事にした。

 マラッカはイスラム教徒の町ではあるが、港市国家であり交易の町として栄えている。

つまりはイスラム教徒以外の「異教徒」も大目に見られていた。


ここで少し時間を遡り、明国、永楽帝の時代の頃に戻りたい(1360-1424)。

日本は室町時代、足利義満の時代である(1358-1408)。

当時の明国、永楽帝は東西アジア、アラブの朝貢(ちょうこう)交易に注力していた。

インドからアラブにかけての「海のシルクロード」の航路開発のためだ。

特にマラッカ王国は、地政学的に重要な補給・通商の中継母港となる場所である。

是非とも明国の朝貢国の列に加えたい重要な港市国家であった。


1400年頃、マラッカ王国はアユタヤ王朝(現在のタイ王国)の朝貢に苦しんでいた。

1402年に永楽帝が明の皇帝に即位。

1403年に永楽帝は早速、補給と通商の為にマラッカに公的な使者を送る。

1405年に永楽帝は鄭和艦隊を派遣。

これにより明国の朝貢国となり、明に擁護される(防衛協定)。

 鄭和艦隊は総数62隻、乗員総数28500名、旗艦は8000t級という超ド級大艦隊であった。


 これには北のアユタヤ王朝、南のマジャパヒト王国もSAYA KAGUM(びっくり)である。


 明国にとって、マラッカ王国は東西交易の十字路であり、季節風の風を待つ最重要海洋基地であった。

インドの綿、マラッカの香辛料、スマトラの金、胡椒、ボルネオの白檀・紫檀・香木、中国の絹、茶。


ありとあらゆる高級品、珍品、貴品が交易され、流通されていた。

交易船は王国に入港税を支払い、水や食糧を補給品として購入した。

1411年マラッカ王国の王パラメスワラは明王朝を表敬訪問している。


1414年パラメスワラ国王は「イスラム教」を国教とする事を宣言。


当時の同盟国だった明国の大艦隊の司令官鄭和がイスラム教徒だった事。

アラブやインドの交易船の船長及び乗組員たちがイスラム教徒だった事。

彼らから感化されたのではないかと言われている。


以後、国王は統治者(スルタン)を名乗り、イスラム教国となるのである。

この結果、狙い通り西方のアラブ商人たちの取り込みに成功している。

 さらに中国回教徒も、イスラム建築の設計と施工を持ち込み、巨大なモスク建築に従事した。


 ブキッチナという地名(マレー語のBukit(丘)+China(中国))にも中国回教徒の影響力の強さが伺われる。


 こうして西方からも、東方からも、交易と流通がなされ、マラッカ王国はさらに栄えた。


1424年永楽帝は崩御した。

1426年明国はマラッカ王国に永楽帝の子孫「リーポー妃」を輿入れしている。

これにより明国・マラッカ王国同盟は血縁によって、さらに強固になったのだ。


日本はマラッカに親書を送った事はない。

さらに日本は戦国時代で、統一政府を逸している状態である。

ここに日本が今(1480)から食い込むのは並大抵のことではない。


80年間の明国の蓄積に対して、たった1人の決死隊だ!

ええい、当たって砕けろ!

弗朗は決断した。


弗朗は外科医の心得がある医者でもあった。

当時の水準を遥かに越える奇妙寺の医療を見せつければ、いかに国王とて。


「やめなされ……」

日本語だ!だっ、だれだ!あれはだれだ!

振り向くと街角の片隅に1人の物乞いが座っていた。

「あんたの目に必死の決意の色が見えたでの……」

「あなたは?」

「名前はヤジロウとでもいっておこうか、やめなされ」

……。

話を聞いてみるといきさつが分かってきた。


 医者になるには、まず著名な家系か、その家系の子孫の紹介状を持ったものなければならない。

勿論、今、医者であるものはその資格を有している。


思い付いて誰でも出来るものではないのだ。


高い教養と資質があり、医学や神学、哲学と数学、物理、天文、政治学を修士したもの。

それが医学や教育、政治の道を選び、例えば医学を志せば医者になるのだ。

今でいう大学の学士、修士、博士号のようなものだ。


それはこの時代において、至極もっともな真っ当な考え方だった。

弗朗は混血の捨て子だった。

父親はわからない。家系は不明だ。

紹介状はもちろん無い。

奇妙寺で受けた授業では優等生だった。

だがそれだけでは、ここではダメなのだ。


 という訳で、弗朗はヤジロウという謎の日本人の紹介でカトリック教会を紹介された。

ヤジロウは日本人カトリックだったのだ。

弗朗はそのカトリック信者の子供たちのの家庭教師になる事を薦められた。


弗朗の豊富な知識と技術をヤジロウは見抜いていた。


あっという間に、優秀な家庭教師の噂が広まった。

やがて、アラブやインド系の子供も見るようになった。

彼らは数学が大好き、物理や化学に目がなかった。

特に科学実験に目を輝かせ、工作技術に熱中した。


弗朗はついに自分の学習塾を持つに至った。

多くの門下生を持ち、宗教を問わず(教室・食堂は別)、教鞭を執った。

やがて門下生も教師となり、生徒を教えるようになった。

この躍進はやがて大きな結果をもたらす筈である。


紆余曲折の2年があっという間に過ぎ去った。

そうして遂にアラブ系の有力者の紹介状を手にした弗朗。


1480年、当時の支配者(スルタン)マームド・シャー(1488-1511)はまだ8歳であった。

だがその2年後、10歳のスルタンの家庭教師に弗朗の姿があった。


10年後の1490年、日本人町は大きく拡大していた。

奇妙寺は日本人のチームを多数派遣してきて テコ入れを始めていた。

日本から季節風に逆らって帆の無い船がぞくぞくと入港し始めた。

機帆船である。


おかしいぞ?

日本は貿易後進国、程度は低いはずだ。

だが蒸気機関だと?なんだそれ?スクリューとは何だ?どうやって航行するのだ?


日本から輸入される医療品や医療器具も異質だった。

抗生物質や注射器は南蛮にもないものだ。


おかしいぞ?

日本は貿易後進国、文化は低いはずだ。

だがこの注射器はどうだ、顕微鏡はどうだ、抗生物質はどうだ!


さらにライフリングが施された銃砲を見るに至っては見識は完全に変わった。


おかしいぞ?

日本は貿易後進国、技術は低いはずだ。

どうやって中ぐりしているのだ、どうやってライフリングするのだ?


 そういえば本国ではキーミョウデールとかいう謎の異教徒集団が暗躍していると聞く。

勝手に庶民の間で技術提供や衛生環境改善や医療奉仕をしているらしい。


キーミョウデール?

奇妙寺?


とうとう中には奇妙寺に入信する現地人やポルトガル人、インド人まで出始めた。

技術を習得して母国に帰って、一旗揚げようという魂胆である。

その中には異国のスパイももちろんいた。

設計図を模写し、情報を聞き出し、製造工程表を閲覧した。

理屈はわかった。


だが工作方法が分かっても、工作機械も工具も日本にしか無いのだ。

スパイはさらに設計図を読み、技術を学び、医療を施す。

さらにさらに学ぶ。


それは奇妙寺の思想、思考形態を学ぶのと同じ。

まんまと奇妙寺の思惑に染まっていったのだった。


スパイの母国は決して地上の楽園ではなかった。

母国の容赦ない圧政、いわれのない階級差別、奴隷、捕虜、人質。

そういう封建社会から弾き出されてきて、スパイになった者が多かった。


だがここにはそれが無い!

平等で平穏で自由だ。

見せかけかもしれない。


だがここにはあるのだ。


スパイ達はゆっくりと奇妙寺の方針、方向性に染まっていった。

 彼らが母国に帰る頃には、いつの間にか、奇妙寺の僧形となり、間諜となっていた。

二重スパイである。

特にイスラム圏に、多くの奇妙寺の僧形を、現地人で構成して派遣した。


当時、世界の半分と称されるまでに繁栄していたイスファハーン。

 サファヴィー朝の創始者イスマーイール1世となんとしても親睦を深め、友好関係を築きたい。

朝貢関係ではなく、対等な国家としてである。

それにはまず強大な国家である事を見せつけなければならなかった。

そのチャンスはまもなく巡ってくる筈である。


1480年より20年間に亘って、マラッカ王国との信頼関係を築いてきた奇妙寺。

こうして1500年までに日本-マラッカ間の通商関係は出来上がっていた。

 1500年、マラッカには強大な武器を擁したポルトガル艦隊が西から押し寄せているとの情報が入っていた。

次回「1500-1510年マラッカ王国001」。

ついにポルトガルと直接対決です。

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