1588年アルマダの戦い(2/8)発動
フェリペ2世「エリザベス女王を引き据えて来い!」「懲罰を加えてやる」
イギリス遠征作戦はついに発動を許可されたのだ。
作戦内容はイギリスに上陸してロンドンを制圧、エリザベス女王を拘束し、バチカンに移送する、だ。
大胆不敵、かつ荒唐無稽で危険極まりない計画だった。
地中海やジブラルタル海峡向かいのモロッコへ進撃するのとは桁が違う。
海の上で戦い、イギリス海軍を蹴散らし、陸からの砲撃を沈黙させてからの上陸作戦だ。
上陸地点は複数が選ばれた、ワイト島、ポーツマス、サウサンプトンだ。
フェリペ2世「よし!わかった、ここにしよう」
サンタ・クルス候「それはいけません」
フェリペ2世「な、なにおう!」
サンタ・クルス侯「どれも巨大艦隊駐留にうってつけであり、イギリスもそれを承知で、駐留軍がいる」
フェリペ2世「お、おう」
サンタ・クルス侯「ブリテン島の西の端にあるプリマスをオススメします」
フェリペ2世「お、おう」
プリマスはロンドンから遠く手薄であり、橋頭堡は容易だろう。
蟻の穴から堤も崩れる、である。
フェリペ2世は歴戦の勇将、スペイン大西洋艦隊総司令官サンタ・クルス侯がキライだった。
海戦の知識が豊富で、正すべきは正す忠臣であった。
それは認める。
しかし「閣下、それは悪手です」「無理攻めはいけません」等々。
事あるごとに諫められては、支配者のプライドが傷つく。
忠義者もいいが、もっと扱いやすいヤツがいいな……。
上陸地点はプリマスと決まった、イギリス上陸の橋頭堡だ。
そこから飛び飛びに進軍し、ワイト島、ポーツマス、サウサンプトンの順に占領して行く。
サウサンプトンからロンドンは100km強、目と鼻の先だ。
強襲部隊がロンドンに侵入し、エリザベス女王を拉致し、バチカンに引き据えるのだ。
火器、砲弾、薬嚢、そして兵士の士気に関わる戦闘食などの兵站が約3万人分必要な事が分かった。
ただちに準備が進められ、人員と軍船がかき集められた。
上陸部隊は陸戦隊であり、上陸までの航行の間は「厄介者」である。
そのため水兵は装甲艦に、兵士は巨大な兵員輸送船に分けて乗船となった。
以前は航行の間に、兵士が水夫を見下したり、その逆も然りでいざこざが絶えなかった。
そこで今回は完全分離となり、「自分の事は自分でする」形態に落ち着いたのだ。
またネーデルランド南7州はカトリック支配の親スペイン派であり、スペイン人のパルマ公が統括していた。
上陸部隊のほとんど(17000人)が、ここから徴用するとフェリペ2世は命令した。
実は、南部7州は北部10州と拮抗状態にあり、戦力をイギリス上陸に捌ける状態では無かった。
だが、フェリペ2世の勅令には逆らえず、パルマ公の上陸作戦部隊は編成に入った。
艦船について、スペインは大きく変化していた。
1571年レパントの海戦での敗戦の戦訓から、逆にスペインは学んでいた。
「魚雷」の攻撃力に,、辛酸をなめさせられていたのは痛い反省である。
軍船にはすべて四連装魚雷発射装置を搭載した。
装甲艦にはバウスラスター(舷側推進器)を装備した。
回転砲塔及び舷側単装砲塔を備える。
艦橋を有し、8m回転式測距儀を備える最新艦だ。
1571年レパントの海戦で使われた旧式艦船はもはや無意味だ。
ガレー、ガレアサ、ガレオン、バタチェ、サブラ、戦列艦などの帆船はすべて廃棄した。
外洋では帆船は、操船性の悪さ、船足の遅さから、機動艦隊の足を引っ張るだけだ。
1571-1588の17年間でスペイン工廠で新造艦が次々と進水した。
新造艦は軍港カディスに集められ、武器弾薬、燃料が積み込まれていった。
1586年4月、今度はイギリス海賊ドレークによって、スペイン本土のカディス(Cadiz)が襲撃される。
カディスは軍港であり、イギリス遠征のために軍船をかき集めていた最中だった。
焼き討ちと砲撃で機帆船32隻、大型輸送船1隻を沈めた。
大型輸送船は食料、修理用資材とともに沈み、大損害となった。
これはイギリス遠征を、海が静かな夏季から海が荒れる冬季に、延期させる狙いであった。
そうすれば、翌年の夏季まで1年は猶予があり、イギリスも迎撃準備が整えられる。
フェリペ2世はさながら三面六臂の阿修羅像の如くである。
あまりに怒り狂った様が高速移動でブレて見えるのだ。
「スペイン大西洋艦隊総司令官サンタ・クルス候(アルバロ・デ・バサン)を呼べ」
「2月に死去しており、後継者は未定で御座います」
次回はアルマダの戦い(3/8)経過です。