1400-1440年火器000(子母砲)
火器についてです。
南蛮渡来説より早く日本に渡来した説を採用しています。
正史では応仁の乱までに火槍が輸入され、使用されています。
火門槍は初期の火薬兵器で。中国で7世紀に生まれ、イスラム世界に渡り、12世紀にマドファと呼ばれた。
その後ヨーロッパに伝わり、15世紀にハンドカノンという武器になった。
構造は簡単で、銃身は青銅の鋳造品で、側面に点火用の穴が空いたものだった。
そこに先込め式に火薬と弾丸を詰めて、点火用の穴から火を付けて、弾丸を撃つのだ。
当時の火薬は不純物の多い黒色火薬で、構造上射程も短く命中精度も期待できなかった。
日本では室町時代に石火矢なるものが使われたと記録にはある。
これは銃ではなく砲であったが、後装式カートリッジで画期的なものであった。
このカートリッジを複数個用意すれば、連発も可能だった。
奇妙寺は石火矢に注目していた。
青銅製の鋳造品で重い。
カートリッジも子砲と呼ばれ重い。
装填して子母砲として用いるのだが、とてつもなく重い。
しかも工作制度が悪いというか、えーと、じつは無い。
切削工作機械が無い時代だからしょうがないが、互換性が全くない。
発射の為のガスが、点火穴から漏れて、弾丸の発射速度が減じている。
これが奇妙寺に中国(当時の明1368-1644)から1丁だけ入って来た。
奇妙寺の僧形には素っ破(間諜)もいた。
ために正規のルートで入手ないものも、倭寇から仕入れる事が出来た。
なお火縄銃は、倭寇でも素っ破でも、どうしても入手出来なかった。
中国南部や東南アジアは既に火砲の時代である。
入手出来ない筈は無い。
日本人には売らない?
何かの思惑が働いているのだろうか?
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ここは奇妙寺機械事業部。
奇妙寺の僧形が早速集まってきた。
「この石火矢は論外だなー」
「うむー」
さすがの奇妙寺の技術に長ける僧形たちも渋い顔であった。
「こんな重いものを使えんな」
「だが子母砲は雨の日でも使える、カートリッジだからなー」
入手は出来なかったが、火縄銃のウワサは奇妙寺にも届いていた。
「こちらは、火薬と鉛玉を鉄の筒に押し込んで、発火させ鉛玉を押し出すらしい」
「う~ん、面倒臭い」
「この方法だと銃身が火薬燃焼の度に汚れるだろ」
若い僧形が答えた。
「打つ度に掃除してたら効率が悪いよな」
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「やっぱ、石火矢の子母砲を使い、カートリッジ方式を採用する!」
「重い-」
「ガタガタするー」
奇妙寺では、なんと火縄銃方式を捨ててしまった!
それをすてるなんてとんでもない!
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「まずは製作だ!」
だが銃身に穴をあける方法が無い。
石火矢は鋳造であった、それゆえに工作精度が低かった。
切削加工して、工作精度を上げるしかない。
「これ、こないだ開発した中ぐり盤で穿孔出来ないかな」
フライス盤の応用で、既に中ぐり盤は完成していたが、うっちゃらかっておいたのだ。
<甲州弁辞典・うっちゃらかす:ほうっておく>
「やってみよう」
ガーリガーリガリッ
「芯ぶれ(軸心ぶれ)がひどいな」
「ツールが持っていかれてるぞ」
「ツ-ルレストの位置じゃないのかな」
「切削油の種類じゃあないのかな」
わらわらと作業所の仲間の僧形たちが集まってきた。
精密加工に精通している技術者肌の彼らでも、この後何か月も試行錯誤を繰り返す事になる。
次回はガンドリル開発と雷管の発明です。




