1470-1510年山岳工法ナトム(NATM)
NATM工法とアンブレラ工法です。
トンネル坑口と斜面の関係について書いています。
甲斐国は山国であった。
山が流通の邪魔をしており、それゆえの天然の要害でもあった。
山や峠を乗り切るには、登山道のような街道しかなかった。
登山道とは、足を踏み外したら、沢などに真っ逆さまな危険な道だ。
足場も悪く、砕石がゴロゴロしているガレ場、ザレ場もある。
湿った落ち葉で滑りやすい急斜面の林道もある。
そういった危険な道を行商人はウマに荷物を載せ、自分も担いで通るのだ。
時々、畜獣が足を滑らせ、谷間に落下するので、「ウマ落とし」の悪名をもつ峠もあった。
なるほど、谷底を見ると、白い骨が折り重なり、最近落ちた死骸も見える。
こういうのはいけない。
奇妙寺土木事業部は、総力を挙げて、改善策に乗り出した。
甲斐国は山国なので土木は絶対に必要である。
まずは測量+地質調査、そして掘削だ。
日本列島の骨格は付加体で出来ている。
付加体とは大陸プレートの衝突で出来る堆積物だ。
火山活動や造山現象の影響で、地層の変化が激しすぎる。
言ってしまえば「トンネル工事には向かない」地層である。
だが根性と精神力で……じゃなくて知恵と技術で挑戦だ。
トンネル(隧道)を掘って掘って掘りまくる!
1444年ダイナマイトが出来た瞬間にトンネル工事は一変した。
もはや手掘りで掘ってる場合ではない。
削行して、ダイナマイトで掘り進むのだ!
山に対する隧道の掘削にはクセがある。
また、地質によっても、掘削は違った。
なんでもダイナマイトでぶっ飛ばせばいいものでもなかった。
坑口と山の斜面の関係。
①斜面に垂直な場合。
等高線と坑口が垂直な場合は偏圧は掛からない。
②斜面に斜交した場合。
等高線と坑口が斜交した合は偏圧が作用する。
処置が必要な場合が多く、安定の為に、谷側に押さえ盛り土をする。
③沢地形に坑口を設置した場合
水理が悪く、地層の弱線が多い。
その代わり、トンネル全長が短く出来、工費が安い。
④尾根の中心に坑口を設定した場合。
比較的安定した地質で構成されている。
尾根の山側に岩盤地すべりが発生している場合が多い。
施工前に地質の綿密な調査が必要だ。
⑤斜面や等高線にほぼ平行な場合。
地山からの偏圧を受け続ける宿命にあるトンネル。
出来れば避けたいトンネルである。
皮肉な事に日本の道路事情はこのタイプが結構多い。
実際の高速道路は旧来の街道に沿って敷設される為、山沿いの施工となる。
その場合どうしてもトンネルは⑤の場合になる。
坑口は谷側に盛土擁壁工を施す。
図は現代のN-S.P.Cウォール工法の一例である。
山すそに沿って街道が通っていた為に、⑤の場合が多いのだ。
地山のクセは列挙にいとまが無い。
地層の向き(流れ盤と受け盤)。
地山挙動:断層、破砕帯、節理など。
無数の無理難題が積み上がっていた。
ここでは岩山及び砂礫僧+粘土層にトンネルを掘削する方法を2つ紹介する。
■施工工程ナトム(NATM)。
地山の構造は、大小の岩石の積み重なりだ。
これにトンネルを掘ると、凄まじい地圧を受けてしまう。
そこで長いロックボルトを打設して岩石を捕まえる。
紫の部分がロックボルトで捕まえた岩石。
青の部分が紫の岩石によって動けなくなった部分だ。
この紫と青の部分がちょうどアーチ構造のように地圧を分散する。
これはローマ時代の水道橋で使われたアーチ形状の応用だ。
このようにアーチを組んで、地力を分散し、補強したのと同じ効果がある。
岩山の地圧まで利用した画期的工法だ。
■地山が砂礫僧や粘土層の場合はNATMは使えない。
ロックボルトが捕まえる岩石がないからだ。
この場合はアンブレラ工法を使ってトンネル切羽や天端の崩落を防止する。
①トンネル掘削方向に傘の骨みたいにパイプを打設する。
地層を透明にすると掘削方向に傘の骨のように広がっているのが分かる。
これにミルクセメントを高圧で注入する。
これが地山に噴出し、浸透して半径50cmの地質を凝固させて改質する。
正面から見るとトンネル天端にセメントで改質された部分が屋根のように覆っているのが分かる。
これを繰り返しながら掘削を進めていく。
強固な鉄筋屋根付きの掘削になり、軟弱な地質でも崩落してこない。
{注:セメントは1530年具体という僧形が発明するまで存在しない}
{ここでは理論だけで実際の施工は先の話になる}
こうしたあらゆる難関を乗り越え、トンネル工事は進められた。
もはや戦争奴隷を使った強制労働の時代ではなかった。
電球が坑道を明るく照らす。
送風装置が坑道の空気を吸い出す(坑内は陰圧)。
採石搬出はケーブルカーを使う。
湧水ポンプが常に排水を行っている。
圧搾空気を採用した削岩機とダイナマイト。
そりゃあ、切羽(掘削最先端)は粉塵まみれのひどい現場ではある。
「やまはね」という突発的な盤圧現象が起きる時もある。
現在でもこれは予知不能であり、最も恐れられている鉱山深部災害の1つである。
<岩石力学では研究が続けられている>
もう寿命が2年しかもたない極限過酷な死に場所ではない。
危険に対して、相応な処置がとられた、労働現場であった。
掘削作業は戦時捕虜の強制労働から、危険手当の出る高給労働へ大きく変わった。
味をしめた諏訪や北信濃からの出稼ぎ労働者が殺到した。
検地帳や律令で定められた土地からは離れられない筈が……。
戦国時代は慣習法に頼っていた一面がある。
こうして国境以外の甲斐国周辺は、トンネルで繋がった。
もう山や峠の登山道みたいな危険道を通る必要はない。
他国から行商に来ていた商人は呆れていた。
「なんだよコレ、おかしいだろ」
山からトンネルを通って馬車鉄道が姿をあらわした。
馬追いが必死になって峠の危険道を抜けるのが戦国の行商である。
塩尻という宿場町がある(現塩尻市)。
その名の通り、もうこれ以上は塩の商いには行けないという意味だ。
だが今や、そこから新しい馬車鉄道の路線が敷かれている。
ウマが大八車を引いてるぐらいは誰でも理解できる。
だが、甲斐国の交通事情は、今や戦国時代の常識を振り切っていた。
馬追いも今や立派な馭者である。
その顔には笑顔が浮かんでいた。
以前は危険道を理由に、値段を釣り上げていた雲助まがいの人足だった。
だが流通を多くする事で、儲けが何倍にもなる事に気付き、いまや馬車私鉄の馭者となったのだ。
荷物運搬はもちろん旅客も運ぶため(貨客混載)、その儲けはまた跳ね上がった。
初期投資は奇妙寺が斡旋している。馬車鉄道の敷設は奇妙寺の融資で賄った。
それは通行料金に微量だが、上乗せされている。
便数を増やし、馬車を連結すれば、もっとっもっと儲けが転がり込むぞ!
それゆえに馭者の顔には笑顔が浮かんでいたのであった。
次回は1470-1510年蒸気機関です。




