1420-1460年真空と腐敗
真空、大気圧の発見です。
真空と大気圧、そして蒸気圧。
これらは総てつながっている。
僧形たちは山の頂上では米はうまく炊けず、平地では普通に炊ける事を知っていた。
戦国時代のご飯は蒸すものだったが、僧侶たちは釜で炊いて食べていた。
謎の液体金属、水銀も奇妙な動きを示した。
水銀柱は深皿に満たした水銀に逆さまに立てると、水銀は何かと釣り合って高さ76cmで止まる。
これは現在では気圧のせいだと分かっているが戦国時代はその認識はない。
この現象は高い山に登ると高さ76cmまでとどかない事も確認した。
また雨の日は高い山と同じように高さ76cmまでとどかず、晴れの日はとどく事もわかった。
だが、なぜ?
そしてなぜ、水は同じ挙動を示さない?
水銀は重く、水は軽いから、挙動が小さいのかもしれない。
松戸彩円はすぐ水で実験出来るよう実験器具を巨大化した。
ガラス管を連結して10倍の10mもの大ガラス管に水を満たしてみた。
やっと挙動を示した。
大ガラス管の逆さまにした底に何も無い空間が出現した。
これはイヤな結果もまた示していた。
深さ10m以上の井戸からは、どうしてもポンプで水を揚水出来ない理由。
それが今、わかったからだった。
10mの水の柱の上にも、水銀柱の上にも、何もない空間が出来ていた。
何なのだろうか?
奇妙寺技術陣も頭を悩ませていた。
こういう時はあれだ、奇妙寺名物「頭を寄せ合って考える」だ。
「せーのおっ」
ゴツ、ガツ、ドカンッ!
「おわあいたあ~っ」「ひいい~」「無理い~」
頭を抱える僧形たち、そりゃそうだ。
「おいダイジョウブか托里切利!」
一人の僧形が起き上がってこない、ピクピクしている。
「ひ……」
「ひらめいたああぁっ」
「これだああぁっ」
起き上がれない僧形は、横たわって叫んだ。
大気には重さがある、大気圧だ。
その大気の重さと水銀の重さが釣り合って水銀柱は高さ76cmで、水柱は高さ10mで止まるのだ。
このなにもない空間は真空だった。
真空については(またもや!)古代ギリシャにおいて既に予言されていた。
古代ギリシャのデモクリトスが原子論を唱えた時、真空の存在を認めていた。
アリストテレスは、空間には必ず何がしかの物質が充満しているとして「自然は真空を嫌う」とした。
続くストラトンは空気圧縮実験において、原子間には余地(何もない空間)があるとして、真空を認めていた。
ストラトンは後世に著作を残していない。著作があれば、もっと早く発見に至ったろう。
奇妙寺は奇しくも、それを再確認した格好であった。
10m以上深い井戸の水は揚水出来ない。
それには大気圧が関係している。1気圧だ。
実は解決法は簡単だった。
現代では、200mlのジュースパックに、ストローを差し込んで飲む。
チューチュー吸い上げて飲む。
少なくなると、上手く吸えない。
これに空気を吹き込んで飲んだ事はないだろうか?
ジュースが口の中に勝手に吹き出してくるのだ。
これと同じ事を深さ10mの井戸の底でやればいい。
揚水装置の10mの管の先の吸い込み口に送水管を取り付ける。
①そこに圧送された水を勢いよく吹き出させる。
②ディフューザー(拡散器)を通して勢いを、圧力に変換する。
これで10mを越えて揚水が出来る。
現代では「深井戸ジェットポンプ」と呼ばれている手法である。
限界は深さ80mくらいだ。
それよりも深い場合は第二ポンプが必要だが、それはまた別の話である。
大気圧と真空の発見は続く。
奇妙寺では真空を気圧ゼロと推察した。
フラスコに水を入れて脱気すると沸騰してくる。
これは高山でも低い温度で米が炊けないのと同じ理屈だった。
気圧が低いのだ。
彩円はさらに想像の翼を羽ばたかせた。
では雨の日に水銀柱が低いのはなぜか?
気圧が低いせいだ。
では、雨が降る前は、気圧が低くなるのではないか?
彩円は雨の日を待って、水銀柱の高さを調べてみた。
試してみると、確かにそうだった。
こうして水銀気圧計が実用化された。
甲斐国では天気予報が始まった。
「明日は雨でしょう」というと雨になった。
「山沿いはにわか雨、他は晴れでしょう」というとその通りになった。
農業はお天気しだいと言われる。
当たり前だが、気候と天候が予測できれば、収穫も予想できる。
天気予報はすごい事なのだ。
これはすぐ近隣の戦国大名も知るところとなった。
水銀柱が作られ、その国の天気予報が始まった。
これはまた戦場において重要なファクターとなった。
一方、真空は、また逆の発想を生んだ。
「逆に高圧にすればいいんじゃね?」
こうして発案されたのが、圧力鍋であった。
高い圧力で煮炊きすると、2時間掛かる調理が15分で済んだ。
また調理された料理は、すこぶる柔らかかった。
これもすぐ近隣の戦国大名も知るところとなった。
短時間調理が最も活躍したのが戦場だった。
また煮沸し、調理を終了したものは真空で保存すれば腐らなかった。
「なぜ、ダメにならないのか?」
僧形たちは不思議がった。
1400-1410年に僧形の宮天は缶詰を発明している。
そこで脱気するのは、空気中に漂うチリやホコリを入れない為だと思っていた。
缶詰の中身や煮汁を内部容量一杯に詰め込む為だと思っていた。
だが……、何かが、何かがわからないまま引っ掛かっている。
「いや、やらんぞ!」
みんなの頭がゆっくりと近づき始めたのを知ったある僧形は叫んだ。
奇妙寺名物「頭を寄せ合って考える」はもうゴメンだ。
それを発見したのは路易という僧形であった。
陽光が窓から差し込む時、空気中に漂うチリやホコリが無数に観察できる。
その環境の中でシャーレに寒天を薄く満たして曝露する(空気にさらす)。
すると寒天培地にカビが生えてくる。
これはなぜか?
だが脱気したり、煮沸したりしたフラスコ内には、なにも起こらないのだった。
これらの現象から出される結論は何か?
わからない。
当時の定説の腐敗は「自然にわいてくる」である。
だが、そんな事はありえないと実験が証明している。
わいてくるなら曝露しても密閉してもわいてくる筈だ!
ではなぜだ?清浄な空気が原因か?
彼はフラスコで肉をよく煮たまま、フラスコの口を熱して閉じた。
熱が消毒の役目を果たすから、内部は清浄な環境だ。
もしそうなら腐らないはずだ。
腐らない。
1日、1週間、1ヶ月、1年経っても腐らない。
「自然にはわいてこない」のだ。
腐敗には何か原因があるに違いなかった。
一方、光の屈折と分光について研究する部門。
ここに一人の聡明な僧形がいた。
彼の名は詹森。
南蛮渡来の眼鏡について研究していた。
凸レンズは物を大きく見せる。
凹レンズは物を小さく見せる。
二つを組み合わせると色収差(レンズの縁のボケ)がなくなる。
これを組み合わせると様々な種類の組み合わせレンズが出来る。
レンズ研磨にはカーブジェネレーターを使う事は学んでいる。
工学的中心(光軸)と物理的中心(重心)を揃える高速回転砥石も自作している。
彼が路易という僧形が悩んでいるのを聞いて、顕微鏡を試作した。
倍率20倍、物が大きく見える。川の水はきれいに見えるが、無数の微生物が見えた。
焦点距離の微調整が出来るネジとノブを取り付けた。
倍率をどんどん上げていくと色収差(レンズの縁のボケ)がひどくなった。
凸レンズの数を増やせば倍率は上がるが、万華鏡みたいになって何だかわからない。
試行錯誤の結果、3群5枚構成の組み合わせレンズに光明を見いだした。
倍率100倍、納豆に無数の納豆菌が付着している。
麹はコウジカビだった。
発酵と腐敗は細菌やカビの優勢で決まっていた。
なんという事だ。
まわりは微生物や細菌やカビでいっぱいだった。
彼は路易にこの事を告げ、顕微鏡を覗かせた。
早速、彼は煮沸した肉と腐敗した肉のサンプルを、薄片にして顕微鏡を覗いた。
もはや間違いない。
空気中には、様々な細菌やカビが浮遊しているのだ。
それが湿潤な環境に沈下して、取り付き、増殖する!
煮沸と真空はその環境を提供しないし、細菌もカビも消毒してしまう。
だから腐らないのだった。
缶詰を先に発見しておきながら、後にやっと腐敗の原因を発見したのだった。
「コレ、順序が逆じゃね?」
「だが、これがイイ」
奇妙寺化学事業部の僧形たちは奇妙に納得していた。
次回は解剖図です。