1450年松戸彩円死す
山門不幸……。
「うぐうっ」
「彩円さま!」
松戸彩円は倒れた。
労咳(肺結核)だった。
当時の不治の病である。
治す薬はなかった。
奇妙寺高度医療センターでもお手上げだった。
ペニシリンは実験段階ではあるが、完成していた。
ペニシリンはβラクタム系薬である。
βラクタム系薬の効用は細菌の細胞膜の構造を乗っ取り、阻害する事にある。
結核菌の細胞膜の構造は特異であり、抗菌活性を示せず、無効になった。
<つまり効かなかった>
容体はどんどん悪化していく。
これを治すストレプトマイシンはまだなかった。
悔しい!
当時世界最高の科学、技術、医療を誇る奇妙寺。
外科手術の能力は振り切れていたが、内科の治療薬は。まだまだだった。
もっと土壌サンプルを集め、シャーレで培養した病原体で実験を繰り返さなければならない。
もっと、もっとだ!
腐葉土の放射菌にも効果があるものがある筈だ。
探せ!探すのだ!
もし間に合わなければ
「うぐうっ」
大量の吐血。
こうして奇妙寺始祖「松戸彩円」はこの世を去った。
なにもかも間に合わなかった。
玉体は奇妙寺奥の院に運ばれ、安置された。
遺書もない。
遺言もない。
「お前に言い残す事がある……」
と呼ばれた僧形も1人もいない。
初めからいなかったようだ。
悲しみは、なぜか急に乾いてしまった。
僧形達は、なぜか急に立ち直った。
唯一、丁翁だけが悲しみに暮れていた。
だが、彼ももう50年近く、彩円と付き合ってきた。
彼にも人生の終局が迫っていたのだ。
彩円に代わる僧形は副住職だった僧形であった。
名前は残っていない。
彼は奥の院には入れない普通の僧侶であった。
奥の院。
それは奇妙寺の別の秘密部門である。
地下に施設があり、外界とは断絶されていた。
その最深部には何があるか誰も知らなかった。
この最深部に彩円は封印された。
山門不幸。
だが奇妙寺は解散もしなければ閉鎖もしなかった。
日本全国に奇妙寺の支部が展開していた。
もう日本でやれる事は、限界に近づいていた。
これ以降、奇妙寺は海外に飛躍する。
だが、気を付けねばならなかった。
あらゆる情報を世界中に発信する訳にはいかない。
世界というのは、正直者や善人には苦痛に満ちた場所である。
奇妙寺は世界中から、情報を集め始めていた。
特に南蛮は軍事的にも、経済的にも極めて優位に立っている。
その商業と流通業は恐るべきものがある。
ポルトガルやスペインに行った日本人はまだいなかった。
だが彼らは日本に来ているのだ。
その実力の差は歴然としていた。
南蛮国では中世が終わり、近世が始まろうとしていた(1453)。
ルネサンスが起こり、大航海時代が始まり、世界分割が設定されようとした時代。
アメリカ大陸はまだ発見されていない(1492)。
世界は貿易戦争に蠢いていた。
日本は遅ればせながら、その生存戦略を賭けた戦いに乗り出そうとしていたのだ。
次回「1459年長禄・寛正の飢饉」です。




