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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第12章(最終章)
166/169

1616年清国vsイギリス(1/2)

清国。

それは最後に残った奇妙寺の手が及ばない国家。


清国は極端な中華思想のため、鎖国している。


 歴代王朝の皇帝が、朝廷のある天下の中心を支配し、周辺は蛮族の家来であるという思想だ。

周辺とは東夷(ニッポン)など、西戎(トルコ)など、北狄(モンゴル)など、南蛮(マラッカ)などだ。


 天子の恩恵によって周辺蛮族を教化して、秩序と文明を与えるのが中華思想のポリシーだ。

 それゆえ海外通商貿易は、対等の相手としての通商はなく。朝貢貿易しか認めない。


 イギリスの通商使節団が訪京した時も、三跪九叩頭の礼を要求し、拒否されている。

 団長はイギリスの紳士(ジェントルマン)であり、対等の相手として通商を求めに来た。


礼儀は尽くすが、イギリスは蛮族でもなく、ましてや屈する朝貢国ではない。

団長は片膝をつくイギリス式礼節を持って、皇帝に謁見した。


 皇帝は遠路の労をねぎらい、この無礼な挨拶を許したが、次の使節団は謁見出来なかった。

この時の皇帝への貢ぎ物も、清国にとってはしょぼい物ばかりだった。


 時計は始皇帝(BC256)の時代に発明された骨董品、コンパスは指南車といって黄帝時代(BC2500)に既にあった。

 望遠鏡は遠眼鏡と呼ばれ、既にイスラム天文学とともに広東から持ち込まれていた。


天工開物という明代末に出た書物がある。

いわば明国の産業技術書だ。


そこには全てを水力や畜力で補った機械化装置による産業がしたためてあった。

たとえば製鉄所は高炉、軽炉がある。


高炉は1800℃~2000℃の銑鉄を作る装置だ。

これでドロドロの溶けた銑鉄と鉄鉱石のスラグ屑を分ける。


 銑鉄は、このままだとイオウ等の不純物があるので、空気(酸素)を通して燃焼させる。

燃焼の反応熱で再加熱は不要、不純物は酸化物となり、ガスとなって四散する。


これが軽炉の役目である。

ここでニッケルやクロムの酸化物投与を行い、鉄は強い鋼となる。


日本では刀鍛冶が不純物を叩き出す事で銑鉄から鋼に作り替えていた。

叩く時の火花の具合で、不純物の適度を知る熟練の技だ。


明代末に製鉄所で、銑鉄から鋼を作る技術を、すでに明国は持っていた。

他には人力外輪船のイラスト、水力機織り機の詳細まであった。


つまり成果物(作成+開発+製造の結果)は同じ、中華思想にもなる訳である。

生産速度と量産効果さえ目をつぶれば、明国には全てが揃っていた。

実際にも産業革命が起こる要素はすべて揃っていた。


 そろい過ぎていると意欲が湧いてこない、積極的になれないというのもあったろう。

理由は不明だが、明国では産業革命は、微塵も起こらなかった。

明国は清国になっても、この体制は変わらなかった。


 「最新の技術品で御座います」と吹聴した使節団は、朝廷の宦官に笑われ、泣きながら帰国した。

だが、ちゃっかり交易の目的の一つだった茶の茶樹だけは、盗木して帰った。


茶樹を持ち帰り、コルカタ(インド)で栽培しようとしたが成功しなかった。

茶樹の最適土壌pH値は4.0~5.0と酸性で、施肥にも注意を要する。


これは普通の畑の微酸性~中性(pH6.0~7.0)より、かなり酸性に寄っている。

茶の栽培にまず必要なのは、酸性土壌寄りの園地の選択だったのだ。


 土壌pH値が土と作物に与える影響を、清国の専業農家から聞かずに、盗木した結果がこれだった。

 絹の秘密を盗んだ時は、蛾の幼虫の蚕を手に入れるため、その卵と桑の葉を盗む事で上手くいったのだ。


 イギリスはフランシスドレークの私掠船の時代から盗むという行為を正当化してきた。

略奪摂取するのは「やりくり」で、欲望と要求の赴くまま、イギリスは進んできた。


白人至上主義の魔手が、今度は清国に降り掛かろうとしていた。


イギリスは密かにホニャララを密貿易して、開国を迫ろうとした。

 そのホニャララを満載した艦船を、奇妙寺海上警備隊に発見され、艦船を爆破されている。

ホニャララは阿片だった。


イギリスは当時「茶・陶磁器・絹」を清国から輸入し、銀で支払っていた。

 輸出は、時計や望遠鏡といった富裕層の好事家向けの嗜好品で、極めて少量であった。


輸入超過で輸出不足、これでは通商にならず、イギリスはジリ貧であった。

特に茶葉は盗木に失敗し、どうしても輸入でしか手に入らない貴重品だ。

茶葉は紅茶に必要であり、英国のステイタスでもあったからだ。


清国は前述したように、何でも国内に自給自足の経済圏があった。

海外と通商してもしなくても、別に困らなかったのだ。

イギリスは輸入超過輸出減少で、支払いの銀が国外へどんどん流出していた。


そこで思い付いたのが毒性と習慣性のある阿片を清国に密輸する事だった。

 中毒に陥った清国民が、阿片欲しさに狂ったように阿片を買い込めば、しめたものだ。


代金の銀がイギリスの懐にドクドクと転がり込むだろう。

その企みを知った清国皇帝は激怒巨烈した。

広東での異国貿易を見逃していたのも停止した。


清国は広東で行っていた貿易システムもすべて香港出島に集約する。

香港出島という外国人流入防止策をとったのだ。


国立の監獄と揶揄される所以である。

以後200年間、外国人は不自由な通商を強いられる事となった。


 出島と本国は出入りが禁止されており、通商は全て出島内のカピタン部屋という建物で行われた。

<カピタンはポルトガル語、英語ではキャプテン>


 日々何千トンという物資が流通している時代において、建物に入る2000kgぽっちの物資しか扱えない。

これは貿易ではなく、フリーマーケットのようなものだった。


部屋に積まれた製品や机の上の商品を眺めながら、値段交渉するのだから。

 流通やサービスで儲ける総合商社イギリスとしては、歯がゆい思いをすることとなった。

阿片の密輸なんか企てるから、こういう事になるのだ、自業自得である。


イギリスはよだれを垂らして、巨大市場を目の前に、ワキワキしていた。

 だがマラッカ海峡は奇妙寺艦隊によって、封鎖されており、香港出島はその絶対防衛圏の中だ。


もはや全面戦争をおこして開国を迫るしかない、そうイギリスは密かに決断した。

次回は1616年清国vsイギリス(2/2)です。

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