1575年九州征伐(2/4)
博多南蛮要塞は対空防御地下要塞であった。
上空から偵察できる部分は総て偽りのデコイ(オトリ)である。
司令部ブンカーみたいなのは単なるコンクリを塗った平地だ。
高射砲塔はハリボテのレンガ造りである。
その地下には縦横無尽に地下通路が張り巡らされ、難攻不落の地下要塞になっている。
北九州は南蛮貿易で栄えていた。
その最たるものが長崎国際港で、南蛮に最も近い国際港である。
マラッカ王国等の海外情報が真っ先に入ってくるのが、この長崎であった。
その長崎港のヤードにずらりと並んだシートを掛けられた謎の輸入品。
マラッカから逆輸入した兵器群である。
航空機は武田軍が有する白馬軍事空港に数機が駐屯している秘匿兵器だ。
織田軍撃滅作戦に使用された数機以外には存在しない。
これらは入手不可能な最新兵器だった。
しかしながら火器は別である。
一方、北九州を牛耳る大友義鎮は勘違いしていた。
織田信長を滅ぼしたのは鉄壁要塞キヨス空爆であった。
機種はわからない。
だが爆撃によって清洲城要塞は木っ端微塵となった。
高高度作戦行動をとる敵機に対して対抗するには高射砲しかない。
1573年に航空機が出現して以来、織田と誼を通じていた大友義鎮は危機を感じていた。
自分達も織田信長を滅ぼした、武田軍の仕置きを受けるに違いない!
だが成層圏空母カイは諏訪湖に着水してドック入り。
全翼爆撃機ヤツガはエンジン換装で飛べなかった。
バンカーバスター、超大型爆弾もあの一発だけ。
恐れていた空軍自体が、実は無かったのである。
こうして疑心暗鬼に陥った義鎮は北九州の工業技術を結集して、高射砲を製造した。
砲身を切削するガンドリルとライフルリングマシーンはマラッカ王国のコピーである。
製造された高射砲は直ちに、これまた建築中の博多南蛮要塞に配備された。
砲座は移動できる可動式のため、爆撃では容易に破壊できない。
このように万全の体制で秀吉の大軍を迎え撃つ大友義鎮。
織田時代に会った秀吉の戦術にも通じていた。
数年に及ぶ籠城用の戦闘食の備蓄にも抜かりはない。兵站も万全だ。
来るなら来い!秀吉!
素通りした。
「え」と義鎮。
粛々と通り過ぎる秀吉の大軍。
こっちへは来ない。
九州東海岸の別府-日向を経由して、南九州征伐に向ったのだ。
「お~い」
大友義鎮の声が福岡平野にむなしく響くのだった。
安国寺恵瓊と秀吉はとにかく妙策+奇策を立てる天才だった。
巨大要塞の役目は、敵部隊の粉砕ではない。
敵部隊は巨大要塞を避けて進むため、進路が限られてくる。
一番攻め込まれやすい地所に巨大要塞を建設する。
すると敵部隊は悪路、予め地雷が敷設されたなど要撃体勢の整った死地を行くしかない。
その死地に誘い込むためのワナの役目が、巨大要塞の役目であった。
兵站などが伸び切ったのを見計らって、側面を攻撃したり、殿軍に襲いかかるのだ。
島津軍は20000人の機械化部隊で待ち伏せていた。
得意の釣り野伏せである、退却を装って敵をおびき出し、挟撃する。
秀吉軍はまさにその死地に向かって行軍している、ように見えた。
だが島津軍は秀吉水軍が並行しているのに気づかなかった。
主砲は信濃型75mm速射砲。発射速度50発/分、最大射程18kmだ。
海岸線から着かず離れずで18km以内を秀吉軍は行軍していた。
ドッカアァーンッ、ドッカアァーンッ!
艦砲の一斉射撃が、島津軍を木っ端微塵に蹴散らした。
博多南蛮要塞は、秀吉軍の偏向に成功はしたが、海路兵站は途切れなく続いていた。
戦術は破綻し、島津軍は本当に、後退を余儀なくされる。
これ以降、島津軍は積極的に攻撃してこなくなった。
並行する秀吉水軍の艦砲射撃に守られて粛々と進む秀吉軍。
九州西部の弱小な小豪族や国衆たちはなすすべが無かった。
もはや飲み込まれてゆく運命である。
150000人の巨大部隊、秀吉軍は、北九州西岸の国衆を併呑しながら、南下を続けていた。
次回は1575年九州征伐(3/4)です。