1583年九州大返し
信長の反撃が始まった。
本土最西端から粛々と安芸国(現広島県)を東進する。
毛利 輝元は動かない。
織田軍団の通過をただただ見守っている。
織田軍団は無人の荒野を行くが如くである。
播磨の国と摂津の国の国境でピタリと止まる。
(現山陽塩屋駅と現山陽須磨浦駅の間の)境川だ。
武田信繁が信長の九州大返しを阻止に出てきたのである。
「典厩か、清信はどうした」と信長。
「貴様こそ秀吉はどうした!尾張の大うつけが」と信繁。
「懐かしい響きだ、試してみるか?ハゲ」
「ハゲっていうな!ハゲって言ったヤツがハゲなんだぞっ」
「うるせーっハゲ」
「試してみろハゲ」
これで試したら単なる馬鹿者である。
信繁は軍団の配置を分散し始めた。
75mm速射砲陣地、突撃歩兵部隊、総ての配置が手際よく移動する。
織田軍団もそれに合わせて生き物のように配置が動き出す。
120mm速射砲、240mm列車砲、装甲列車群、突撃歩兵部隊。
そして面制圧用自走式多連装ロケット砲。
上空10000mから武田軍航空隊戦術偵察機が彼我の勢力を分析した。
戦力は武田軍100に対して織田軍200、武田軍に圧倒的不利であった。
おかしいぞ。
どちらも近代兵器で互角なのは仕方がない。
いつかこういう日が来るのはわかっていた。
航空機だけが武田軍のアドバンテージであった。
だが不安定な技術のため、偵察機などの用途に限られている。
しかし戦力が二倍とはどういう事だ。
織田軍200。
武田軍100。
実はこれは秀吉自慢の一夜城作戦の応用であった。
大部分はデコイ(おとり)なのであった。
そっくりに上だけ作ったハリボテである。
輸送車に戦闘車のハリボテを被せて擬態している。
竹ひごで造った野砲を多数配置する。
近くでよくよく見ればウソだと分かる精巧な作りである。
だが上空10000mからみれば、それらはホンモノだった。
航空機による超高空からの偵察技術がかえって仇となってしまった。
実際は、戦力は武田軍100対織田軍100、双方総力戦で相撃ちが正解だった。
だが信繁は偵察機の報告を鵜呑みにし、形勢不利と判断し、じりじりと撤退し始めた。
湊川神社から生田神社に至る2kmを、細長い列になって後退する武田軍。
湊川は楠木正成が合戦の末敗北し、生田は平家滅亡の遠因ともなった敗北の地だ。
縁起でもない……怨嗟の気が淀む凶運の地であった。。
敗北側から判断せず、勝利側から見れば、吉兆の地なのだが……。
「この戦は難渋するぞ」という不安が思考を負の方向に偏向していた。
北は六甲山麓、南は瀬戸内海(大阪湾)で、逃げ道はなかった。
整然と後退する縦列に乱れが生じ始めた。
そこに一瞬の隙が現れたのを信長は見逃さない。
「120mm速射砲、目標、殿軍、攻撃開始」と信長。
「ロケット砲、各個撃破開始」
「砲煙に沿って突撃歩兵部隊前進せよ」
てきぱきと命令する信長。
戦場の兵士の心情は簡単であった。
勝って前進出来るのは「負ければ引き上げられる」からなのだ。
潮のように押しては引き押しては引く。
それが軍隊の前進だった。
だから先頭の精鋭部隊ではなく、殿軍をまず攻撃する。
撤退を不可能にすれば、兵士は引くに引けなくなる。
殿軍を徹底的に痛めつければ、兵士は浮足立ってくる。
マズい、ヤバい、となった所で、今度は先頭の部隊を叩く。
死地である。最前線は即断即決で戦うしかない。
そうすると引くべきか進むべきかを、足軽が勝手に考え始める。
足軽A「あっちだ」
足軽B「そっちだ」
足軽C「おいおい、どっちなんだ」
右往左往する足軽と足軽大将の怒号が飛び交い混乱を助長する。
前へ逃げようとする者と、後ろへ逃げようとする者でひしめき合う所を、側面から叩く。
ここで全方位からの一斉援護攻撃で敵軍を撃滅する。
軍師官兵衛「シュミレーションは完璧です」
「大阪湾の秀吉に援護射撃を要請せよ」信長は下知した。
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信長「官兵衛、シュミレーションでなくシミュレーションな!」
軍師官兵衛「あっ」
「この官兵衛、一生の不覚!」
軍師官兵衛は真っ赤になって退いた。
次回は1583年秀吉水軍です。
安国寺恵瓊再登場。