表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第10章
123/169

1582年秀吉の乱

1581年世界中から、というか西欧から学者達が日本にやって来た。

南蛮との交流もゆるやかに落ち着いてきた昨今。


清信「甲斐-駿河幕府もいよいよ軌道に乗ってきたな」

浅信「技術大国日本もいよいよですね」


1575年からおよそ4年で九州を制圧した秀吉。

その後、九州をフルーツ王国にしようとしていた開発の手が止まる。


あれ?


そう言えば、北九州の八幡村にいつのまにか工業地帯が完成していた。

いやいやいや、ありえないだろ、一夜城じゃあるまいし!


 筑豊炭田や宇部炭鉱から石炭、輸入鉄鉱石が続々と運び込まれ、鋼が作られている。

 八幡村は南米動物王国としてリャマやピクーニャが触れる動物パークになる予定だった。

 大規模な土木工事が行われ、動物畜舎建設工事の名目で大量のレンガが搬入されてはいた。


レンガの材質まで調べていなかった…。

おそらく高炉用耐熱レンガであったろう。


だがしかし、である。銑鋼一貫製鉄所とは恐れ入った。

これもそれも、軍師官兵衛のしわざだ!


石油精製施設も屹立していた。

もうわけがわからないよ!


清信「秀吉に聞きたい事がある」

早速、詰問状がしたためられ、使者が立った。


荒木村重が使者に選ばれ、秀吉の元に送られた。

軍師官兵衛が応対し、秀吉はこう言ったという。


秀吉「鉄は国家なり」

この後に「鉄と血によってのみうんたらかんたら」といった講釈が続いたという。


よくわからん。


次は織田長益が使者として向かった。

織田長益は千利休に茶道を学び、利休七哲にも数えられる茶人である。


秀吉は名護屋城を名護屋(現佐賀県唐津市)に建設していた。

出来たばかりの茶室は黄金茶室と呼ばれ、金箔に輝いていた。


「どうじゃ、儂らしい風情があるじゃろ」と自慢したという。

黄金茶室の自慢ばかりで、返事はやはりのらりくらりとかわされていた。


とうとう清信将軍は秀吉に駿河幕府に弁明に来るよう命じた。

……気が進まない。


浅信から遠ざける為にわざわざ九州に遠ざけたというのに!

だが秀吉の所業に、奇妙な引っかかりを感じた清信は、出頭命令を下知した。


こうしてやってきたのは秀吉ではなく秀長であった。

 「事前の説明も無く着工致したのは武田幕府の発展繁栄を願い奉らん為の勇み足うんぬん……」


「ええい、秀吉はどうした、秀吉は?」と清信。

 「用意が出来次第、出立致す所存にて、今暫くのご猶予を、御願い致します」と秀長。

「3日だけだ。3日間の猶予を与える」


その3日の間に秀長はいなくなった。


「秀吉謀反!」

「いや違う」

もっと恐ろしい事が起こっていた。

……。


織田信長がオーストラリアから帰還したのである。

次回は1582年信長帰還です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ