1430-1470年電球
電球を作ります。
電気の発明で奇妙寺の僧形が先を争って研究したのが電球であった。
これは夜暗くなると必要だが、鉱山ではもっと必要であった。
鉱山。
その地下坑道は、湧水と可燃性ガスの地獄絵図だった。
火気厳禁では真っ暗闇だった地下坑道。
灯りは火で、どうしても必要だったのだ。
だがランプの灯りは100%炎であり、可燃性ガスに引火し炎上した。
深海魚が発する発光物質を頼りに、作業しようとしたが、役に立たなかった。
炎の長さと引火する温度を抑制した安全灯を発明した僧形もいた。
だが、金網で炎を外気から遮断するこの方法は炎が暗かった。
根本的な発想の転換が必要だった。
奇妙寺電気機器事業部。
約瑟という技術僧形がいた。
彼は、化学実験で電線にニッケル-クロムを使用したのを覚えていた。
電線のニッケル-クロムは白熱化して光ったのだ。
しかしその時は、すぐに溶け落ちてしまった。
白金(融点1772℃)は光が灯ったがすぐ溶けてしまった。
炭素(融点3500℃)繊維はすぐに焼け落ちてしまった。
融点の問題ではなかった。
酸素が問題だった。
空気中の酸素が原因で燃え尽きてしまうのだ。
脱気して真空にするか、不活性ガスを充填するか、そのどちらかであった。
真空電球で木綿糸に煤とタールを塗って炭化したものは45時間で燃え尽きた。
だが1日6時間点灯(夜間点灯時間)して1週間は持つ。
実用化のメドが立ってきた。
この試行錯誤には6000種類以上もの物質が試されては破棄された。
ついに発見したのが竹を炭化させたもので、200時間も灯った。
これは1日6時間点灯(夜間点灯時間)して1ヶ月は持つ。
その時、仲間の僧形がふと思い出したように言った。
「竹と言えば京都八幡の竹がいいね」と京都出身の僧形。
「そうだ、京都行こう」
京都八幡の竹は鉄分が多く、しなやかで強靭でフィラメントにぴったりだった。
この竹を炭化させたフィラメントを使用した白熱電球はなんと2450時間も灯ったのである。
これは1日6時間点灯して(夜間点灯時間)1年は持つ。実用化が出来たのだ。
こうして実用化は成った。
奇妙寺ではさらに研究は続けられた。
金属の中でもっとも融点の高いタングステン(融点3422℃)。
タングステンをステンレス鋼線と同じ線引き技術で細線化して、コイル状に巻く。
さらに不活性ガスとして窒素ガスを充填する事で寿命を長くする事が出来た。
しかし窒素ガスは熱伝導率が高く、フィラメントから熱を奪って暗くなる。
そこで窒素ガスと熱伝導率の低いアルゴンガスが充填されて照度を保つことが出来た。
鉱山は明るくなった。
電力の電池は非力だが、そんな事はどうでもよかった。
頻繁に電池を取り替えればいいのだ。
電球は秘匿された。
鉱山での使用にだけ使われたのだ。
世間はまだガス灯と携帯型ガス灯の時代が全盛だった、
電球は海外への喧伝はされなかった。
「いけません」
奇妙寺の諜報機関は海外の不審な動きを捉えていたからだ。