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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第12章(最終章)
159/169

1598年アフリカ(6/7)

天下布武で取り締まり、幼少期の教育で社会的な情動的な性質を根付かせる。

近代化は幼少時から徹底的に教育を根付かせなければダメだ。


簡単に言おう、アフリカ人を日本人にしてしまうのである。

アフリカを日本にしてしまうのである。


どんなにうわべだけを援助しようが、基礎基本が構築されていなければダメだ。

畑を作ろうが、潅漑水路を作ろうが、維持にはメンテナンスが必要だ。


潅漑水路を作る重機とセメントはどうやって作る?

重機を構成する内燃機関とシャーシはどうやって作る?

内燃機関(エンジン)を作る工作機械はどうやって作る?

工作機械を構成する機械要素はどうやって作る?

機械要素はどうやって作る?

材料はどうやって作る?

材料を作る原料は?

原料の調達は?


これが根付かなければ、故障し打ち捨てられ、錆びて廃棄されるだけだ。

学校で教育し、実習を経て、現場に送り出す。


気の遠くなるような長期計画である。

脱落者も多く出るだろう、それの救済も必要である。


例えば、鉱山で掘った鉄鉱石(原料)。

これらは製鉄所でスラブ・ブルーム・ビレットに製造される(材料)。

その半製品を圧延、鍛造、切削して部品に仕上げる(機械要素)。


部品は組み立て工場で製品に組み立てられる。

生産技術課が工程を立案し、用具と治具が供給される。

組み立て工程は流れ作業で、簡単にくみ上げ出来るよう調整されている。


組み上げは単能作業の繰り返しだ。

教育実習について行けなくなった若者が群がるだろう。

こうした救済も含め、ルーチンに組み込んでいけばよい。


この仕組みが完全に出来上がるのは最低20年掛かるだろう。

今、成年した若者には、残念ながら、もうどんなに教えても根付かない。


幼年教育の本筋は学力よりも忍耐力の育成にあるのだ。

どんなに子供の自発性を大切にしても、いつか必ず失敗にたどり着く。


それを社会性スキルで乗り越え、成功体験に導くのが幼児教育の本懐だ。

子供の失敗は取り返せるが、大人になって失敗を学ぶにはリスクが大きすぎる。


頭が良くなる必要はない、そういうスキルの人材を従えればいいのだ。

信長は軍師官兵衛や竹中半兵衛、秀吉を従えてみて、よーく分かったのだ。


今のアフリカには国境がない。

信長は流通の効率化のために今の今まで国境を定めなかった。


だが主権国家として、国境は必要だ。

特に地下資源などの利権の問題については、国境が無いと奪い合いになる。

また国策に失敗して破産した国家からの難民の越境問題もある。

たいていは山脈の山稜や河川が自然的国境となった。


アフリカには大小無数の氏族や部族が王国を作っている。

 無数の氏族や部族、王国がニジェール川(4180km)、コンゴ川(4700km)、ザンベジ川(2750km)に沿って乱立していた。


山には無数の交易ルートがあり、川には無数の航路が存在した。

これを信長は部下に丹念に調べさせ、それらの交通量や流通を調べた。


 使えない山道は廃道とし、往来の多い山道は整備あるいは隧道として、便宜を図った。

そうすると自然と、零細で矮小な氏族は巨大な王国に飲み込まれて安定した。

これが人為的国境となった。


全てを許し共に生きていく事は、ここアフリカでは出来なかった。

16世紀のアフリカは適者生存が最適な決断なのだ。


こうしてアフリカの地図がとりあえず完成した。

国境が定められ、領土が制定された。


アフリカには国境線が出来たので、密輸を厳しく制限した。

税金逃れ、武器の無許可輸出など、密輸の種類はいろいろである。


国境には検問所が有り、管理はそれとなく厳しかった。

道に書いてある四角い白い枠は実は重量計である。


兵器を密輸すれば、重量で分かった。

電磁誘導を利用した警報装置もあり、利得の高い純銅はそれで分かった。


運んでいる運転手には気付かれる事はなかった。

中身を抜いてすんなり通してあげた。


密輸業者が中身をあけると一枚の紙切れを見る事になる。

「輸出貿易管理令等に違反した物品を没収しました。 織田信長印」


 密輸業者は織田・マリ国を恐れ日本語で「オダマリ」とか「マリオダ」と呼称した。

こういうダジャレが日本人風になった証だとも知らず……。


ダジャレといえば、ナイジュリア南西部にはエド州(Edo states)というのがある。

 そこの州長に日本の江戸の話をしたら、なぜか気に入ってしまい、アフリカのエドを気取るようになった。


「てやんでい、エドッ子でい」「あたぼうよ!」「べらんめい」

エド州へ行くとこういうコトバ遊びを聞く事が出来る。


織田・マリ王国の理想は全て叶ったわけではない。

教化したタンザニアでは、急成長の歪みが出ていた。


 コンゴ王国の隣国タンザニアでは開発を急ぐ余り、政治の汚職と腐敗が進み、失敗した。

収穫高を偽り、輸出を優先した結果、耕作地は荒れ地に、農民は飢餓に陥った。


そのため難民が発生し、われさきに国境を越境してコンゴに流れ込む。

 信長は看過しきれず、とうとうタンザニアに兵を差し向け、征服し統治を特別行政区(1国2制度)にした。


タンザニア政府は存在するが、いわゆる「傀儡(かいらい)」である。

100年にわたる租借地として不自由な統治を強いられる。


この仕置きに全アフリカ諸国家は沈黙した。

つまり、けっこうみんなが、汚職に手を染めていたのだ。

次回は1598年アフリカ(7/7)です。

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