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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第11章
132/169

1583年関ヶ原(4/4)

その時である。

音も無く、1発の爆弾が空を切り裂いて落下してきた。


燃料気化爆弾である。

燃料を爆発加圧沸騰させ、空気中に充満着火させて爆風と衝撃波で敵を倒す。


BLAVE(ブレイブ)という爆発的沸騰現象だ。

100m以内にいれば確実に内臓に被害が出る。


ビシンッ。


独特のイヤな爆発音とともに衝撃波と爆風が織田軍団を襲った。

ズゴゴオォ~ッ。

爆心地が真空になった為の吹き返しだ。


大気圧が異常昇圧する為、防護壁も塹壕も無意味だ。

曝露しているあらゆる人間の眼球や鼓膜や肺に襲いかかる。


即死を免れても失明や難聴や外傷性気胸を起こし、戦闘不能となる。

とくに外傷性気胸は胸痛を伴うが、戦傷に気を取られて、見過ごす事が多い。


これは緊張性気胸となり、のちに重篤な症状を引き起こす。

胸腔内に漏れ出た空気が肺臓を圧迫し心臓に血行不良を起こす。


また爆風に起因する内出血が、後日肝臓に出る場合はもっと深刻だ。

鈍的外傷は自覚症状も少ない、死に至る損傷だ。


上空を武田空軍戦略爆撃機「アサマ」が飛んでいた。

その爆弾倉にある回転式ランチャーがぐるりと回転する。

爆撃手、機長、副操縦士はみんな泣いていた。


武田最終指令602。フェイルセーフが発動したのだ。

部隊の3割が失われて全滅が確定した場合、開く事になっていた金庫。

 その金庫が開けられ(ガチャッ)、固形樹脂が割られて(パキッ)、命令書が読まれた。


その結果、燃料気化爆弾が投下されたのだ。

最後まで「政治の最後の手段」に望みを託したが、それは崩れ去った。

ドイロクテンノ・マオウ・ノブナガに日本を渡す訳にはいかなかった。


爆炎が消えると見渡す限り、織田軍団の兵士が倒れていた。

しばらくすると無事だった兵士も苦しみ始めた。


超巨大爆発による大気の不完全燃焼で、一酸化炭素中毒になったのだ。

バタバタと倒れ始めた。その数、死傷者3000人。


倒れなかった外傷のない者も、腹腔内多臓器損傷により、後日死亡する。

その数も3000人に及び、計6000人が犠牲者となった。


また上空に何かが光った。2発目だ。

ビシンッ。ズゴゴオォ~ッ。


また3000人が倒れた。

後日の犠牲者も含めれば、2発の爆弾で12000人が犠牲者になる。


織田軍団は降伏した、いや戦意を喪失した。

あまりに一方的すぎる、こんな事で死にたくない。


戦には武勇の誉れがあり、戦闘には勝ち負けがある。

それが積み上がって戦勝と敗戦が決まる。


駆け引きがあり、戦術がある。

よって戦争は政治の最後の手段と言われる。


だがこれは為す術のない虐殺であり、為すがままの処刑なのだった。

武田軍が出したのは奥の手であり、禁じ手であった。


最初にこれを使わなかったのは政治的理由である。

近隣国家の大名たちを納得させるための奥の手でもあった。


 「使いたくありませんでしたが、最後の手段として使いました」という理由付けだ。

この超巨大爆発に大谷吉継も巻き込まれていた。

息をしようにも一酸化炭素中毒に陥っていた。


一酸化炭素はカルボキシヘモグロビンを容易に形成する。

ヘモグロビンとの親和性は酸素の200倍だ。


組織への酸素運搬能の低下により、組織はあっという間に酸欠になる。

血中カルボキシヘモグロビンの半減期は常圧では300分である。


高気圧酸素治療により半減期は25分に短縮出来るが、戦場にそんなものはない。

大谷吉継という生体は死に始めた。


存分に戦って本望だ……。

よきかなよきかな……。

信長は発狂せんばかりに憤怒していた。

「なんだと!敵将を葬ったのは儂だ」

「御館さま」


「なぜこの信長が負けねばならんのだ」

「御館さま!」

秀吉ももう掛ける言葉がない。


「もう誰も戦いません、負けたのです」

「うぐう」

「もう腹を決めなされ」


こうして2発の燃料気化爆弾で勝敗は決した。

武田軍団は多大な犠牲を払いつつも、信長と秀吉を退けたのだ。

勝ったのだろうか、負けなかったのだろうか?


反攻勢力に加担した島津、龍造寺、大友の他、九州の戦国大名の罪は重かった。

九州は7県に分割された。

島津家は鹿児島県に、龍造寺は佐賀県に、大友は福岡県に減封、転封された。

 各国主の島津義弘、龍造寺隆信、大友義統は甲斐国預りとなり、東光寺に幽閉された。


 武田軍司令官で、シン駿河幕府第一代征夷大将軍武田清信の葬儀は粛々と行われた。

副将軍の今川義元は次期征夷大将軍候補であったが、丁寧にお断りしていた。


この葬儀が終われば奥州仕置きが待ち構えている。

桶狭間の惨劇を考えれば、辞退はやむを得ぬ事だった。


戦後処理は、とある若い武将が担当した。

宿敵・秀吉の子飼いの部下ではあった。

だが事務処理と人事、管理は沈着冷静、天下一品である。

懐柔が効かないことでも有名だった。


彼の名は石田三成といった。


織田軍総帥と副総帥、司令官が引き据えられてきた。

信長と秀吉、信忠は本来なら極刑である。

だが外地オーストラリア領維持の為に必要な人材でもあるのだ。

他の誰も、海外で領地を維持する異能者は、いなかった。


石田三成は「国外追放がいいのでは」と意見具申した。

二度と日本の土は踏ませない。

「豪州の帝王」として一生を終えるのである。


「国外追放を命ず」臨時司令官逍遙軒は吐き捨てるように言った。

 織田信長と羽柴秀吉とその一党を放逐した事で、九州、西日本、畿内、中部、関東は武田領となった。


特に九州は工業、産業に制限を規定し、厳重な監視下におかれた。

さらに島津は年二回の参勤交代を申し付けた。


残るは東北、奥州仕置きである。


信長が黙っていた事がひとつだけあった。

いや、3つか。


カールグリー、キドストン、コーバーの三鉱山。

オーストラリアには世界有数の金の大鉱床が眠っているのだ。

次回は1583年戦後です。

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