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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第10章
121/169

1580年スペインがポルトガルを併合

ここはスペインの首都マドリード。

首都との宣言はされていないが、王宮の位置が実質上の首都となった。


王宮オリエンテ。

実際には国王も王族も住んではいない。


彼らはもっと住居らしい郊外の別荘(サルスエラ宮殿)に、まったりと暮らしていた。

国事の行事のある時にだけ、王宮は使われるのだ。


「書類王」と言われたフェリペ2世は、官僚主義とその書類決裁システムを発案した、先進的国王であった。

先王は西欧を次々と巡回して統治を行ったため、国家は首都を持たず、その出征は40回にも及んだ。


フェリペ2世は統治した各地に「副王」を置き、福王が各地を統治し、国王が福王を統治する中央集権制で帝国を統治した。

商人が現地へ出掛けるのをやめて会社を作り定地化したように、国王も現地へ出掛けるのをやめて行政や政治を中央政府で行うようにしたのである。


「書類王」「慎重王」とも呼ばれたフェリペ2世は几帳面で警戒心が強く、いつもしかめっ面であった。

侍従「わ、笑っていらっしゃる……」


1572年のサン・バルテルミの虐殺以来、微笑んだ事の無いフェリペ2世。

そのスペイン国王の渋面には笑みが浮かんでいた。


宮廷内には疑心暗鬼が広がっていた。

「ハレー彗星(1531年)が来るのだろうか」

「80年周期の大地震(1509年)かもしれぬ」


取り巻きの廷臣たちの集団が、青くなったり緑色になったりしている。

その様子から、全然吉兆ではない事は確かなようである。


1557年に、隣国ポルトガルではジョアン3世が没した。

次王のセバスチャンは、イエスズ会の強い影響下で育った為に、政治より十字軍を夢見ていた。


十字軍は1270年の第7回十字軍の失敗をもって終了しているので、とんでもない時代錯誤であった。

1578年、彼は無謀にもオスマン帝国影響下にあるモロッコに進軍して、戦死してしまった。


1579年叔父のエンリケが国王の座についたが1年で死亡し、ここにポルトガル国アヴィス朝は断絶した。

ここで台頭してきたのが、なんとスペイン王フェリペ2世であった。


実母がポルトガル出身であった事を盾に、ポルトガルの王位継承権を主張したのだ。

日本の戦国時代のように、西欧の王族たちの血縁関係は深かった。


1543年ポルトガル王女と結婚、1545年死別。

1554年イングランドの女王と結婚、1558年死別。

1559年フランス王女と結婚、1568年死別。

1568年ハプスブルク家の女性と結婚。嫁いだ妹の娘であった。


日本の戦国時代の血縁も相当だが、西欧も凄まじかったのだ。

特に1554年イングランド女王メアリー1世との結婚は、なんと国王同士の結婚である。


こういう経緯もあって、血縁は各国に散らばっていた。

ポルトガルの死去した王子の妻はフェリペ2世の妹であり、王位継承権はフェリペ2世に回ってきていた。


圧倒的戦力による威圧もあり、1581年にはコルテス(身分制議会)は即位を認めた。

こうしてポルトガル・スペイン同君支配を勝ち得たフェリペ2世は微笑んでいたのだ。


フェリペ2世「ぐぬぬ……」

だがその微笑みも消え、顔は憎悪に醜く歪んだ。


「キーミョウデール……」

世界の3分の1を支配する勢力に、王は足をバタバタさせた。

挿絵(By みてみん)



それにしても、憎むべきはキーミョウデールの奴らである。

新大陸でのスペイン領土はブラジル、パナマ諸国、そしてキューバである。


フェリペ2世「ぐぬぬ……」

インカ帝国、アステカ王国……もっと手に入れられたものを!


フェリペ2世は手を振り回し、さらには足をバタバタさせた。

身体をねじり、アタマを前後に振って、激しくシャウトする。


もう少しで、スペインが新大陸を、征服支配出来たものを!

腸が煮えくりかえる思いである。


両君政治はポルトガル領ブラジルも手に入れる事ができた。

ブラジル・リオデジャネイロから500kmのヴィラ・リッカ村(現オウロ・プレット)で金鉱が発見されている。


最大の坑道はミナ・ジェジェ(ミナminaは鉱山)だ。

ミナ・シコヘイ、ミナ・ダ・パッセージェンと次々に発見された。


その埋蔵量は西欧の全金山に匹敵するほどだ。


そして、スペイン領ベネズエラでは石油も発見されている。

その埋蔵量は未知数である。


フェリペ2世はようやく正気に返った。

「モットー、モットー」


いや、やはり少しおかしくなられたようだ。

これだけの強大な帝国を支配して、まだ足りないというのであろうか。


欲望は無限大だが、金の埋蔵量には鉱脈の限界がある。

金に呪われたスペイン王室は、やがてその枯渇に苦しむ事となる。


フェリペ2世のカトリック的封建政策は国内産業の保護育成を怠っていた。

植民地から吸い上げた莫大な富は、王室の贅沢な消費に費やされ、流通として国内を素通りしていた。


宮殿内にある武具博物館、当代一の芸術家達の手による贅沢な装飾品、タペストリー、磁器、家具……。

1700haある王専用の狩猟場カサ・デ・カンポ、闘牛や模擬海戦さえできるレティロ宮廷公園、巨大な修道院、様々な宮殿、豪華な霊廟etc。


その巨大な富でインフラを整備すれば、産業と流通に弾みがつき、経済は活性化したかもしれない。

植民地からの輸入品はそのまま輸出品となって、代価は王室のお小遣いになった。


国内の産業・経済を活性化して、国民の富を蓄える事は遂にしなかったのだ。

素通りした富の終着点はイギリス、オランダ、そしてフランスである。


新興国であるイギリス+オランダは巨大国家スペイン+ポルトガルに拮抗する為に荒唐無稽な計画に出た。

キーミョウデールと連絡を取り、技術提携の道を探ったのである。


これは残念ながら破綻してしまったが、この有様にフェリペ2世は激怒巨列した。

「異端者に君臨するぐらいなら命を100度失うほうがよい」とフェリペ2世。


カトリック国家統合を目指す彼には、こういう突拍子もない発想は我慢ならなかった。

やがてこの焦燥は8年後のイギリス侵攻(アルマダ海戦)につながるのかもしれなかった。


着実にヨーロッパの勢力地図は書き換えられようとしていた。

太陽の沈まぬ国といわれたその太陽が、ゆっくりと沈み始めたのである。

次回はガリレオ来日です。

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