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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第2章
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1400-1440年南蛮の技術005

高炉+軽炉+平炉の製鉄が始まります。

多段圧延ロール機が登場します。

缶詰を発明してしまいます。

高炉はでかい煙突の化け物のような形の製鉄炉である。

5mぐらいの高さに耐火レンガを積み上げる。

耐火レンガは反射炉で散々に勉強してきた実績があった。


作陶家は木節粘土、蛙目粘土で耐火レンガを作る事をすすめてきた。

これらの粘土にはアルミナ分が多い事を知っていたのだ。


通称アルミナとは高融点(2072℃)の酸化アルミのことだ。


これで作る陶器はアルミナ陶器と呼ばれ、珍重されている(美濃焼、景徳鎮陶磁器など)。

これを塊のまま焼成して粉末状(シャモット)として、耐火レンガの材料とするのだ。


高炉は炉底部、出銑部、羽口部、炉腹部、炉頂部に行くに従い温度が低くなる。

炉底部は2000℃、炉頂部は200℃で熱膨張も全然違う。


奇妙寺では何回も組んでは失敗し、組み方を研究した。

煉瓦も焼いては失敗し、煉瓦の山が出来るほどだった。


ようやく理想の組み方に到達したのは第15号高炉だった。

「うっうっ、ようやく高炉が……」

研究員の無名の僧形達の喜びもひとしおだった。


 骸炭と鉄鉱石を、二色ソフトクリームみたいに混ぜ合わせて強熱して溶かし、銑鉄を作る。

すると骸炭の炭素と酸素が結び付き、一酸化炭素が炉内に発生する(不完全燃焼)。

これが鉄鉱石に含まれる酸化鉄を還元して鉄に変える。


不純物(二酸化ケイ素)を除去する為に石灰石を入れ、スラグとして取り除く。

グツグツッ、グツグツッ。

今までの木炭のたたら製鉄では1200℃が限界だった。

鉄の融点は1538℃なので、ドロドロの水アメのようにはなっていた。

だが高炉は1600-1800℃に強熱出来る為、完全に液状の銑鉄になった。

最後に出銑口を破壊して、銑鉄を取り出すのだ。


(真っ赤な)白色に輝く溶鉄がほとばしり出た!

「ばんざーい」

「ばんざーい」

僧形達の歓声がいつまでも響いていた。

{万歳の起源は明治時代:実際は「えいえいえい」}


しかーし。


銑鉄(溶鉄)には炭素を多く含む(3~4%)。

つまり衝撃に弱く割れやすい。

このままでは使えないのであった。


この段階で「たたら製鉄」では鍛冶屋が再加熱鍛錬を行っていた。

叩いて叩いて、不純物を火花として叩き出す方法だ。


奇妙寺では、今までは「反射炉」を使っていた。

ロケットストーブで再加熱して、不純物を燃やす方法だ。


だが、ここに登場するのは「転炉」という方法だ。


転炉は宋の時代にすでに使用されていた。

加熱なしの爆風炉に、「銑鉄を入れて、ふいごで空気を送り込んだ」とある。

<現在ではRobert Hartwellの歴史書に記載がある>

これは現在のベッセマー(軽炉)工程と同じだ。


転炉にはグツグツ煮立った溶鉄が入っている。

これに空気(酸素)をふいごを使って通す。

残っていた炭素が燃えて二酸化炭素になって蒸発する。

 また残っていたケイ素やリン酸やマンガンは、酸素と反応して不純物となって浮かぶ。

これを掻き取って、不純物を取り除く。


酸化反応は燃焼という形を取るため、(酸化)熱を発生する。

このため、転炉は過熱不要である(外部燃料不要)。


この工程の後に平炉工程がある。

この工程が明時代の書物「天工開物」に記載されている。

竹の棒で混ぜながら、添加物を入れる様子が描かれた挿絵が残っている。

耐熱服もなく着物で炉心の縁にたたずんでいる絵だ。

この挿絵もやはり現実的に正しいとは言えない。

おそらくは抽象的説明なのだと考えられる。


平炉では必要な希少元素を銑鉄に付加する工程がある。

例えばフェロクロム、フェロニッケルを付加してステンレス溶鋼を作る場合など。

ここで鍛冶屋の宮天(ぐうてん)が活躍した。

配分する量や混合するタイミングは彼の指示で行った。


こうして溶鉄は溶鋼となって次の工程にすすむ。


 実際には連続鋳造に移るが、溶鋼の垂直下降にブレーキを掛ける電磁ブレーキ(LMF)が開発されていない。

 連続鋳造の速度管理が出来ないので、ここでは昔ながらの分塊法を使いたいと思う。


この段階で溶鉄は鋳型に流し込まれ、それぞれが製品の一段階前の半製品となる。


スラブ:巨大かまぼこ。圧延して板材に加工される。

ブルーム:巨大角材か円柱。引き伸ばして棒鋼や線材になる。

ビレット:ようかんみたいな角材か円柱。小口径の棒鋼や線材になる。


これらの半製品を熱間や冷間圧延したり、ギューッと引き延ばして線材を作る。


スラブを再加熱(1250℃)して柔らかくした後に粗圧延で厚みを半分に減じる。

 これを7~8回仕上げ圧延で延ばして、板厚1~3mmの冷間圧延鋼板の出来上がりである。


圧延ロール機は3段に重なっていて、強力に板材を圧延出来るようになっている。

これは板金を延ばす時にクラウンが生じるからだ。

うどんやパイ生地を棒で延ばすと、真ん中が力不足で、ふくれてしまう。

ロールで板金を圧延する時に、この現象が生ずるのを防ぐ。

 多段圧延ロールは、その役目を担っている。

挿絵(By みてみん)


こうして鋼板、棒鋼、形鋼、平鋼がどんどん生産されていく。

これらは定尺材に切り揃えられ、工場の天蓋倉庫に山積みになった。


この工程の下流にある冷間圧延工程がプレス工程であった。


 ハンドプレス機、足踏み式プレス機から5000t級の門型プレス機まで様々な種類がある。


1399奇妙寺前史で既に、足踏みプレス機については述べた。

てこの原理を利用して、足の力で板金をプレスする。

手工業の域を出ないものだったが、これが結構使えたのである。。

足踏みシャーリングマシン(断裁機)もこの部類にはいるだろう。


 やがてベルトドライブで水車から動力を得たプレス機はコの字から門型の筐体を持つプレス機に変容する。

 4つのガイドが付いた(金型が付く)ラムがクランクシャフト機構により往復運動をする。

下死点で、下金型と上金型がドッキングして、板金を塑性変形させる。

 この辺は動力が蒸気機関になり、電動モーターになり、油圧に変わってもほぼ同じである。


なお金型製作にはフライス盤が用いられる。


「むひひ」

今日も僧形の宮天(ぐうてん)は絶好調である。

深絞り6段変形を遂に編み出したのだ。


一枚板の板金を深く絞ると求める形状に対して割れ、しわ、耳や発生する。

 それを治すために紆余曲折、ダイやらピン長さやら潤滑液やら何やら変えてついに完成した。

「缶ジュースじゃ~!」と宮天は咆哮した。


ジュースを缶に詰めるのはビンのような長さが必要だ。

何とかして深絞りで一枚の板金から缶を作る!

ジュースマニアの宮天が立ち上がったのだった。


「ふへへ」

こうして完成したジュース缶。


「うぎっ」

しかしフタをどうカシメていいか分からない。

「フチを巻き込んでみたらどうだろうか?」

こうして考案されたのが巻締機である。


工程を何段階にも分けるのが得意な僧形、宮天。

彼の独壇場であった。

第1段階は

①缶胴上部と缶蓋の部分をピッタリ合わせる

②巻締め第1ロールで70%巻締めする

挿絵(By みてみん)


第2段階は

③第2ロールで100%巻締めする

④缶胴の蓋部分が密閉される。

挿絵(By みてみん)


巻締めは脱気環境で行われる。

 <現在はシーリングコンパウンド(ゴム材)を缶蓋の巻締め部に塗布し、さらなる密閉性を追求している>

この工程の後で殺菌の為に100℃以上で加熱する(例えば115℃で5分)。

{注意:現在の食品衛生法はph4.0未満でも65℃/10分以上の殺菌が必要です}


うっかり1400-1440年にカンヅメの原理を発明してしまったのだ。

こうしてカンヅメが出来ると、我先に戦国大名が買いに走った。

 「おいしそうなのを適当に見繕って売ってくれ、ウチは10万缶買うぞ、値段は言い値でいい」

「ウチは100万缶買うぞ、倍の値段は出す」


世は戦国時代である。

糧食は戦の最も重要な兵站であった。

100万缶と言うと多いような気がするが、1万人の兵士の100日分と考えると少ない。


また南蛮でも長期航海でカンヅメは必要であった。

だが1500年代にならないと、ポルトガルは東アジアにやって来ない。

やって来ない国にあえて発明品を知らせるすべはまだ1400年代にはなかった。


「実は……」

すでに、丁翁(ていおう)は国際的な商人となっていた。

多くの部下を持ち、全国はおろか東南アジアにまで雄飛し、交易を行った。


14世紀からすでに、日本人は海外に日本人町を作っている。

タイ国のアユタヤ、ベトナムのホイアン、カンボジアのプノンペン等々。


丁翁の部下は、さらにマラッカ王国まで足を伸ばした。

南蛮の地でポルトガル人に会うためだ。

ポルトガルの商人に缶詰を見せていたのだ。


公式の記録には残っていない。


ポルトガル人はスパイス探訪の旅のようであった。

 西欧ではスパイスの産地を必死になって探していた。

だがイスラム商人は秘匿として、絶対に明かさなかった。


若い商人は確信していた。

南蛮人は、はるばる西欧からここまで来るのである。

缶詰は絶対に必要な長期保存食料としてバカスカ売れる!


<当時、迷信の為、南アフリカ経由の航路はまだなかった>

<エンリケ航海王子(1394-1460)の冒険まで待たねばならない>


そのポルトガル人は缶詰の匂いを嗅いだ。

匂いはない。

そりゃそうだ、匂いがあったら漏れてるし……。


ポルトガル人は興味なさそうに缶詰をポイポイした。

「あっ」

ガツッ、カラカラッ。

缶詰はイヤな音をたてて床に転がったが、汁はもれていない。


ポルトガル人はスパイス探索に躍起になっていた。

匂いのないものは無意味だ。

鉄細工の丸い缶なんぞに興味はない。


若い部下の商人は激高した。

 本当はポルトガル人が興味を示したら、缶詰の優れた長期保存性を説明するつもりだった。


だが、何だよ、この扱いは……。


彼は缶詰の説明をせず、引き下がった。

虫の湧いたビスケットと腐った塩漬け肉に苦しむがいいさ!


「ええっ引き下がっちゃったの?商人なのに……」と松戸彩円。

「面目ない、若さゆえのあやまちというものは」と丁翁。

「彼も経験不足で申し訳ない」


こうして南蛮は長期航海の地獄にしばらく苦しむ事となる。


運が良かったのだ。

もし缶詰で、長期航海が苦もなく可能になったら、戦国日本はひとたまりもなかった。

ポルトガルは、100年後の1517年のマゼラン世界一周の際に缶詰を知る。

日本艦「まみや」が同行するためだ。

こうして、缶詰は国内だけの流通になったが、その利益はまたべらぼうであった。


戦国時代なのだ。

糧食は、いくらあっても足りなかった。

また空き缶が戦場に捨てられ、小山のようになった。


これをくず鉄として回収して、製鉄所に売る商売が流行った。

「廃品回収業者」である。

消費と廃棄と回収のリサイクルが出来始めていた。

次回は火器です。

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