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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第10章
120/169

1579年長尾景虎病没

景虎「うぐうっ」

近習「景虎さまっ」


景虎はトイレで倒れた。

破裂脳動脈瘤であった。


いわゆる「くも膜下出血」である。

享年49歳。


直接の原因は暖かい自室から冷たい厠に入ったからかもしれない。

脳動脈瘤が出来る本当の原因はわかっていない。


だが破裂の遠因となった病気がある。

大量の飲酒と、酒の肴の塩分の過剰摂取による、生活習慣病である。


戦場に馬上杯を持ち込んで、騎乗で酒をあおるほどの、大の酒好きだった。

しかも酒の肴は塩漬け梅干し、ただただ酒を飲み続けるといった飲み方だった。


越後国では、糖尿病も肝硬変も腎臓疾患も知られていない。

喉の渇きを覚え、酒で喉を潤す。


喉の渇きの原因は糖尿病だ。

血糖値が大きくなり、血管内の糖の濃度が高くなる。


糖の濃度が高くなると、脳が命令して、血管内の糖の濃度を薄めようとする。

その結果、喉に渇きを覚え、水分を摂取しようとする。


それを酒で摂取したら、さらに血管内の糖の濃度が上がる。

さらに水分を摂取して血管内の糖の濃度を薄めようとする。


生活習慣病であり、治療薬はあっても、習慣を改めなければ、悪化の一途である。

 スルホニル尿素薬のグリベンクラミドや速効型インスリン分泌促進薬のナテグリニド。


投薬しても、治ったと思って深酒すれば、悪循環の地獄である。

最後は酒で薬を流し込む、悪魔の所業になってしまう。


その悪循環の結果、破裂脳動脈瘤の遠因になってしまった。

血管壁が薄くなってる所に破れやすい遠因が重なってしまった。


ここで頭蓋内直達手術をして、クリッピングか結紮かという事になった。

奇妙寺の外科技術はついに頭蓋内直達手術が出来るまでになっていた。


だが長年の飲酒の結果、糖尿病、肝硬変、腎不全を併発していた。

脳の血管はボロボロでクリップさえ受け付けない。


頭蓋内直達手術をすれば死ぬ。手術しなくても死んでしまう。

出血している為、血栓溶解薬アルテプラーゼ静注療法は使えない。


頭蓋内内頸動脈結紮術が検討された。

脳動脈瘤コイル塞栓術も検討された。


が、その直後容体は急変した。

もはや手の施しようがない状態だった。


こうして皆が呆然と立ちつくすなか、長尾景虎は入滅したのだった。

悲しみに暮れる家臣群、関東遠征計画直前の悲劇である。


家臣A「酒さえ控えておれば、こんな事には……」

家臣B「いくら美味い酒でも度を過ぎれば……」

葬式も無事終わり、落ち着いた頃に家臣たちは気付いた。

困ったのが次期当主の引き継ぎであった。


生前に家督の後継を決めていなかった事が災いした。

また嫡子がおらず、後継者候補が養子であった事も、事態を悪化させた。


御館の乱。

 北条氏康の七男で養子の景虎と、長尾政景の次男で養子の景勝の間で、騒乱が起こった。

越後国の国主にふさわしいのは俺だ、いや俺だと大騒ぎだった。


とうとう越後国を二部する大騒乱、内乱にまで発展した。

武田家は、北条血筋の景虎側から、支援の要請を受けた。

しかし、のらりくらりとかわしている。


「上洛後の西日本征伐により、振り分ける軍勢が御座らぬ」

結局北条軍と武田軍で、申し訳程度の軍勢は送っている。


甲相同盟に従って氏康の七男の景虎に支援した格好である。

この苦境を武田浅信は景勝に書簡で送っている。


「御館の乱に加勢する気はない。早急に内乱を鎮めるようお願いする」

景虎を支援しながらも景勝に配慮する苦しい状況であった。

といいながら、情勢により、どちらにでも付く腹積もりであった。


 情勢は一進一退の戦いであり、城を奪い、奪い返すといった泥沼状態の戦となった。

越後の内乱であるから、最新兵器による勝敗の即決は躊躇われた。


不満鬱積から始まった内乱は、それが除かれなけば何度でもぶり返す。

1度徹底的に潰し合わなくてはならなかったのだ。


やがて情勢は外様の景虎より、地元出身の景勝のほうに傾きだした。


 駿河-甲斐信濃-越後ラインは完成していたので、景虎の兵站には問題がなかったのに、である。

人心が離れていくというのは恐ろしいものだ。


最終的に景勝が勝利したのは1580年。

1年に及ぶ御館の乱はここに終結を見た。


武田も北条も最終的には越後の内乱には積極的には干渉しなかった。

 氏康の七男ということで北条は景虎を支持したが、最終的には匙を投げてしまったのだ。


内乱で見る影も無く、越後国は凋落した。

1年の長きにわたる内乱で、庶民も武士たちも、心身ともにボロボロだった。


景勝「臣従いたします」


越後国の国主長尾景勝は、そのまま駿河-甲斐幕府の配下に下った。

ついに越後-信濃-甲斐-駿河は繋がったのだ。


後に人々はこの地域を「Takeda Kingdom」と呼称するようになるのである。

次回は「1580年スペインがポルトガルを併合」です。

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