1430-1470年時計と計算機
時計と計算機です。
機械式時計は13世紀後半に北イタリア~南ドイツで出来上がった(発明者不明)。
錘を動力とした歯車と調速機、脱進機を備えた機械式時計だ。
文字盤と針ではなく、1時間に一回、鐘を鳴らす仕掛けだった。
器械的誤差は約1時間であった。
奇妙寺では時計の研究に夢中になる僧形がいた。
時間を1日24時間・1時間60分・1分60秒に区切る事は南蛮人から教わった。
それまでの子・牛・寅……をやめてアラビア数字に統一した。
だが何の為に時計が必要なのか?
僧形「えー、わかりません」
そう、時計は時期尚早だったのだ。
ただ技術者というものは、そういうノウハウが大好きだ。
そして奇妙寺は、そういう手合いで一杯だった。
1番車_(香箱:ネコちゃんの座り方では無い!)ゼンマイが接続された歯車。
2番車_分針担当歯車で1時間で1回転する。
3番車_2番車から4番車にトルクを伝える役目。
4番車_秒針担当歯車で1分間で1回転する。
ガンギ車_時計の回転運動を間欠運動にする歯車。
アンクル_間欠運動送り部品。時計のカチカチ音はこの動作音から来る。
テンプ_間欠運動(アンクルからの反復運動)をコントロールする部品。
なお2番車から減速歯車を介して時針を12時間で1回転させている。
まだ日本人は本格的に海外に渡洋した事がない。
だから航海術に精密な時計が、どんなに必要な事かが知れ渡っていなかった。
どこから嗅ぎつけたのか、精密時計を完成させた翌日、南蛮人が訪ねてきた。
「トケイヲウッテクダサーイ」
松戸彩円は丁翁をジロッと見据えた。
丁翁は吹けない口笛をフスーッフスーッと鳴らしていた。
「……バレとるぞ」
「いやーっはっはっ」
「いやーっはっはっじゃねーよ」
ライフル銃は秘匿したが、時計は大々的に売り出す事になった。
倭寇の連中がわざわざ甲府まで出向いてきて、買いあさった。
六分儀と時計と三角関数表で安全航海が出来るそうだ。
南蛮から取り寄せたという三角関数表を見せてもらった。
角度を数値で表したもので、南蛮では普通に航海士が持っているものだそうだ。
六桁の数字が並び、あまりにも複雑で大変だ。
彩円「……け」
丁翁「け?」
「計算機が必要だ……」
「ええええええっ」
なんか松戸彩円が恐ろしい事をボソッっと言ったような気がする。
「そろばんじゃなくて?」
「そろばんじゃなくて」
古代ギリシャのアンティキティラの歯車に見られるように、歯車式計算機の製作は可能だ。
1235年にエスファハーンのアビ・バクルが歯車式の暦計算機構を発明している。
時計機構を作ったならば、歯車式計算機も出来るようになる。
機構は簡単だ。
1の位の歯車が0-9の数字が書かれたドラムを回す。
それが1回転すると、隣の10の位の歯車が10分の1だけ回転する。
10の位の歯車が1回転すると、隣の100の位の歯車が10分の1だけ回転する。
100の位の歯車が1回転すると、隣の1000の位の歯車が10分の1だけ回転する。
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コレの繰り返しだ。
こうして、6桁の四則計算が出来る計算機が完成した。
リセットは全ての歯車のドラムを9の数字が出るまで手で回す。
999999が揃ったところで、1の位の歯車を10分の1だけ回転する。
それで000000となり、リセットされるのだ。
これの逆をやれば引き算も可能だ。
掛け算は足し算の繰り返しになる。
例えば12掛ける12は、12を12回足して144を得るのだ。
5掛ける1000は、5を1000回足して5000を得る。
結構大変な作業である。
これは後日、演算歯車が追加され、高速化している。
これはX10、X100、X1000の歯車だ。
割り算はややこしかった。
割られる数から割る数を引き算していく。
0を越えて引かれるとチーンとベルが鳴るようにする。
引き算の回数が商の値で、0より下の値が余りである。
例えば12割る3は12から3を順に引いてゆく。
その回数が4になった(0を越えた)ら、5回目でチーンとなって終了。
商は5-1=4で、余りは0である。
145を12で割る場合も同じだ。
145から12を順に引いてゆく。
その回数が12になった(0を越えた)ら、13回目でチーンとなって終了。
商は13-1=12で余りは1だ。
和・差・積・商の四則計算機が出来上がった。
南蛮はあまり興味を示さない。
「すごいね」
この一言である。
南蛮はやはり恐ろしい。
彼らの数学者は、とんでもないものをあみ出そうと苦慮していた。
10を底とする常用対数f(x)=log xである。
計算尺と言われるものが世に出ようとしていたのだ。
奇妙寺の素っ破(忍者)が堺港や長崎で仕入れてきた情報だった。
奇妙寺の誰一人として常用対数f(x)=log xが分かる者はいなかった。
次回は櫂とスクリューです。