1574年高松城陥落
恵瓊は毛利側に仕える外交僧であった。
従軍し、渉外を行ない、和議の斡旋、調停を行なうのが仕事である。
「おお、どうであったか?」と輝元。
恵瓊はかつて堺にいた時に秀吉らと会い、知らぬ仲ではない。
それで秀吉との渉外役を買って出たのである。
今も秀吉との交渉が終わり、帰ってきたところであった。
「割譲条件より備後、出雲を取り下げる」と恵瓊。
「しかし高松城開城に当たっては宗治殿が腹を召すのが条件である」
「ううむ、やはりそれしかないか」と元春。
「回答の期限は?」と隆景。
「3日間」と恵瓊。
その頃高松城では床下浸水が始まっていた。
足軽がバシャバシャ泥水を跳ね飛ばしながら走ってきた。
「おいおい、どうすんだよ、これ」
「本丸の土塁まで備蓄品を移動するんだ!」
「米だ!」
「薪だ」
「鉄砲だ!」
家中屋敷や的場はもはや踝まで泥水に浸かっていた。
平城の為、土塁の低い部分がほとんどだ。
城主宗治はにがい顔で水没し始めた城塁を眺めていた。
水かさは日を追うごとに増してきている。
もはや城門の先の一本道も水没した。
撃って出ることも出来ない。
援軍も秀吉軍に近づこうものなら堰を切られて土石流に飲み込まれて全滅だ。
味方も援軍も動けない。
水かさはじわじわと増加してきていた。
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「ふしゅるふっふふふ」
秀吉は陣中でほくそ笑んでいた。
敵は万策尽きている。
安国寺恵瓊は既に懐柔してある。
「拙宅が大名に?」
恵瓊の瞳が大きくなったのを秀吉は見逃さなかった。
この秀吉を手足の如く使いこなす武田軍に逆らうか?
だが協力すれば悪いようにはせぬぞ?
ワシを見よ!
宿敵織田軍の臣下だったワシが、今や武田の遠征軍の大将ぞ!
安国寺恵瓊の心境はグラグラと揺れ動いた。
この外交僧の坊主が大名に?
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悪くない!
備中高松城の戦いは終わった。
武士の意地を通した清水宗治は切腹。
毛利輝元の安芸国以西は武田軍・奇妙寺の同盟国となった。
この同盟国となった翌日から、奇妙寺の技術が雪崩れ込んできた。
毛利側は床に落ちたアゴが戻ってこない有様である。
噂には聞いていたし、現に少量だが使っているモノもある。
だがインフラが整っておらず、宝の持ち腐れとなっていたのだ。
とくに電気製品は電線のインフラがないため、電池駆動でしか使った事がない。
電池でぼんやりと光る電球は、松明の火より役立たずだった。
水道管は埋設工事の重機がないので、贅沢品で、井戸水のほうが美味かった。
ガスは濃度が薄く炎の勢いは木炭に負けていた。
物珍しい、珍奇な、好事嗜好なだけの遊び道具だったのだ。
それが一挙に武田+奇妙寺の技術が流れ込んできたからたまらない。
夜も昼のように明るくなり、僻地にもプロパンガスボンベが行き渡った。
ガスコンロの便利さは薪で焚く釜の比ではない。
煮炊きし、炒めて、焼いて、蒸して……なんでもござれだ。
重機が道路を掘り返し、水道を埋設する。
どこでも水を使える、当たり前だが凄い事なのだ。
道路が舗装され、馬車が行き交う。
車道と歩道が区別され、交通整理が成された。
鉄路が引かれ、陸蒸気が突っ走る。
貨車が、客車が牽引され、流通量は跳ね上がった。
庶民A「お、大阪まで、岡山から3時間だとう!」
庶民B「日帰り出来るじゃないか!」
庶民C「すっげー、すっげー!」
熱交換器を小型化した保冷車も登場した。
鮮度抜群の海産物が天下の台所、大阪に雪崩れ込んだ。
おそらくこれが最も流通の活性化に寄与した技術であると思われる。
医者といえば養生所しかなかった畿内に、次々と病院が建設され始めた。
それに伴って看護専門学校、医療教育を行う医学所が設けられた。
病気じゃなくてビタミン不足だった人、ほんとに病気の人、けが人……。
続々と列を成して病院を訪れるようになった。
毛利輝元「俺はいままでナニをやってきたのか?」
小早川隆景「これが「新世界秩序」というヤツなのか?」
吉川元春「願わくば、自力で成し遂げ……(いや無理か)」
港湾施設も大幅に手を加えられた。
桟橋も増築され、浚渫で水深も深くなった。
いままで、小舟で南蛮船から小分けにして、物資を陸揚げしていた。
だが今は桟橋に接岸して、ガントリークレーンで荷下ろし出来る。
そのまま貨物は列車に積載される為に、港湾施設に備蓄倉庫がなかった。
荷下ろしの後は原料+材料は工場に、製品は小売店にそのまま向かうのだ。
かつては行商人が自分で仕入れ、貨幣や品物を持てるだけ持って、商圏を巡っていた。
そういう時代はすでに去ろうとしていたのだ。
商業の定地化、簿記の進化、為替の流通、紙幣の発行……。
流通の進化が、経済の速度をも加速していた。
次回は未定です。