1582年信長帰還
ハマスレー鉄鉱石鉱山、アーガイルのダイヤモンド、ウイパのボーキサイト……。
オーストラリアは世界最大級の鉱山資源大陸であった。
特にハマスレーの鉄鉱石は露天掘りで、地面を爆薬で吹っ飛ばして採掘する。
搬出はHamersley Iron Locomotivesと呼ばれる三重連機関車が有名である。
信長はこの地を拠点にし始めた。
上陸したのは現在のシドニー湾であった。
オーストラリア幕府はここに開かれた。
イギリス船が、南アメリカ南端のマゼラン海峡を経由して、やって来る。
シドニー湾は外洋船停泊地としても、うってつけであった。
飛び交う会話は英語で、スペイン語ではなかった。
スペインやポルトガルはマラッカより東にはやって来ない。
スペイン中心の奇妙寺の監視の目も、ここまでは届かないのだった。
オーストラリアは、香料が採れない不毛の大陸と世界に認識されていた為、より好都合であった。
ところで現オーストラリアの首都はキャンベラである。
それにはこういう経緯があった。
シドニー市民「ワイのトコが人口も多いし首都やな」
メルボルン民「なんやと!ワイのトコがおしゃれでイケとるで」
シドニー市民「なんや!(やるんかコラ)」
メルボルン民「なんや!(やったろうや)」
有識者一同「まあまあ中間地点はキャンベラだから、そこを首都にするなも」
シドニー・メルボルン「まあ、ええやろ!」
こういった経緯があってキャンベラが首都になるのだが、これは先の話である。
オーストラリア幕府は現シドニーに開府された。
産業は鉱業で地下資源を採掘、選鉱、精錬する。
鉄鉱石と石炭を採取し、精錬所を作って鉄製品を輸出して、資金を稼いだ。
大地の70%は乾燥地帯と半乾燥地帯が広がっている。
これを開墾して灌漑すれば、莫大な農地が手に入るだろう。
信長は光秀と共に大規模な灌漑や地下水の利用を始めたが、塩害によって頓挫した。
オーストラリアの地下には塩分濃度の高い地下水が眠っていた。
灌漑や原生林の伐採等により、雨水が塩の地下水の水位を上昇させてしまった。
こうして地表に塩が析出して、植物は枯死したのである。
現在ではこれは「水文学」と呼ばれている。
降水、蒸発散、地下水、浸透、流出を扱う分野は流域水文学と呼ばれる。
これを考慮しなかった為に、大地の表面に塩を招いてしまった。
現代なら、水車ポンプで塩水を抜き、真水を入れる事で緩和出来る。
当時はそれがわからず、結局、鉱業に戻ってきた。
鉱物資源だけは豊富だった。いくらでも採れる。
精錬所で鋼を作っては、ライフル銃にして輸出した。
オーストラリアにはイギリスの海賊が現れては買い付けていった。
スペインとポルトガルに植民地争いで力負けしたイギリスは武器を欲しがった。
西欧では、スペインがネーデルランド(オランダ)独立で、もめていた。
オランダはイギリスに助けを求め、イギリスはそれに応じた。
結果、イギリスはスペインと今度は、もめることになったのだ。
武器はいくらでもイギリスが買い付けに来た。
ライフル銃は薬莢と弾頭をセットにした銃弾を用いる後込め式である。
深絞りによる薬莢の製造も行われていた。
5段階深絞りのコツは押さえと圧力と潤滑材だったが極秘である。
銃身を穿孔するガンドリルは公開された技術であり新しくも何ともなかった。
しかし銃身内部にライフルを切るライフリングマシンの技術は門外不出だった。
直線運動と回転運動を同時に行えば簡単に螺旋状に溝を切削する事が出来た。
①の回転運動を②の直進運動に変換する。
③の直進運動がラック&ピニオンにより④の回転運動を促す。
1往復運動ごとに⑤のラチェットが60度回転し、バレルにライフルを刻む。
イギリス船は推進装置のスクリューも買い付けに来た。
機帆船の船舶に必要なのがスクリューである。
直径3mもあるスクリューを精密鋳造型で鋳込むのは壮観な眺めであった。
ロストワックス法といって蝋型の廻りを鋳物砂で固めて熱を加えると型だけが残る。
鋳込まれたものは5日間かけてゆっくり冷やされる。
出来たスクリューはXYZを制御できる「ならいフライス盤」で切削して完成だ。
これもイギリス経由でバカスカ売れた。
イギリス船は南アメリカ南端のマゼラン海峡を経由し、本国に帰港してゆく。
どうやら武器は商品としてではなく、英国本土に直接陸揚げされているようであった。
マラッカ以北は武田幕府の素っ破の目が光っっている。
マラッカやフィリピン経由ではないのが好都合だった。
まさか信長がオーストラリアに居るとは誰も思うまい。
奇妙寺太平洋艦隊はハワイ島要塞に張り付いていた。
奇妙寺大西洋艦隊は北米大陸防衛の為に、バージニア州ノーフォークにいる。
どちらもイギリス船の動きは察知していたが、通常の通商だと思っていた。
ここはマゼラン海峡の通航管理事務所。
ズラリと並んでいるのは、各国の艦船の艦長や船長たちだ。
イギリス人艦長「お勤めご苦労様です、これが積み荷目録と通行証です」
奇妙寺僧形「よろしい、すべて揃っている、通りなさい」
イギリス人艦長「ははーっ、ありがとうございます」
こうして織田とイギリスは結びついていった。
「1576年ティコブラーエ来日」で「イギリス「ふっふっふっ(謎の苦笑い)」のワケはこういう事だった。
「1580年スペインがポルトガルを併合」でイギリスが奇妙寺との結託を蹴ったのも同じ理由だ。
織田-イギリス(オランダ)が手を結ぶ?
そんな事が起ころうとしていた。
伏龍10年、時は来た。
信長は機は熟したと考え、秀吉とコンタクトをとった。
時に1582年。
遂に信長は、艦隊を従えて日本に帰還する。
信長の乗るは旗艦「カンガルー」号だ。
これにはこういう逸話がある。
信長がまだオーストラリアの草原を探検していた頃の話である。
信長の前にピョンピョン跳ぶ毛獣が現れた!
ピョンピョン跳ぶ。
「か、かわいい」
光秀が触ろうとした、その途端だった。
ビヨーン!
尻尾でバランスを取って両足キックが来た。
「ぐはっ」
光秀は吹っ飛んでしまった。
信長は現地人に聞いた。
「あの動物はなにか?」
現地人は答えた。
「双前歯目の有袋類でして腹部に育児嚢を有し子どもを育てます。名前は」
信長は遮って言った。
「いや、オレが名前をかんがえる」
「カンガェルー」
「カンガルー」
こうしてピョンピョン跳ぶ毛獣は「カンガルー」という名が付いたのである。
現地人は腹を押さえて下を向いたままプルプル震えていた。
見るとなにかを我慢して泣いているようだった。
信長は現地人がかわいそうになってきた。
裸に腰蓑だけの姿はいかにも寒く、お腹を壊したのだろう……。
信長は光秀に命じて羽織を現地人に掛けてやった。
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……。
「これ、ワラビーっていう動物なんですが」と現地人は後に語っている。
次回は1582年九州謀反です。