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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第4章
32/169

1430-1470年ばねと馬車

ばねと馬車です。

 牛に牽引させる車という交通手段があるならば、馬に牽引させる車があってもいい。

これを馬借といい、馬の背に荷物を掛け、それを人が追う形であ……、違う!


馬に車を引かせる感じだよ!


大八車を魔改造して馬車風にしてみた。

 実際やってみると、路面事情が悪い日本では、荷物が跳ね落ちて役に立たなかった。

速度を上げれば、今度は振動で荷車が分解しかねなかった。


僧形A「思ったより凸凹が激しいな」

僧形B「歩いてるだけなら、どうという事はないんだがなあ」

古代羅馬(ローマ)のような舗装道路の概念が日本には存在しない。


また大八車にも車輪の回転装置以外の部品は見当たらない。

必要なのは懸架装置(サスペンション)だった。


「やるぞ!」

莫斯利(もすり)がこれに挑戦してみた。


まず、竹細工で作ってみた。

竹はしなって、よくた…ばきっ。

折れた。


青銅で作ってみた。

りん青銅といって、銅ご…へにょっ。

腰が弱かった。


「う~ん」


万策尽きて、鍛冶屋をやっている仲間に聞いてみた。

莫斯利(もすり)「というわけなんだが」

仲間A「なるほど」

仲間B「ないわけではない」


炭素の多い鉄材でばねを作った事があるらしい。

まず過熱した線材を棒材に巻き付けて成形する。

成形後すぐに急冷(焼き入れ)、焼き戻しを行う。


そうすると粘りのあるばねが出来上がった。ビヨンビヨンしている。

 これを荷車の車軸と車体に付けると、振動がバネの弾性でさらにビヨンビヨンした。

振動減衰能が思ったように得られない。


莫斯利(もすり)「ばねだけではだめだ」

「なにかもっと奇妙な事をしないとだめだ」


豚の膀胱で作ったガスボンベ。

あれに座るとビヨンビヨンするが、すぐ振動は減衰する。

精密に作った箪笥の引き出しは、空気の抵抗で押しづらい。

茶筒の蓋も精密に作ると開けにくい。


何かがある……。

見えているのに気付かない何かが。


莫斯利(もすり)は思考の海に深く沈降していった。

ああでもない。

こうでもない。


それとは別に、奇妙寺の僧形らによって、現実的な方法が模索された。

板ばねでいくのが最も簡単な方法だった。

つる巻ばねはまだ品質が安定しない。


こうしてついに馬車の開発が始まった。

これには南蛮人が自慢げに全部しゃべってくれたノウハウが生きている。

「ポルトガルノリスボンハ、りべるた通リガ馬車デイッパイネ」

「重ネ板ばねニスルト相互間摩擦デ、振動モ減衰出来ルネ」

「ペラペーラ、ペラペーラ」

こんな具合である。


上手い方法を聞く事が出来た。

重ね板バネの間に制振装置(ブレーキダンパー)を挟んで重ねる。

そうすれば、制振性が得られるはずだ!


苦節1年。

とうとう日本初の馬車が完成した。

挿絵(By みてみん)

技術僧形「いやあ、大変でした」

広報僧形「馬車は?」

技術僧形「あ、え?」

広報僧形「台車と懸架装置だけじゃん、馬車は?」

技術僧形「あああ、しまったああぁ!」

なんと!

振動を減衰させる事に夢中で、筐体を作ってない!

技術バカとはこの事だ。


この懸架装置はある程度の傾斜にも対応できる。

挿絵(By みてみん)


ある程度の凸凹にも対応できる。

挿絵(By みてみん)


しかし日本の丘アリ坂あり凸凹ありの道路では心許ない。

だが、第一号馬車なのだ。

奇妙寺の僧形も感無量である。

僧形A「牛車はあっても、馬車は知らんかった」

僧形B「2000年も前から羅馬(ローマ)では主要な交通機関だったそうだ」

僧形C「それ前にも聞いた」


乗り心地はすこぶる悪かった。

駕籠(かご)も速度を出すと激しく揺れた。

どっこいどっこいだ。


 車輪が木製や金属製のために、振動がじかに伝わってしまい、ガタガタだったのだ。

{当時、奇妙寺の僧形はピストンリングに気付いていない}

{したがってショックアブソーバーが作れない}

これは1518年以降、マラッカからゴムが輸入され、タイヤが出来るまで続いた。


さらに道路事情も劣悪だった。

平たい道が、まず全然無い。

車内で乗客が跳ね回り、飛び跳ねた。


 交通は徒歩が原則だった日本では、石畳の道というのは城中や社寺内の沿道のみだった。

舗装という概念が、まず無いのだ。

やはり、日本の地形では自然のままの道を馬車は走れない。


当時の守護代は武田信昌であった。

武田信虎のおじいさんにあたる。


早速、奇妙寺の軍僧が許可を求めた。

「許可できぬ」

そっけない返事であった。


奇妙寺の軍僧は参謀の地位にあり、甲斐国の外交を受け持つ軍属である。

側近であり、同盟交渉や和睦交渉を受け持つ外交僧であった。

そのため、守護代といえども、相談に乗る事があった。


だが、甲斐国はまだ乱国状態なのだ。

棒道(舗装道路)を作れば、確かに流通は盛んになり、商業も潤うだろう。

しかしそれは同時に、反乱軍の侵入も容易に許す。


奇妙寺の軍僧はあらためて問うた。

「では通信情報網を整備し、即戦闘態勢を取れるようにしましょう」

狼煙(のろし)か、とうの昔に配備しとるわ」

武田軍の狼煙リレーは伝達網と速度で有名だ。


「いえ、腕木通信を行います」


高いところで狼煙を焚くのではなく、腕木で文字コードや制御コードを送る。

文字パターンを腕木の組み合わせに直して、表示する。

それを望遠鏡で視認して、文字パターンに戻して意味を理解する。

挿絵(By みてみん)

{腕木通信はイロハ……等の日本語入力に対応していない}

{これは明治に入ってきた電信を日本が先に採用したためだ}

{腕木通信はすでに前時代の通信手段だったのだ}

{ここではアルファベットの例を示す}


詹森(やんせん)という僧形が、顕微鏡を発明したと同時に、望遠鏡も発明していた。

凸レンズと凹レンズの組み合わせ(ガリレオ)は遠くのものを大きく見せる。

挿絵(By みてみん)


さらに3群3枚(トリプレット)なら歪も収差も改善される。

挿絵(By みてみん)


3群4枚(テッサー)ならさらに良好になる。

挿絵(By みてみん)


3群5枚(ヘリアー)なら綺麗に見える。

挿絵(By みてみん)


こうして紆余曲折の末に、詹森(やんせん)は2群4枚~(ダブルガウス)にたどり着いた。

挿絵(By みてみん)

現代の望遠鏡の始祖ともいうべきレンズ構成だ。


望遠鏡の配備は出来ることとなった。

問題は腕木通信台の配置だ。

10-30kmごとに腕木通信台を設置しなければならない。

結構、たくさん設置しなければならない。


だがその通信速度は時速720kmにも達する。

諏訪湖から躑躅ヶ崎館まで直線で58.4kmある。

腕木通信なら8分が情報取得時間である。

善光寺なら185km、27分で情報に接する事が出来る。

直ちに出撃して駆け付けるなら、充分返り討ちにする事が出来る。


「許可する」

武田信昌はにっこりと微笑んだ。


ついに道路工事の許可が下りた。

そこで甲斐国の甲府に通る往還だけでも舗装する事になった。


奇妙寺の僧形も苦笑いである。

「まさか交通機関を作るのに、乗り物だけでなく、道も作る事になろうとは」

「交通で広め、流通で儲ける概念が今まではなかったからなあ」


 車道は、敷石舗装で敷石の層、砕石やスラグの層、路床からなる3層で構成される。

脆弱な場合は安定化処理を施す。

排水勾配(車道横断勾配)は1-3%としている。


バックホウもランマも振動ローラも無い時代である。

地盤の突き固めは全部人力だ。

胴突き、土突きで路床を安定化処理する。

ドッカン、バッタン、ドッカン、バッタン。

次に砕石やスラグを投入して、またひたすらに突く。

ドッカン、バッタン、ドッカン、バッタン。

それからやっと敷石を敷いていく。


石畳の車道が完成した。


高温多湿の日本で石畳は雑草がすぐ隙間に生えてしまう。

メンテナンスを怠るとえらいことになってしまうのだった。


そこを馬車に通り初めしてもらう。

ガラッガラガラッ。

乗り心地はすこぶる悪かった。


まあこれが限界か。

ゴムを使った空気ばね台車があればもっと振動を減らせるのだが。

往来が激しくなると馬車も長くなった。二両連結馬車だ。

だが畜力には限界がある。

馬1頭で1馬力、4頭立てで4馬力である。


10人乗りの乗合馬車が出来た。

車掌が切符を切り、行き先を聞く。

目的地まで行くと、車掌が扉を開け、乗客は降りる。

行き先表示板が側面に付いていて、分かりやすい。

布製で終点まで行くと車掌が巻き戻した。


これが甲府の町を巡る路線バスになった。循環バスの始まりだ。

決まった時間になると乗り合いバスがやってくるのが大うけだった。

流通はとてつもなく進化した。

もはや徒歩の時代ではない。

馬車流通の時代だった。


やがて甲斐の現武田通りには路面馬車鉄道が現れた。

馬車鉄道の乗り心地は格段に良く、さらに輸送力も大きいので評判が良かった。


このようにして、流通にも奇妙寺の影響が強く表れていた。

甲斐国だけで。

文中の各名称は戦国時代には存在しません。

説明上、使用しています。

ご了承願います。

次回は時計と計算機です。

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