1470-1510年蒸気機関
蒸気機関と五畜の禁についてです。
1470-1480年、多くの僧形が蒸気圧の可能性に気付いてはいた。
沸騰するとやかんの蓋が持ち上がり、鍋が吹きこぼれる。
誰でも分かる事だ。
だが誰もどうしていいか、どうやって具体的に蒸気を利用するかの妙案がなかった。
高圧蒸気を一体どうやって水車のような動力に出来るのか?
「ギリシャ時代にヘロ……」
「いや、あれはいい、他を考えよう」
あっさり否定されてしまった……。
最初に考えられた蒸気機関は蒸気-大気の圧力差で動く機関だった。
吸い物の蓋が汁が冷えると取れなくなるアレである。
暖めてサッと冷やすとキュッとなる。
早速、鉄釜を強熱して、冷水をぶっかけてキュッとした。
また、鉄釜を強熱して、冷水をぶっかけてキュッとした。
・
・
・
……加熱と冷却にいちいち時間が掛かりすぎる。
じゃあ蒸気だけ別容器に導いて、そこで冷やすといいんじゃね?
加熱釜から蒸気が導かれて、別容器で加熱と冷却が繰り返された。
こうすれば、常に熱い蒸気が得られる。
この別容器はコンデンサー(復水器)と呼ばれ、一応の成果はあった。
……。
「あああああっ」
この時、1人の僧形が「あ」で叫び始めた!
「あーああ、あっあ、あ、あ」
回りの僧形は呆然自失である。
「だ、だめだぁ。ナニ言ってるかさっぱり分からりるれ」
「いや、奇妙寺特有のヒョーいってヤツだ、書き留めよう!」
「最も近い言葉で推測するんだ!」
「う~ん、もう大気圧の力を、真空との差で取り出すの限界じゃね?」
「ボイラーのでっかい蒸気圧で動くピストン作ってさ、その圧力で動力機関作ろうぜ?」
「なんだ、たいしたことないじゃん」
「もっと凄い事、思いついたんかと思った」
「いや、みんなもそう思ってんだけどさ」と僧形たち。
「ピストン動かすのに隙間が必要で、隙間があると蒸気が漏れちゃう」
「でも隙間がないとピストンは動かない、じゃあ隙間を作ると蒸気が漏れちゃう」
・
・
・
ナニも思い付かない……。
3人寄れば、文殊の知恵。
こういう時はあれだ。
奇妙寺名物「頭を寄せ合って考える」だ。
「せーのおっ」
ゴツ、ガツ、ドカンッ!
「おわあいたあ~っ」「ひいい~」「無理い~」
頭を抱える僧形たち、そりゃそうだ。
「おいダイジョウブか瓦特!」
一人の僧形が起き上がってこない、ピクピクしている。
「ひ……」
「ひらめいたああぁっ」
「これだああぁっ」
起き上がれない僧形は、横たわって叫んだ。
ピストンにリングを嵌める。
ピストンリングだ!
第1のリング:ガスのシール。密閉を維持するシール。
第2のリング:ガスのシール補助と潤滑油の油膜厚のコントロールをするシール。
第3のリング:潤滑油を掻き落とす役目のリング。必要最小限の油以外を落とすシール。
とうとう漏れないピストントシリンダーが完成した。
箱形ふいごでタヌキの皮を張って、なんとか漏れを食い止めようと必死だった日々。
フッコッシュッコ、フッコッシュッコ。
明らかに空気が漏れている。
だが、どうしようもなかった無力な日々。
技術僧形たちはみんな、泣いていた。
これが分水嶺だったのだ。
気圧も水圧も油圧も全部、駆動系に組み込まれた。
特に蒸気機関は急激に進化した。
1)ボイラーで強熱した水蒸気の圧力ででピストンを動かす。
2)動かした蒸気はコンデンサー(復水器)で冷やし、ボイラーに戻す。
このサイクルの繰り返しが蒸気機関だ。
待ってましたとばかりに、畜力機関、水力機関が蒸気機関に移行した。
動力は移動できる形式にバージョンアップしたのである。
蒸気機関の変わり種を紹介しよう。
斜坂クランク機構(スワッシュプレート機構)だ。
出力軸に傾斜させた円盤(斜坂)を取り付ける。
シュー(shoe)を介してピストンに接続する。
ピストンの往復運動は直接、出力軸の回転運動になる。
構造は複雑で、バランスが難しいが、小型化に向いている。
馬車鉄道は蒸気機関車鉄道となった。
帆船はスクリューを持つ機帆船になった。
水車を利用した工業は、蒸気を利用した工業となった。
馬力も桁が違った。
馬車鉄道は馬1頭が牽引する1馬力だ。
蒸気機関車は最高2000馬力の化け物が現れた。
最高速度200k/h越え、表定速度160k/hのモンスターだ。
甲斐国から駿河国の清水港まで30分の時間距離だ。
技術僧形A「設計製造していて何だが、コイツはぶったまげた」
技術僧形B「近隣の農家から苦情がきています」
「ニワトリが卵を生まなくなりました、何とかして下さい」
「牛の乳が出なくなりました、何とかして下さい」
技術僧形AB「う~む」
「五畜の禁とは何だったのか?」
五畜の禁とは肉食を忌む習慣だ。
675年に天武天皇は「肉食禁止令の詔」を出している。
731年には聖武天皇が禁酒、屠殺の禁止令を出している。
741年には牛馬の屠殺禁止令が、752年は丸1年間殺生禁止令が出された。
758年には天皇への献上品だった猪、鹿肉を永久停止する詔が出された。
日本の神道にある死穢,血穢は仏教の殺生禁止と結びついた。
穢れは古代日本の殯屋の風習にまで遡る。
喪主が遺体と共に一定期間過ごす風習である。
現代日本でも穢れの風習は残っている。
<喪中に付き年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げます>
喪中欠礼の風習である。
死を追悼し、生活を慎み、魂を鎮める風習だ。
戦国時代になり、武士は日常的に肉を食べ始めた。
武器武具製造の為に、獣を殺し、皮をなめす技術が発達した。
だが権力を手にすれば、公家とも必然的に接近する。
公家社会の共通認識を無下には出来ないのだ。
武家社会にも肉食禁止が広まり始めた。
1203年鎌倉幕府は狩猟禁止令を発布する。
一方、下層階級の庶民の間では「隠れ食い」が横行していた。
それに宗教が目を付けたのだった。
新仏教派の浄土宗、法華教は肉を食っても救われると説いた。
「殺生は悪だが、悪人こそ救われて、極楽に行くべきだ」
庶民を取り込み、派閥を広げようと画策した。
旧仏教派の真言と天台は殺生は地獄に落ちると説いた。
「殺生は悪で、悪人は地獄に落ちるべきだ」
幕府はこちら側である、勝てる道理がなかった。
そして、どちらも認識は「殺生は悪」なのだ。
こうして全国には殺生堕地獄観が広まっていった。
こうした矢先に現れたのが戦国時代のキリスト教宣教師だ。
布教と共に牛肉食の習慣も広まっていった。
それに伴って、畜産、酪農、放牧も微々たるモノながら始まった。
これはいままでにない動きである。
食肉が許されるか、許されざる行為か。
戦国時代の今は、そのどちらの思想も拮抗している時代である。
甲斐国の線路の近隣の農家は畜産業を営んでいた。
奇妙寺僧形としては蒸気機関車の轟音はなすすべがなかった。
「なすすべがないです」
奇妙寺僧形は正直に答えた。
「牛が今後流産するかもしれません」
「畜舎の位置は把握しています」
「速度を落として、警笛は控えます」
「正直に答えてくれてありがとう」
畜産業者から返事が来た。
蒸気機関は莫大な馬力を産業工業に提供する。
だが庶民に苦渋の選択を迫る場合もあった。
蒸気機関は秘匿された。
これらは海外への喧伝はされなかった。
甲斐国には南蛮人はいない。
商人の吹聴は堺や博多の港でされただろう。
「富士山の向こうの「山だし」に何が出来る」
「堺や博多が劣るとでも?」
相手にされなかった。
機帆船が海上で目撃される事もあった。
「炊事の竈の煙でございます」
「燃料の石炭の質が悪うございます」
こう言って説明した。
特に怪しむ者はいなかった。
蒸気機関が異能なテクノロジー過ぎるからだ。
これは奇妙寺の思惑通りであった。
奇妙寺の諜報機関は海外の不審な動きを捉えていた。
ポルトガル人に知られるのは不味い。
マラッカに防衛線を引くまでは。
次回は帆船です。




