1420-1438年日本住血吸虫症002(特効薬)
特効薬プラジカンテルの発見です。
薬剤からのアプローチ:高分子化学による合成
第二段階(中間宿主の絶滅)は淡水カタツムリとの戦いだった。
これはミヤイリガイの絶滅という決着がついている。
あとは第三段階(吸虫本体の絶滅)だ。
1422年。
酒石酸カリウムアンチモニウムが発見された後も新薬探求は続いていた。
日本住血吸虫だけを選択的に殺す薬品を合成する。
あーでもない、こーでもないと分子構造をいじって、新薬を作っては廃棄の連続が始まった。
総当たりで実験し、記録していく。
有機化学のいわばライブラリー戦争である。
ここで目をつけられたのは柳の樹皮から抽出するサリチル酸だ。
紀元前から知られる医薬品だった。
古代ギリシャ、シュメール、レバノン、アッシリアの書物にも鎮痛効果ありと記述がある。
このサリチル酸をアセチル化したものがアセチルサリチル酸(アスピリン)だ。
1423年。
このサリチル酸を塩素化したものが5-クロロサリチル酸だ。
5-クロロサリチル酸と2-クロロ-4-ニトロアニリンの合成物ニクロスアミド(Niclosamide)が完成した。
出来たニクロスアミドで早速に実験をおこなった。
その結果、「クロロサリチル酸アミド」と「ニクロスアミド」の殺貝剤としての効果は97.8%と100%であった。
だが魚類も50%と100%死亡してしまう、もろ刃の剣である。
1424年。
全く関係無い分野での研究が思わぬ進展に寄与する事がある。
この場合は、副作用の少ない少量で効く精神安定剤の研究がそうであった。
精神安定剤の探索により、ピラジノイソキノリン物質群が候補に上がっていたが、破棄されていた。
これは大量に投与しないと、精神安定剤としての効果が現われないからであった。
ただ捨てるのはもったいない。
ヒトではなく畜産に効用がないか、獣医スクリーニングされる事となった。
畜産業での家畜は畜舎でのストレスが問題となっていた。
豚などはストレスの為に仲間の尻尾をかじる事がある。
こうして400種類もの物質がスクリーニングされた。
その中から偶然、プラジカンテルという物質が発見された。
これを投与した畜獣から寄生虫が消えてしまったのだ。
さらに実験を繰り返した。
日本住血吸虫症に効果があるかもしれない。
動物実験において、ウシや猫などに寄生する吸虫における薬効は有効であった。
遂にヒトについての試験がなされた。
まず少量(25mg/kg)から試した。
これは酒石酸カリウムアンチモニウムの投与量と同じだ。
毎日投与して20日間以内なら、酒石酸カリウムアンチモニウムより薬効がある。
1日目投与。
2日目全滅。
恐るべき薬効である。日本住血吸虫症は消えてしまった。
こうして日本住血吸虫に有効な薬品、プラジカンテルが発見されたのだった。
服用は1錠あるいは1錠を複数回に分けて服用すれば良い場合もあった。
日本住血吸虫は門脈に潜んでいると前前回に述べた。
門脈は消化器官から栄養を吸い上げる専用の血管である。
服用されたプラジカンテルは真っ先に小腸大腸から門脈に吸い上げられた。
こうかはばつぐんだ!
酒石酸カリウムアンチモニウムが毎日静注で20日間だったのとは隔世の感がある。
作用機序は寄生虫を麻痺させて収縮し、溶出することしか事しかわかっていない。
推測になるが麻痺、収縮、溶出の段階から見て、細胞膜の透過性を阻害または過剰にすると考えられる。
副作用は寄生虫が収縮して内包物が血液中に溶出する事によった。
虫下しではなく、静脈血管にも潜伏している吸虫をその場で死滅させる。
その死骸は内包物を溶出して収縮する。
これが少数ならいいが、発病から経過して大量に死滅したらえらい事だ。
死骸からドロッと溶け出したものに検体の免疫系が反応する。
人体(宿主)側の免疫系が、内包物に反応して、活性化し過ぎて副作用が生じるのだ。
なお、中枢神経系で寄生虫が死ぬとその溶出により、神経脳嚢虫症を発症する場合があった。
こうして中間宿主のミヤイリガイを絶滅させ、日本住血吸虫の駆除も成った。
1438年。
5年間、発症例は遂にゼロとなった。
奇妙寺は日本住血吸虫症の終息を宣言する。
とうとう1匹残らずいなくなった。
だが油断はならなかった。
あの1匹が最後の1匹とは思えない。
また、プラジカンテル耐性の日本住血吸虫が、いつ現れるとも限らないのだ。
終息はしたが、なぜ甲府盆地の周辺に日本住血吸虫症が散逸しないのかは謎のまま残った。
次回は真空の発見です。




