1440-1480年ポルトガル海上帝国
強大なポルトガル海上帝国が出現します。
アラビア海+インド洋+ベンガル湾の季節風貿易はアラビア人の独壇場でした。
そこへ西アフリカ+喜望峰回りの航路で突っ込んできます。
奇妙寺の諜報機関は海外の不審な動きを捉えていた。
それはポルトガル海上帝国の東アジア侵略の兆しである。
奇妙寺海外諜報部は1冊の写本を手に入れた。
これは全訳ではなく抄訳(一部の翻訳)である。
それでも、そこには恐るべき真実が記されていた。
「エリュトゥラー海案内記」
1世紀に書かれたギリシャ商人の貿易記録である。
エリュトゥラー海(紅海)とアラビア海の季節風貿易を綴った書物だ。
僧形ABCD「ちょっと待った!」
「1世紀って1500年の昔だろ?」
「こんなモンが何の役に立つんだよ」
情報僧形「読めば分かります」
「ご指摘の通り、1500年前の史実なのですから」
ギリシャ商人の商いの範囲は広大だ
エジプトのアレクサンドリアを中心とし、紅海沿岸、アフリカ東岸、アラビア半島、ペルシャ湾、インドに至る。
インドからマラッカ、ティーナィ(シナ:中国)の記述もある。
日本は1世紀、弥生時代後期、古墳時代前期であり、案内記に記述は見られない。
彼らはヒッパロスの風(モンスーン)を利用した季節風貿易を行っていた。
6-10月夏季に南西風が、冬季には北東風がインド洋に吹く。
海流も夏季に時計回り、冬季には反時計回りが生まれる。
これを利用すれば、2週間ほどでアラビア-インド間を往来できた。
ちなみにダウ船の帆は縦帆であり、揚力を使って向かい風でも航行出来た。
いわゆる「海のシルクロード」である。
その名の通り、インドからは中国の絹、香辛料、真珠、象牙などが交易された。
アラビアからは葡萄酒やオリーブ油、珊瑚、ガラス器などが交易された。
時のローマは香辛料を多く消費していたため、アラビア人は莫大な利益を独占していた。
インドを出発した香辛料はダウ船によって、現イエメンのモカやアデンの港に運ばれる。
アデンは乳香の産地でもあり、アラビア商人たちで活気に溢れていた。
そこから陸路や紅海沿岸経由で、香辛料はエジプトのアレクサンドリアに集積された。
「ちょっと待った!」
「地球の裏側では、海外進出は1500年も前から活発だったのか?」
「言語も慣習も違う異国人同士が1500年間も通商を?」
「信じられん……」
「井の中の蛙とは、よく言ったものだな……」
「日本は東蛮じゃん!」
これらの歴史に接するに当たり、奇妙寺の僧形は驚きを隠し得なかった!
「我々は明国や琉球王国と細々と流通はある」
「だが、その先へ行った事はない」
「日本人町の噂は聞いた事がある」
「だが、その程度の規模だ」
外洋へ出る技術を持たない戦国時代の日本とは天と地の差がある。
「エリュトゥラー海案内記」についての歴史譚は終わった。
だが話はそれだけでは無かった。
奇妙寺諜報部は「それを踏まえた上で」と新情報を語り始めた。
アレクサンドリアには東方の富が積み上げられていた。
中世になって、それに目を付けたのがヴェネチア商人であった。
十字軍以降、地中海を航行する能力を身につけた西欧は東方貿易に乗り出していた。
アレクサンドリアとの貿易を独占し、汽水域の寂村だったヴェネチアは共和国へと変貌した。
これに得心行かなかったのがポルトガルであった。
①地理的条件:大西洋に接し、アフリカに海峡1つ隔てて隣接。
②レコンキスタの終了:当時西欧諸国で唯一内戦のない国。
③資金:ジェノヴァの商人がヴェネチア商人に対抗するためポルトガルに投資。
ポルトガルこそ覇者たるべき資質を備えた小国であった。
こうして北アフリカ侵攻とともに、インド洋航路探索が始まった。
アフリカ大陸の奥地、マリのトンブクトゥは塩と金の取引の中心地である。
北アフリカから塩が、南アフリカから金が運び込まれた。
それらの取引で栄え、宗教と交易の中心地に成長した。
黄金郷と呼ばれ、金の採掘地を求めたが、実はそこにはなかった。
しかしこれは別の話である。
今はインド洋航路探索に話を戻そう。
1415年:北アフリカ:モロッコの港セウタ(Ceuta)占領。
1419年:マデイラ諸島占領。葡萄の名産地となる。
1427年アソーレス諸島到達。アソーレス海流の発見と活用が広がる。
1434年:世界の果て、不帰の岬、ボジャドール岬を越える。
1444年:カーボベルデ、ヴェルデ岬、ゴレ島に到達。
1445年:西アフリカのアルグイムに商館設立。
1480年:内陸トンブクトゥに到達。
1482年:黄金海岸に到達。
1488年:喜望峰に到達。
とうとうアフリカ大陸最南端の喜望峰に到達した。
ちなみに陸路では1488年にポルトガル人がインドに到達していた。
アレクサンドリアから陸路でアバン、アバンから海路でインドである。
一方、海洋航路探索は、アフリカ西海岸を次々と制覇していった。
ポルトガルが後世、海上帝国と言われる所以である。
奇妙寺は危機感を募らせていた。
僧形A「アラビア人の独壇場だったインド洋の貿易に突っ込むぞ」
僧形B「港湾使用料を払って貿易の仲間に入るか」
僧形C「軍事力にものを言わせて支配下に置く(植民地化)か」
僧形D「そりゃあ、後者だろう」
僧形ABC「だろうな~」
インドの次は東アジアにやって来る。
誰もポルトガルを止められない。
僧形A「この動きはヤバイ」
僧形B「我々は地球の裏側まで行く能力が無い」
日本人町はタイのアユタヤが最大だ。
ベトナムのホイアン、マレーのパタニ。
カンボジアのプノンペン、フィリピンのマニラ。
小規模だが、日本人町が存在する。
これらにはすぐ奇妙寺僧形が派遣される事となった。
インド洋を中心とする世界地図をにらむ奇妙寺の僧形たち。
「だが、日本の絶対防衛圏はどこに線引きする?」
全員の指がコックリさんのように一点に集中した!
「マラッカだ!」
日本絶対防衛圏はマラッカに設定しました。
ここでポルトガルの海路を食い止めます。