1460-1500年異教徒集団キーミョウデール
西欧に徘徊する謎の異教徒集団!
日本は極東の野蛮国だ。
だが奇妙寺の僧形は違った。
しかもその構成は日本人だけでない。
西洋の奇妙寺僧形は西洋人だったのだ。
現地人の雇用も密かに行っていたのである。
南蛮なまりで彼らは「キーミョウデール」と呼ばれた。
風のように現れ、風のように消える異教徒の頭脳集団!
教皇庁検邪聖省は躍起になって捕縛に努めた。
だがその痕跡さえ掴めないでいた。
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当時の西欧の衛生状態は貴族も平民も散々だった。
そもそも衛生という概念がなかった。
王宮も宮殿も別邸も豪華壮麗なのは見せかけだけだった。
裏に回れば貧民窟と衛生状態は同じだ.
飲み水は汚れ、排水はさらに汚れていた。
上水も下水もない、配水管もない。
生ゴミは空き地や通りに捨てられ、腐るに任せた。
排水勾配も考えず、窪地に人が住み、街は汚泥にまみれた。
不潔で不浄で汚染された環境で、人々は生存を強いられた。
ネズミやノミがいても人々は気にしなかった。
ネズミが歩き回る部屋で食事をし、ノミだらけのベッドで就寝した。
現在ならこれらは感染症の中間宿虫であり、駆除駆逐の対象である。
中間宿主がいなくなれば、感染症患者は激減する。
媒介する中間宿主が原因だとは夢にも思わなかったのだ。
当時の西欧の感染症の認識は「悪い空気(ミアスマ)」が原因だった。
古代ローマのガレノス医学に基づく瘴気説である。
1500年の間、理屈に合った学説として信じられていた。
悪い空気が体内の平衡を崩すから病気になるのだ。
そのため、香辛料をたっぷり詰め込んだガスマスクまで作られた。
14世紀の黒死病の流行は200年後の今日は収まっていた。
だが人々はいまだに不衛生で無防備で無知識であった。
平民の病気は平民の医者の役目だった。
彼らは「ペスト医師」と呼ばれ、貧困層から身を起こした二流医師であった。
敬虔なキリスト教徒というより金に目が眩んだ命知らずと言った方が良い。
二流医師はカネのためならなんでもやる生きた道具だった。
命知らずの二流医師たちは果敢にも無防備でペスト患者に立ち向かった。
香辛料のマスクは効かなかった。
ペスト菌に無防備であるため、患者と一緒にバタバタと倒れていった。
医療行為もまたお粗末なものであった。
当時の治療法は「悪い血を出す」瀉血と「悪いモノを出す」浣腸であった。
体力のない病人に瀉血と下剤を処方するなんてとんでもない!
治療を受けた患者もバタバタ倒れていった。
そんな中、1人の若い医師が画期的な発明をした。
気密服である。
当時のペスト医師の服装は、表面にロウ引きした革製のガウンであった。
悪い空気に触れないための知恵だが、それをさらに拡張した。
気密に縫製した服の背中に出入り出来る長い袋を縫い付けた。
そのチューブ状の出入り通路を通して医者は気密服に出入りする。
頭部はガラスの金魚鉢を逆さに被ったような徹底ぶりだ。
これで患者と同じ病室の空気は吸わなくてすむ。
外気をふいごで気密服に送り続ける。
これなら「悪い空気」を吸わずに診察出来る。
これは現在ではP4スーツと呼ばれている防護服である。
これにより少なくとも医師側に倒れるモノはいなくなった。
だが患者はバタバタ倒れていった。
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ここはとある酒場。
ペスト医師仲間が談笑していた。
当時の医者は手を洗わないし服も洗わなかった。
感染経路は未発見でその認識さえなかった。
汚れた手で焼き肉をつまみ、肉汁は服でぬぐった。
酒宴の話題は「通りすがりの謎のモンク」だった。
「お前、凄いモンを発明したな」
「気密服とは恐れ入った」
話を向けられた若い医者は恥ずかしそうに白状した。
「いや、実は通りすがりのモンクが教えてくれてな」
やっぱりそうか、といった表情の一同。
最近通りすがりのモンクが頻繁に医者たちの周囲に現れている。
アドバイスとメモを渡すと風のように消え去った。
今回は気密服の縫製型紙とガラス製気密ヘルメットの製法だ。
若い医者は半信半疑で作らせてみて大成功を収めたのだ。
「おそらくはムスリムの医者か学者が正体かなあ?」
「あいつら医療、科学、数学は凄いよな?」
「いや、キーミョウデールとかなんとかで……」
「キーミョウデール?」
「ウワサの異教徒の頭脳集団か?」
「まあ誰でもいい、参考にさせてもらうさ!」
酒場の話は街の眼鏡屋の新発明に移った。
「そういえば、街の眼鏡屋でも凄いモン見たで!」
「ああ、知ってる、ケンビキョウとかいう拡大鏡だ」
「川の水の中に微生物がウジャウジャいるのが見えてな」
ペスト菌は電子顕微鏡でないと見えない大きさだ。
顕微鏡では倍率が低くて見えない、見えたのは微生物だ。
だが肉眼では見えない微生物が見えた衝撃は大きかった。
信心の薄い二流医師たちの心は揺らいでいた。
顕微鏡で見た微生物がここの空気の中にもいるのだとしたら?
彼らは自分の汚れた手やきたないシミのある洋服をマジマジと見た。
全ての場所にウジャウジャ何かがいるのかもしれない。
微生物が!
ガタンッ、ガタガタッ。
医者たちは次々と席を立ち始めた。
「オレ、ちょっと手を洗ってくるわ」
「あ、オレもオレも」
「オレも」
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この日から医者たちは手を洗い、服をその都度に着替えた。
毎回診療に使用した用具を加熱洗浄するようになった。
またある日から患者の症状の記録を取るようになった。
診療記録(カルテ)の登場である。
カルテに記録するのもキーミョウデールの差し金だった。
ここでは多くの患者の症状がカルテに書き込まれた。
これが感染経路を明らかにするのに役立った。
このカルテによって、患者の罹患状況が分かってきたからだ。
ノミ、ネズミである。
ノミがたかったベッドで就寝し、ネズミの歩き回ったテーブルで食事した。
ノミだらけで、ネズミが多く、不潔で不浄な生活環境。
当たり前にノミとネズミと一緒に暮らしている環境。
小麦などの穀物の貯蔵がネズミに対して無防備なのも問題だ。
ネズミがかじった穀物をそのまま使って調理していた。
ノミに対して無為無策なのも問題だ。
ベッドでノミにたかられ噛まれていた。
高貴な貴族付き医師たちは近寄るのもいやがった。
高貴なお方様を診るには、医師も高貴な品格を保たねばならぬ!
とても触れられない穢れのある環境。
だが二流医師は信心よりお金が欲しかった。
彼らはノミやネズミを使って平気で感染実験をおこなった。
穢れよりカネになる実証だ。
実験には「通りすがりのモンク」が立ち会って指導した。
彼らが研究資金を供出し、その金額がまたべらぼうであった。
何回も感染実験の再現などが行われ、光明が見えてきた。
これも地位と権威のある高級医師と一線を画するところである。
何百人という二流医師が躍起になって研究に取り組んだ。
どうやら「見えない位小さい微生物」が原因だ。
ノミ、ネズミは媒介しているに過ぎない。
その謎の病原体が身体に取り付き、病気になる。
通りすがりのモンクは解剖図を取り出した。
すでに日本からの輸入品で解剖図があった。
日本語なので母国語で注釈が付けてある。
キリスト教圏内で解剖は御法度だから体内を知るにはこれしかない。
「体内循環と血液の作用、ふむふむ」
ペスト医師はうなずきながら読み進んだ。
「患者の9割はこのリンパ腺が大きく腫れ上がる」
「そしてリンパ流、血流に乗って脾臓、肝臓を巡り全身に達する」
「そして敗血症になる、ってあれ?」
「だれだよ敗血症になるって書いたの」
「そりゃあ、お前だろ」
「いや、お前だ」
「そういうお前だ」
誰かがこっそり書いたのだった。
若い医師たちは書いてあるとおりに学習していった。
瀉血も浣腸も間違っていた!
安静と栄養補給が必要だ!
敬虔な信心と霊験あらたかな護符では効かなかった。
底辺の貧民窟から診療の常識が覆り始めたのだ。
恐るべし、キーミョウデール……。
さらに原因がおぼれげながら見えてきた。
しかし治療法はまだ見つからない。
消毒で未然に防ぎ、対処法で診療するしかなかった。
中世の治療法の概要は野蛮で苦痛に満ちていた。
当時の熱油、強酸、焼きごてによる治療は、病原体も人体も一緒くただった。
治療で死ぬか、病気で死ぬか、その決断はどっちもどっちだった。
なんとかして病原体だけを駆逐する方法「魔弾の射手」を見つけなければならなかった!
これは抗生物質の発見を待たねばならない。
だがやれる方法は別にあった。
予防である。
いつもの酒場の風景。
「また、キーミョウデールから又聞きですまん」
「なんだ、なんだ」
「エンソというのが消毒にいいそうだ」
「帆船の消毒にはイオウと酢を使ってるぞ」
「水の浄化実験を見たんだよ」
「微生物がいなくなる」
「浜辺の薬局で「脱フロギストン海塩酸気」という品名で売ってるんだ」
「海塩酸と二酸化マンガンで作るのだそうだ」
「使えそうだな」
「なんでもいい、使ってみよう!」
「!」
「検邪聖省の耳に入ったらえらいこった!」
「しーっ」
ガタッ。
酒場の片隅で1人で飲んでいた紳士が近寄ってきた。
検邪聖省の異端審問官「なんぞその、ご用でしょうかな?」
「ひえーっ」
浜辺の薬局はその日の夕方、元のあばら屋に戻っていた。
空き部屋にはホコリが積もり、まるで何年も使っていないような雰囲気である。
検邪聖省の異端審問官が駆け付けた時、そこに店があった証拠は何処にもなかった。
風のように現れ、風のように消え去る……。
「異教徒のしわざか……」
検邪聖省の異端審問官も苦々しい顔つきであった。
二流医師たちは無罪放免となった。
彼らを捕まえていても意味はない、税金のムダだ。
二流医師はカネのためならなんでもやる生きた道具だった。
それよりもキーミョウデールなる輩をなんとかしなければ……。
最近、教会の教えにそぐわない異教徒の暗躍が活発だ。
異端審問官は検邪聖省の一室で忸怩たる思いだった。
実験や解剖や合成は必要ない。
ヒトが新たに生み出すなど神への不敬だ!
我々は聖書を研究し分析し尊うべきなのだ。
敬虔な信心だけが唯一の救いだ。
一方、西欧の科学者、医療関係者、博物学者は薄々気付いていた。
二流医師たちの騒動はみんなが知っていた。
科学者「微生物だと思っていた」
医療関係者「安静と栄養補給は必要だと思っていた」
博物学者「中間宿主がいると思っていた」
現実世界は聖書の通りではないのではないか?
実際に敬虔な信心だけで患者が快癒したことは一度もない。
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ペストの感染経路はネズミ(げっ歯類)とノミだった。
感染患者の吐き出すエアロゾルからも感染した。
この見知をどう庶民に知らせるか?
時の権力者に知らせるか?
だが、高級医師の死への穢れと信仰の敬虔さは大きな壁だ。
時の権力者に話しても、一笑に付されるだけだ。
顕微鏡で見た世界は微生物と菌類で一杯だった。
これを見れば、空気も水も自分の顔のヒフさえも菌で一杯だった。
川の水を汲んできて顕微鏡で見ると微生物だらけだ。
そこへキーミョウデールが塩素とその製造法を残していった。
若い医師がたった一滴の塩素を汚染水に垂らしてみる。
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全滅!
その滅菌力はとてつもないスペクトルを持っていた。
キーミョウデールの戦略は説得より実践だ。
信じる信じないは後から来るのである。
若い医師たちはついに実力行使に出た。
飲み水はすべて塩素で消毒された。
洗濯物には塩素が投げ込まれた。
ネズミの害にあっていた穀物類は密閉容器に移された。
家には燻蒸処理がなされ、ノミが駆逐された。
この様子を貴族は鼻で笑いバカにしていた。
下働きのモノは憂鬱な顔でそれを見守っていた。
実際の炊事洗濯の場では、やはり汚染が深刻な問題だったからだ。
炊事台所を取り仕切る台所司はこれを見て決断した。
台所司「殿様に言ってもわかりはしない」
下働き「塩素消毒だけなら目立たないと思います」
やがてこっそり同じようにするようになった。
屋敷の台所は洗浄され、下働きさえ毎日洋服を着替えるようになった。
西欧の衛生事情はゆっくりとだが、改善に向かい始めた。
泥だらけ生ゴミだらけ糞尿だらけの衛生環境を一新した。
キーミョウデールの仕業は広い範囲に及んだ。
排水処理施設、生ゴミ回収埋め立て、下水処理施設。
配水管は回転鋳造(これはどこでも出来る)で製造した。
締結はフランジに設けられたネジによった。
生ゴミの日が定められて、ゴミ回収馬車が巡回した。
生ゴミは水分を絞り、野菜クズ(窒素少)と肉魚クズ(窒素多)に分別した。
野菜クズには米糠や油粕を混ぜ、肉魚クズには枯葉・枯草を混ぜ発酵を促す。
発酵過程はキーミョウデールが発酵菌のボカシを入れ、腐敗しないよう管理した。
こうして生ゴミは堆肥となり、食物連鎖を巡回した。
下水処理は沈殿と微生物分解と消毒で処理した。
屎尿を発酵(70℃)により寄生虫を死滅させる肥溜めとした。
しかし、その再利用は穢れの固定観念が強く、最後まで拒否された。
蓄獣(ウシウマブタ等)用の飼料なら良いだろうとそっちに利用された。
実際ブタなどは生ゴミを食べて飼育がされていたからだ。
キーミョウデールは密かに暗躍している謎の集団である。
だが、敬虔な信徒の多い高級医師には嫌われ、何でもござれの二流医師には歓迎された。
その異常なまでの知識と技術は少しずつではあるが、南蛮世界に浸透していったのである。




