1588年アルマダの戦い(8/8)北海爆弾低気圧
イギリス上陸作戦の実行には暗雲が垂れ込めていた。
その時ダンケルクから「上陸部隊撤退」の報が入った。
ネーデルランド南部10州(スペインに恭順)のスペイン領主パルマ公の逆心である。
ロンドン上陸部隊のほとんど(17000人)は、この10州からの徴用であった。
パルマ公「領地の南部10州に不審な動きあり」
「遺憾ながら急遽転進し、事態の収拾に当たります」
この期に及んで、スペイン艦隊の有様を見て、怖じ気づいたのだった。
あきらかにロンドン上陸作戦の敢行は不可能となった。
パルマ公の心境はこうであった。
プロテスタント主導の北部7州との武力衝突の恐れがあるこの時期の徴用。
だがスペイン国王フェリペ2世の援軍要請の絶対命令には逆らえない。
そこで仕方なく、ダンケルクに300隻の徴用船を用意し、兵士にも準備させた。
だがノブナガ率いるイギリス艦隊の内、ヒデヨシの分隊が沖合に陣取っている。
動くに動けないパルマ公の上陸作戦部隊。
そうだ!領地の危急の難を察して転進だ!
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シドニア公「あからさまな偽計の策なんぞ労しおって!」
カンカンに怒る司令官を副司令がなだめていたが、怒りは収まらない。
シドニア公「せめてイギリスの地を1歩たりとも踏まねば、おめおめスペインに帰られようか!」
副司令「パルマ公の上陸部隊は転進し、艦隊はノブナガの圧迫戦術で引き返す事も叶いません!」
シドニア公は副司令をキッと睨んだ。
副指令も上目遣いにシドニア公の顔色をうかがった。
シドニア公は机の上の海図を見た、北海はがら空きである。
副司令が察したように頷いた。
シドニア公「では北海をぐるりと遠回りして、アイルランド経由でスペインに帰れと……」
副司令「御意……」
シドニア公も薄々は分かっていた、もう上陸作戦は不可能なのだ。
なら、こんな場所に長居は無用だった。
イギリス海峡を逆進して帰国すれば最も近道であった。
だがノブナガ率いるイギリス艦隊が黙ってみているわけがない。
通常の3倍の航路をとってイギリスを一回りして帰国する。
それ以外に安全に帰国する道は、いや海路はなかった。
こうしてスペイン艦隊は地獄の竈の蓋が開いたとも知らず、爆弾低気圧に突っ込んでいった。
上甲板構造物を相当に破壊された機帆船、装甲艦は長長距離気象観測が出来ない状態にあった。
無線による気象予報も全て欺瞞である。
「風やや強し、次第に収まり晴れるでしょう」
「風やや強し、次第に強くなり暴風雨となるでしょう」が実際である。
100隻以上の残存艦がありながら、満足に気象観測も出来なかった。
総員が上甲板やデッキに出て、空を睨み、空気の匂いを嗅いだ。
辺りが暗くなり、雨が降り始め、風が強くなってきた。
波頭に向けて船首を向け、転覆しないようにする。
今でもタンカーが真っ二つになる北海低気圧に突っ込むのは愚の骨頂だった。
だが帰国するには、この悪天候を乗り切るほかない。
ますます風波は強くなり、波頭に白い飛沫がぶつかり合った。
1時間に400ミリの集中豪雨、風速70km/hの突風が吹き始めた。
イギリス西部のアイルランドは、敵地で野蛮人の住む粗野な土地である。
イギリス人技術奴隷に作らせた近代兵器で武装した厄介な土地だ。
そのアイルランドの沖で風雨を避けようと、ドニゴール(Donegal)湾に退避した時の事であった。
暴風雨に混じって大砲を撃つ音が聞こえてくるのである。
ドグオーンッ、ドグオォーンッ。
沿岸部で閃光を確認!アイルランド原住民だ。
狙いはメチャクチャだ、というより狙っても当たらない。
という事は当たるかもしれない、という事だった。
ズガアアーンッ、直撃だ!
シドニア公「どの船か!」
測的員「サン・ディアゴ、直撃です!」
この暴風雨だ、みるみるうちに船影は荒波に消えてゆく。
助かった者もいるだろうが、この白い波頭砕ける荒波の上では、為す術もなく沈んでいく。
また、岸に流れ着いても、凶悪な原住民に八つ裂きにされる。
イギリス領事に斬首した首を見せて、褒美をねだるだけだろう。
こうして5時間の停泊の内に500近くの砲弾が撃ち込まれた。
「ラビア」「サン・ファンデ・シシリア」の2隻がさらに犠牲になっていた。
シドニア公「こんな事で、あたら命を捨てることに……」
第一第二の爆弾低気圧をくぐり抜けたのも束の間、最大最後の爆弾低気圧が待ち構える。
荒波に翻弄され沈没、暴風雨に押し戻され座礁して沈没、敵性原住民の砲撃で沈没……。
実敵はイギリス艦隊ではなく、100年に1度の三連爆弾低気圧なのだった。
こうして47日目にスペインのサンタンデールに帰国したスペイン艦隊。
130隻で出撃したスペイン艦隊は65隻(うちアイルランドで沈没行方不明46隻)に減じていた。
人員に至っては47.6%しか生き残れなかった。
スペイン無敵艦隊とは一体何だったのか?
イギリス海峡での小競り合い、上陸作戦の頓挫、北海低気圧による沈没。
ノブナガの心理作戦に引っ掛かって自滅した感が強い。
こうして無敵艦隊はイギリスに指一本触れる事なく敗北……。
いや宣戦布告を正式に布告したわけではなく、それゆえに敗北という文字は相応しくない。
すべては有耶無耶にされてしまったのだ。
フェリペ2世「ぐぬぬ……」
一方イギリスのバッキンガム宮殿の私室。
無敵艦隊沈没の第一報が入ってきたところだ。
エリザベス女王「……」
海賊ドレーク「……」
エリ「ホホホ……」
ドレ「フフフ」
エリ「おーほっほっほっ」
ドレ「ぶわあっはっはっはっ」
嵐の中で自滅した無敵艦隊に笑いが止まらない女王と海賊。
高笑いと歯ぎしり、運命が天と地を分けたのだ。
フェリペ2世「余は嵐と戦うために艦隊を派遣した訳ではない」
なおそう言った国王であったが、帰還者には手厚い庇護の手を差し伸べている。
そこには、かつてのフェリペ2世の唯我独尊の勇姿はない。
持病の痛風が悪化し、ペンさえも持てない身体になってしまったのだ。
贖宥状の意味もあったのかもしれない。
罪の許しを請い、天国への門を近くに!という贖罪の意味もあったろう。
車椅子の生活と褥創(じゅくそう:床ずれ)に苦しむフェリペ2世は、黄泉の世界を彷徨う亡者もかくやという姿である。
肉が大好きで野菜を摂らず、病床にあっても、チキンスープを好物としたフェリペ2世。
高尿酸血症で動けなくなり、寝たきりで全身性、局所性廃用症候群に陥ったのだ。
奇妙寺出身の医療スタッフたちの食事療法も聞かず、改めなかったために病状はさらに悪化した。
フェリペ2世「好きに生きてきた、最後も好きにさせてくれ」
1598年、マドリードから50km離れたエル・エスコリアル修道院で崩御した、享年71歳。
ここにひとつの時代が終わった。
スペインはこの後も、中世封建制の残滓を色濃く残したまま続いてゆく。
1608年スペインはフランスのピエール第一統領により征服の憂き目に遭う。
これがスペイン・ハプスブルク朝の終焉となった。
一方イギリスは「国王は君臨すれども統治せず」として議院内閣制をとった。
ここに大きな差が現れ、スペインは「日の沈む帝国」として没落してゆくのである。
文中のフランスのピエール第一統領は架空の人物です。
<詳細は1606年欧州征服に出てきます>
次回は1591年九戸政実の乱(1/3)です。