1399年奇妙寺前史002(医療と看護の閃き:量産)
手工業で作った把持鉗子を量産工程に移します。
水車を使った鍛造機械や足踏みプレス機を開発します。
菓子型にヒントを得た金型を製造します。
把持鉗子の製造も佳境に入った。
工程も量産を前提とした方法にシフトしていった。
足踏み式圧延(プレス)機である。
現代ではこれはベルクランクとトグルジョイントクランクを合わせた倍力機構と呼ばれる。
実は古代ギリシャでアルキメデス(BC287-BC212)が発明した「てこ」の1種だ。
アルキメデスは「てこ」を使った兵器、カタパルト等を発明している。
松戸彩円は「てこ」を利用したプレス機を考えていたのだ。
力点・支点・作用点のアレだ。
現在でも冷間圧延鋼板(SPCC)なら、ハンドプレス機(1ton)で板厚1.2mmまでプレス可能だ。
これは足踏みプレス機(10ton)なのでプレス能力は充分である。
松戸彩円はプレス金型についても思いを巡らせていた。
和菓子には、菓子木型というものがある。
松戸彩円は堺港に行く途中の京都で、その菓子匠の熟練の技を見せつけられていた。
記録に残る全盛期は、江戸時代初期であるが、戦国時代から受け継がれていた(事にする)。
牛肥の柔らかな生地を思い通りの型に打ち抜く様は、松戸彩円の直感とインスピレーションを刺激した。
「金属をあのように自在に出来ぬものか……」
問題はプレス金型の材質である。
鉄を鉄で打ち抜く事は出来ない。
へこんだ跡が醜く残るだけだ。
鉄を打ち抜くには鉄以上の剛性が必要である。
高速度鋼は、戦国時代なのでまだない。
やるとしたら炭素鋼SK3(SK105)の据込み鍛錬だ。
SK3(SK105)は現代の呼称で、戦国時代では「凄い鉄」である。
「鉄を鉄で打ち抜くことはできない」と彩円。
「もっと剛性が必要だ」
「凄い鉄(炭素鋼SK3)というものを知っているか?」
若い鍛冶屋を訪ねて聞いてみた。
「あーえーっと、そーうですねーえー」
知っているけど言えません、そういう感じである。
鍛冶屋の匠に他言無用と口止めされているのだろう。
刀工が鋼を知らないはずがない。
平安時代から脈々と受け継がれてきた知識と技術がある。
無数の実践と経験から選び抜かれた理論があった。
炭素1厘、珪素0.2厘、満俺0.2厘……。
硬度、強度によって微量のさじ加減アリ。
若い鍛冶屋の頭に数字が浮かぶ。
だがダメだ、教えられない……。
工房の土壁にはぼろぼろになった和紙が貼ってある。
今では、あまりに古い為、誰が書いたのか、もうわからない。
何のために書かれたのか、知る者ははもう誰もいない。
鍛冶屋はそれを窯(かまど)の神様の護符として壁に貼っていた。
「松戸彩円様とて無理でございます」
もちろん鍛冶屋の答えは「NO」である。
純鉄と添加物の配合は機密だった。
一子相伝の口述を教えるわけにはいかない。
松戸彩円は嘆息した。
「じゃあこういう水車機械を頼む」
「これで金型を鍛造して欲しい」
松戸彩円は物凄く下手くそなスケッチを見せた。
鍛冶屋「なるほど」
「それ上下逆だよ」
「ああ、失礼、なるほど」
「水車で杵つきをする機構のでかいヤツですな」
「鍛造の機械じゃよ」
「でっかいトンカチですなあ」
こうして水車の動力で鍛造の機械が出来た。
出来たのはスケッチと全然違った凄い構造だ。
「作ってる内にインスピレーションが次々と閃いて……」と若い鍛冶屋。
まあ、いいけどね。
ドカンッドカンッ。ドカンッドカンッ。
水車が回ると、凄まじい音響と振動と共に鉄槌が動き出した。
助手2人がゲンノウを振り上げて、赤熱した鉄を鍛えるのとは訳が違う。
物凄いパワーがある。
人力ではなく、水力なのだ。
「こりゃあ、すげえぇ!」
若い鍛冶屋は興奮気味だ。
めっちゃ便利!速い!
若い鍛冶屋の頭の中でインスピレーションが閃いた。
鍛伸、展伸、せぎり、ずらし……。
何でも出来る!
松戸彩円はその様子を見て、ニヤニヤしていた。
道具は揃った。
いよいよ金型の製作が始まった。
鍛冶屋はさっそく鋳造工程に入った。
「決して隣の部屋を覗いてはなりません」
「うむ」と彩円。
シュゴーッシュゴーッ。
ふいごの送風音と熱気が隣の部屋から感じられる。
鋳造には、かなりの時間が掛かった。
工程は極秘である。
こうして出来た鉄塊を再加熱して、真っ赤に熱する。
「ここからは見てていいです」
「うむ」と彩円。
先ほどの水車機械でドッカンドッカン鍛造する。
鍛造の後は地道な「きさげ」作業である。
摺動面に青い塗料を塗り、合わせて動かす。
高い面はこすれて塗料が飛び、低い面は残る。
高い部分はヤスリで削り、青砥でみがき、平面度を出す。
この手作業をひたすら繰り返す。ひたすらだ。
現在でもマシニングセンタのTrue Geometric Accuracyに使われている。
ミクロン単位の匠の技で平面度を感じ、目で確かめる。
現代の優れたセンサーでも、匠の肌の感触と眼力には負けるのだ。
金型は出来上がった。
「和菓子の木型に似てますね」
「うむ」
「鉄板をプレスする金型じゃ」
次は金型が垂直に降りてくるフットプレス機の製作だ。
若い鍛冶屋と彩円は図面を眺めた。
金型が三角のレールに沿って降りてくる。
これには構造的に自動調心機能がついてくる。
鋳造でボディを、鍛造でガイドレール回りを製作する。
フットプレス機が出来た。
試しに銅板をプレスしてみた。
凄い鉄(炭素鋼SK3)の型が薄い銅板に食い込む。
うにょ。
簡単に穴が空いた。
「こりゃあ、すげえぇ!」
若い鍛冶屋は興奮気味だ。
金型を工夫すれば、こりゃあすごい事になりそうだ。
松戸彩円はその様子を見て、ニヤニヤしていた。
前話の鉛祭りでプレスの説明が疎かになってしまった。
概要はこうだ。
瓦金(かわらがね:薄い鉄板)をまずUの字にプレスする。
次に逆Uの字の金型に入れて、開口部を閉じるのだ。
隙間は金属スズを溶着させて密閉する。
スズの融点は231.9℃なので、焼きゴテで容易に融解する。
スズと鉛を合金にすれば、低融点作用により、183℃ぐらいで溶ける。
これはハンダといい、3500年前からすでに使われていた。
ただ鉛ハンダは人体に悪影響である。
金属スズは缶詰の内側のメッキにも使われる人体に比較的無害な金属材料だ。
これもまた、青銅器時代(BC3500-)から人類に馴染みの深い金属でもある。
スズ溶着は松戸彩円のアイデアではない、若い鍛冶屋のオススメであった。
「鉛中毒は身体に悪いですからね」
このような経緯で、金属スズが使われたのだった。
把持鉗子は、言わばハサミの作り方の応用である。
これも足踏み式圧延(プレス)機で金型を使って量産した。
駆動部はやはりすり合わせが必要で手作業となった。
ハンドル部分は一発プレスで簡単に製作した。
こうして一日に、いや1時間に60本分の部品取りが可能になった。
組み上げは手作業を含め、1時間に2本が完成した。
組み上げは30人体制でシフトを組み。1時間に60本の製作体制をとった。
1日7時間労働で420本の把持鉗子が完成した。
1週間で2940本、1ヶ月で88200本、もはや一兵卒に一本である。
遂に日本全国の戦国大名が食指を動かし始めた。
さっそく模倣品を作ろうとしたが、プレス機の原理が分からない。
松戸彩円はどうやって作ったのかを隠していたのだ。
「この中空の細管はどうやって作るのだ?」
「鋳造ではないだと?どうして作るのだ?」
間諜を忍び込ませてみたが、さっぱり分からない。
素っ破(忍者)に技術の知識がなく、イラストレイターの才能もないからだ。
作り手を誘拐しようとしたが作っているのは水車小屋とプレス機であった。
分からないながらも構造を模写して図面を日本画で描き写した。
描き写した図画は素人肌で全然意味不明だった。
こうして把持鉗子は奇妙寺の独占となった。
奇妙寺は、量産体制に入っていた為に、商品の不足はない。
全国に針売りならぬ把持鉗子売りの声が響いた。
「把持いらんかねぇ~っ」
こうして奇妙寺は莫大な資産を築いていた。
これが化学に邁進する研究所としての原資になるのである。
壁に貼ってある窯の神の護符はフィクションです。