1400-1440年南蛮の技術002(旋盤)
旋盤を作ります。
早速ねじの製造工程の分析が始まった。
円運動に直線運動を足す。その軌道のままに切削すれば良い。
松戸彩円「だがどうやって?」
ここで登場するのが旋盤で、南蛮の書籍には盛んに出てくる。
だが南蛮の書物に出てくるラッソ(Lathe)が、旋盤だという事はわかっても、構造がわからない。
一人の南蛮人がその機械にノミを当てている挿絵しかない。
その挿絵も雰囲気を重視していて、構造を正確に伝えるものではなかった。
どこまでが材料で、どこまでが旋盤という機械なのだろうか。
奇妙寺では、多くの僧形が敷地内の工房で働いていた。
その中の切削を専門とする研究室に、莫斯利がいた。
彼は機知に富んだ鍛冶屋で様々な形状に詳しかった。
ある時、りんごの皮むきをしていて気付いた。
莫斯利「ひらぁめいたああああ!」
莫斯利「これだああぁっ」
彼は早速、ひらめいた構想を形にしてみた。
棘の(とげ)の付いたコの字の木工細工を作り、りんごを上下から固定する。
りんごはこのカラクリに支えられてくるくる回るぐらいに留める。
くるくるとリンゴを回しながら、小刀を当てるとりんごがスルスルと剥けていく。
莫斯利「ひらぁめいたああああ!」
莫斯利「これだああぁっ」
少々アホっぽいのが天才の玉に傷なところである。
左右に鉄の棘の付いた木の台を組み立てる。
ここになるべく真っ直ぐな木の棒を仮止めする。
左の棘と右の棘で木の棒が回転出来る強さで留める。
真ん中の木の棒がその間で回転する様に紐を引掛け回す。
助手に紐を交互に引いてもらい、木の棒に回転を与える。
そこにノミを当てて削る。
ガーリ、ガーリガリッ。
これが旋盤だ。
手と足を存分に使って木の棒を削りだす。
ここからすべては始まる。
おそらくは、これが初めての旋盤の発見ではあるまい。
{実際には古代メソポタミアの時代からあった}
しかし誰も記録しないので、残っていないのだ。
{実際には紀元前3世紀のエジプト壁画にチラッと書かれている}
日本では陶器の制作にろくろを使う。
足でろくろを回して、土器を回転させて作っているではないか。
この粘土を切削物に、手を刃物に変えればいい。
回転と切削を、思い付かないはずがない。
すぐに他の僧形が興味を示して、これに改良を重ねた。
釣り竿に似た竿棒に紐を通して木の棒に引掛け回す。
シーソー踏み台を用意して、紐を通し、竿棒のしなりを利用して回転を与える。
ノミを置く台(ツールレスト)も取り付けられた。
もう助手は必要ない、単独での作業が可能だった。
これが南蛮で言うところのポールレイズ(pole lathe)「竿旋盤」であった。
これにはまだ「はずみ車」が付いていない。
足を止めると回転も止まり、作業も止まった。
これが進化して「足踏みミシン」ならぬ「足踏み旋盤」になった。
はずみ車(フライホイール)が付いて、回転の運動速度の安定化が図られた。
さらに手とか足で掴んでいた切削工具がバイトという旋削用の刃物だけになった。
バイトは刃物台に固定され、これが横送り台+往復台に固定された。
横送り(Y軸移動)、往復(X軸移動)を自由に動かせるようになった。
だが送り量はまだ人力で職人の熟練の技に頼っていた。
結果、毎回寸法が微妙に異なる部品を作る事になった。
なんとかして精密な送り量を、繰り返し再現できる「送りねじ」を作らねばならない。
そこでまず、柔らかい素材で送り量を標準化する「送りねじ」を製作する。
これには送り量を一定にするリンク機能を製作して当てた。
まず木材の棒材をリンク機構を介して木製の送りねじを切削する。
次に木製のねじを送りねじとして、銅製のねじを作成する。
次に銅製のねじを送りねじとして、鉄製のねじを作成する。
次に鉄製のねじを送りねじとして、鋼製のねじを作成する。
こうして短いモノから長いモノへ、小さいモノから大きいモノへと旋盤は進化した。
工作機械の母、マザーマシンはこうして完成したのである。
丸い形状は旋盤で作り出す事ができるようになった。
だが、世の中には四角い形状もあるのだった。
長い鉄の羊羹みたいな角材に逆Tの字の溝を切りたい。
あるいは長孔を鉄板に彫りたい時はどうすればいいか?




