1594年最上義光(3/3)
目の前を通る機械は、利長の想像を絶していた。
上方では見た事も無い機械が活躍している噂は聞いていた。
織田軍と武田連合軍の壮絶な戦いでは航空機が使われたと聞く。
だが船から下りてきたのは船だったというぐらい大きい。
聞くと見るのでは大違いだ。
壮絶に違っていた。
「山を砕き海を蹴散らし」とはこの事だ。
「え、これが部品なんですか」と利長。
「現場で組み立てます。大きいので」と僧形。
直径6mのシールドマシンになる予定だった。
でかい。でか過ぎる。蛸石ぐらいあるぞ。
大坂城公園にある巨大な石を利長は観た事がある。
だが利長はその掘削速度にさらに仰天した。
「1日10mも掘削するのですか」
「遅いですか、すいません、1日15mにします」と現場監督。
いや、そうじゃなくて……速過ぎるだろ。
10年計画の筈が半年とかありえないだろ、おかしいだろ。
掘削距離は2000mだ。
月に掘進300mしか進めない。
だが頑張って月進450mにした。
2000mだから4.5ヶ月掛かる計算だ。
こうして掘り進めて5ヶ月後。
隧道が完成した。
「ばんざーい、ばんざーい」作業員の歓声が隧道内に響いた。
{万歳の起源は明治時代:実際は「えいえいえい」}
「ありがとうございます、コマツ殿!これで庄内平野も安泰です」と利長。
「ダイジョウブ、シンパイハイラナイヨ」
「はあ」
「失礼、うわの空でござった、ばんざーい」と僧形。
「ばんざーい、ばんざーい」利長の目には涙が光っていた。
「え、川の水温が低すぎて使えない?」と利長。
折角、水を引いたのに水温が最上川に比べて6℃も低いのだ。
稲の生育に重大な影響を及ぼす問題であった。
利長はがっくりとうなだれてしまった。
「んふふふ」と僧形。
「!」「あんたまさか……」と利長。
「最上川揚水計画をプランニングしてみましたよ」
ドサッと置かれた書類には最上川から揚水する壮大な計画が書かれていた。
最上川は暴れ川であるので引水は関門を開閉して行う。
引水した川水は調整池を通り、揚水堰から7m揚水する。
これは佐渡金山で実績のある渦巻ポンプ(毎分1トン、揚程60m)を3基使用する。
一日中可動すれば4320トンの揚水が可能だ。
「は、はえぇええ~っ」利長は変な声が出てしまった。
水力発電所が設けられ、電線が鉄塔で導かれ、モーターが回りだす。
こうして最上川の水と立谷沢川の水は混ぜられて低温水問題は解決した。
すでに武田軍支配下の土地は、いつものように教化され、同化されていく。
まさしく「抵抗は無意味だ」である。
庄内平野の領民は呆然としていた。
胸まで泥に漬かって田植えをしなければならなかった沼田。
だが客土された水田は、深さがヒザ下までしかない。
山を掘削した土壌は沼田に客土として使われた。
土壌位を検査した結果、沼田に使える土の層だと分かったからだ。
排水路が縦横無尽に張り巡らされた。
水田は繁茂期は湿田でよろしいが、収穫期は乾田でなければならない。
引水と排水のタイミングが総てだった。
機械化によりすべてが上手く行きそうだ。
さらに肥料と農薬の説明会が各地で開かれた。
沼田は作付けから収穫まで全部機械化された農機具が行う。
もはや、農民なのに、作業中は土に触る事はない。
収穫作業はバインダーで行いたいと地元が申し出てきた。
コンバインは脱穀しながら収穫できて、能率の面で優れている。
すぐ機械乾燥に掛けて出荷できるのも効率がいい。
だが消費者は手間暇掛けた天日干しのお米を欲しがるのである。
バインダーで刈り取った稲を約3週間、天日干しにする。
そうすると昼夜間の温度差でお米がゆっくり熟成する、という説である。
機械乾燥も温度調節で天日干しと同じ調律は可能だ。
だが、なぜか天日干しのお米をヒトは美味しいと感じるのである。
こうして庄内平野は素晴らしい米所となった。
北楯利長は愕然として、その光景を眺めた。
すでに奇妙寺僧形コマツの姿はない。
ここで彼のやる事業はすべて完了した。
利長は礼を言うスキもなかった。
「風のように去って行った……」と利長。
最上川と立谷沢川の合流点。
清川だしという悪風(局地風)がゴウゴウと音をたてていた。
ここに奇妙寺の僧形が突っ立っていた理由に利長は思い当たらない。
偶然、コマツ僧形に会えて良かったぐらいにしか考えていなかった。
だがそうやって奇妙寺は戦略を立て、勢力を伸ばして、現在に至っている。
これがいつも困った時にヌーッと現れる奇妙寺の困ったスタンスなのだ。
駿河幕府に監視されていた利長、機を見計らって現れた僧形。
それが、今回の真相だった。
次回は1598年秀吉死すです。