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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第3章
31/169

1430-1470年農薬

農薬の話です。

1430年。

「また、やられた」

農家の怒りは、もはやあきらめムードに近かった。


水稲:収穫率40%低下

小麦:収穫率60%低下

大豆:収穫率30%低下


りんご:壊滅

もも:収穫無し


大根:収穫率30%低下

きゅうり:収穫率90%低下


この数字は害虫の被害による収穫率の低下を示している。

先年、奇妙寺の助力により、せっかく農機具を新調したのに……。

実りが多いほど、害虫も多く湧く。


これでは作物を害虫の為に育てているようなもんだ……。


農業はまだ害虫に対して無為無策で無力だった。

害虫退散の祈祷やお札には何の効果も無かった。


夏に蚊に刺されるのは仕方がない事で、蚊帳は普及が遅れていた。


なんとかしなければ、というよりどうしようもなかった。

農薬の概念さえ無かった時代である。


農薬が発見されたのはまったくの偶然だった。


奇妙寺の実験室も、どこかの大学と同じで、まあ整理整頓されていなかった。

 この実験室の片隅で、1人の僧形が鯨油の壷の表面にたくさんの虫が死んでいるのを見つけた。

 そこで害虫に油を掛けると、身動きが出来なくなり、窒息してしまう事が発見された。

これが発端となり、さまざまな油で試してみた。

鯨油を実験農場で薄く散布したところ、害虫に効果があることが分かったのだ。


観察によれば、昆虫類の気門(呼吸する気管)が油で詰まって窒息すると思われた。


早速、水田に油膜が発生するぐらいに鯨油が「背負い式手動噴霧器」で撒かれた。

 手動噴霧器とはタンクのピストンポンプを手動でスコスコやると、噴霧器からプーッと薬液の出るアレだ。

あとは村人総出で、笹の葉で害虫を油に落とす作業である。

これは特に子供に人気のある遊びみたいなものになった。


 また南蛮船の消毒に使われている硫黄にヒントを得て、消毒用なら害虫駆除もいけると考えた僧形もいた。

硫黄と石灰を混ぜた農薬、石灰硫黄合剤の誕生だった。

強烈なアルカリ性の為、銅製の噴霧器が作られた。


鉄は金属のイオン化傾向の錆びやすい部類に入り、使いづらい。

 {イオン化傾向:Li>K>Ba>Sr>Ca>Na>Mg>Al>Zn>Fe>Ni>Sn>Pb>(H)>Cu>Hg>Ag>Pt>Au}

ここでCu(銅)の位置は低い(Fe>Ni>Sn>Pb>(H)>Cu)。


そしてついに、除虫菊の粉末が登場する。

除虫菊は地中海原産で、南蛮物輸入で観賞用として入って来た植物だった。

これを栽培していた奇妙寺農業科学部が、この菊に殺虫効果がある事を知った。

これの粉末にしたものが蚊取り線香である。

 蚊取り線香は大ヒットとなり、日本の輸出品にもなり、奇妙寺に莫大な売上金が転がり込んだ。

 この資金は1539年、史上最大の起業基金にあてられるのだが、まだまだ先の話である(100年後)。


その他の変わり種農薬には抗生物質のカスガマイシンがある。

名前の通り、春日大社の土壌サンプルにいた放射菌から発見された。

ペニシリンが示す菌への「たんぱく質の生成の阻害効果」と同じ効果がある。

農薬として使用され、特に稲のいもち病に効いた。

 また耐性菌問題は環境適応能力が弱く、ペニシリン系のように問題にはなっていない。


こうして農薬を使わないで収穫率が半分以下だった農家は蘇った。


その中には相当な変わり種も存在する。


例えば、どろぼう除けの薄汚い液体である毒々液。

これを果物にかけると、まるで果物に毒を塗った様な、いやらしい感じになる。

 洗わなければ落ちないので、ちょっと失敬して頂く、不埒なコソ泥に効果があった。


 これは、洞窟にある鍾乳石などに結晶する硫酸銅の「毒々しい結晶」を消石灰で溶いたものだ。

 この毒々液を塗るのは、畑の道端沿いの、最も盗難に会いやすい地域の果物だけだった。

 サッと盗ってサッと逃げる。「あっコラッ」なんて言ってる間にみるみる走って逃げてしまう。

そういったコソ泥除けの毒々液であった。


ある年、甲斐のとあるブドウ園でベト病(露菌病)が流行って大損害を被っていた。

南蛮渡来のヨーロッパぶどうは、葉が褐色の斑点が現れ、見るも無残な姿である。

ここでも毒々液が道路沿いのブドウに撒かれて毒々しい光沢を放っていた。


ここに化学事業部の僧形「宮流弟(みやりゅでい)」が巡回してきた。

ぶどうの病気に強い品種改良と農薬の開発を任されている僧形である。

「今日も何にも収穫がなかったなあ」

宮流弟がまったりと道路沿いに帰ろうとした時だった。

 道路沿いの毒々液をかけた、ぶどう棚のぶどうの葉が、生き生きとしているのに気付いた。


「あれぇっおかしいぞぉ」

かれは両手をパーの形に広げたまま、腕を胸元に引いた。

ちょっと彼はおかしかった。

おかしいから発見したのかもしれない。


「閃いた!」

彼は長年ベト病について研究していた。

シャーレに入れたベト病の胞子は水に濡れると游走子というものを放出した。

この游走子が葉に取り付いて気孔から入り込んで感染するのだ。

研究の最中に、雨水や蒸留水では繁殖するが、井戸水では決して繁殖しない。

その結果についておかしいとずっと考えていたのだ。


それが、今、閃いた。


井戸水を汲み上げる井戸ポンプの管は銅製だった。

そして毒々液も硫酸銅である。

このベト病に対する抗菌性は「銅イオンが関係している」事を閃いたのだ。


さっそく実験室に駆け戻って実証実験をした。

罹患したものを元に戻す事は出来ない。

だが予防は充分に可能だった。

銅イオンが菌の酵素の育成を阻害するのだ。


 後世に、これはトマトの病気にも、じゃがいもの腐敗病の予防にも効果を発揮した。

バナナも、コーヒーにも、りんごにも、茶の樹にまで散布される農薬となった。

これは現在ボルドー液と呼称される農薬の事である。


こうして農薬の普及は成った!

あとは空中元素固定装置だ。

え?なんですかソレッって?


毒々液という名称はフィクションです。

次回はばねと馬車です。

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