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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第4章
41/169

1440-1480年ガラス量産

ガラス量産の回です。

ガラスは炭酸ナトリウムの量産がカギです。

ついにガラスを作れる日がやってきた。


ガラスの由来はエジプトにあった。

紀元前からフェニキア人は貿易で栄えていた。

英国に来ては織物とスズを交易した。

エジプトでは天然ソーダを買い付け大量に持ち帰った。


天然ソーダは、エジプトの塩湖の岸辺に大量に産出し、布などの洗濯に使われていた。

当時石鹸はまだ発明されておらず、天然ソーダが交易の品として売買されていた。


さて、とあるフェニキア人が天然ソーダを満載して帰路についた時だった。

石英の多い砂浜があるベルス川河口を通りかかった時にお昼の食事の為に上陸した。

天然ソーダのブロックで(かまど)を作り、鍋を煮たてていた時だった。

観た事も無い透き通った液状のガラスが火にかけた鍋の下から流れ出してきた。


石英+天然ソーダ+熱。


ガラス誕生の逸話である。

1400-1600℃の温度で溶解するガラスが焚火で?というのはおいといて。


こういう逸話もある。

また、以色列人の子供が山火事の焼け跡でドロドロに溶けて固まったガラス層を発見した。

硝石と石英の砂の層が山火事の熱で溶けたのだ。


炎の温度は根元(500℃)よりも外炎(1500℃)のほうが高い。

だから地面で溶けるかな~?というのはおいといて。


まあ、どちらにせよ石英+硝石+熱でガラスが出来たという事である。


日本ではガラスは弥生時代から知られていた。

しかし硝石が日本にはなかった。


ちょうど南蛮では「びいどろ」というガラスが作られていた。

これには硝酸ではなく、炭酸ナトリウムが使われている。

そこで炭酸ナトリウムを製造する事にした。


製鉄燃料として骸炭(コークス:1421)を生成する.

これを石灰炉で1000℃で熱し、副産物として二酸化炭素が採れる。


二酸化炭素の温度-圧力表によれば液化は簡単だ。

挿絵(By みてみん)


1気圧-40℃、2気圧-10℃、3気圧0℃、4気圧20℃……。

この圧力と温度で液化する。


熱交換器(1430-1470)は圧縮機でもある。

挿絵(By みてみん)

この圧力機だけを流用して二酸化炭素を圧縮して液化する。

これを圧力容器に密閉して液化冷却して保存しておく。

圧力容器は遠心(回転)鋳造で製造したボンベに詰めておく。

挿絵(By みてみん)

遠心(回転)鋳造は溶融材料を型に遠心力を利用して流し込む方法だ。

水道管などの鋳造に使われる。


炭酸ナトリウムの製造工程は次の通りだ。

飽和した塩化ナトリウム(食塩)水にアンモニア(1440-1470)を溶かし、二酸化炭素を通じさせる。

こうすると炭化水素ナトリウムが沈殿する。

発生した塩化アンモニウムは別工程でアンモニアに還元する。

沈殿した炭化水素ナトリウムを熱分解して炭酸ナトリウムを得る。

発生した二酸化炭素は最初の工程に戻り、再利用される。


遂にネックだった炭酸ナトリウムの大量生産が成った。

あとは砂浜に無限にある珪砂だ。これは問題ない。

石灰岩も山ごと採れる。これも問題ない。


直ちにガラスの量産体制に入った。


ガラス食器はあまり流行らなかった。

木製の食器、漆塗りの食器が好まれたのもあるが、割れやすいのが原因だ。

食器棚などの什器がなく、壊れる環境なのも問題だった。


障子は窓ガラスになった。

平面度が出ていないので、見える景色はグニャグニャであった。

まだ平面ガラスの技術が確立していないままであったが、これはしょうがない。


円筒法といって、吹きガラスの要領で、ガラス球をまず吹く。

それを熱いうちにブルンブルン振ると円柱形に伸びる。

上下の球の部分を切って、円柱にする。

円柱に縦方向に切れ目を入れる、

横倒しにして再加熱すると、左右に広がり、平面になる。

挿絵(By みてみん)

この方法の欠点は工数の多さと手間だ。


やがて溶融釜からガラスを直接引き上げる方法が開発された。

挿絵(By みてみん)

ガラスの粘性と表面張力の為に「くびれ」が出来た。


これを解決するためにデビトーズという治具を使う方法が編み出された。

挿絵(By みてみん)

釜の溶融ガラスの液面上に耐熱粘土のスリットを浮かべる。

表面張力でスリットに盛り上がったガラスを垂直に引っ張り上げる。

挿絵(By みてみん)

どんどん引っ張っていけば、重力で長いガラスが出来上がる。


欠点は縦に高さのある工場の操業だった。


次に開発されたのは、溶融釜からガラスを直接ロールアウトする方法だ。

溶けたガラスを水冷のローラーに流すので、波模様がでる。

粗摺りと研磨が必要だった。

挿絵(By みてみん)

この方法でローラーの途中で金網を挟み込めば、強化ガラスが出来た。


最後に考えられたのが溶融スズに浮かべて平面度を出す方法だ。

①ガラスを溶解槽(1600℃)で熱する。

②静澄槽(1300℃)で休めて、液中の泡を除く。

③溶けたスズ(フロートバス:1100℃)の上に融液を流し込む。

比重によりガラスは浮かび、重力と表面張力の為、平面となる。

ガラス板は成形中に板幅縮小を伴う。

これをトップロールで引き留めつつ、板引きする。

④徐冷ライン(600℃)で少しずつ冷やして歪みを取る。

⑤切断して必要な長さに切り揃える。

挿絵(By みてみん)

これで平坦な窓ガラスが出来るようになった。


ガラス食器は日本に向いていなかった。

しかし、窓ガラスは庶民の生活を劇的に変えた。

もう寒さに凍える必要はなくなった。

蔀戸(しとみと)を開けるしか、陽光を取り込む事が出来なかった時代は終わった。

部屋も一日中陽光の差し込む明るい部屋になった。

その明るさは障子の比ではなかった。


各家庭にガラス窓が行き渡り始めた。

まだ高級品であり、高価ではあったが、各家に数枚は窓ガラスがはめ込まれた。

居間の(ふすま)の中段だけガラスにするのが流行った。

外窓はすべてガラス窓になった。


これは南蛮には受けなかった。

欧州にはすでに窓ガラスがローマ時代からあったからだ。

技術も洗練されており、吹きガラスによるグラスは芸術の域に達していた。


日本ではガラスは貴重品であり、割れガラスは徹底的に回収された。

割れガラスは完全リサイクル体制を取った。

毎週木曜日は割れガラスリサイクルの日である。


これは甲斐国だけだったが。

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