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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第9章
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1574年四国中国地方征伐000

1574年四国中国地方征伐は長いので000と001に分けました。

畿内+東海+甲斐信濃の統治は成った。

越後の長尾景虎と武蔵・相模の北条氏政は友好国であった。

各地の統制官は順調に職務をこなしている。


問題は中国地方の雄、毛利輝元と四国の長宗我部元親である。

彼らは旧態依然とした抵抗を続けてきた。


「我々は武田だ」

「抵抗は無意味だ」


何度も書簡や使者を送ったが無駄だった。

甲斐国つつじヶ崎館には信繁と浅信がいた。


「もはや征伐もやむなし」と信繁。

「うむ」と浅信。


中国征伐は秀吉が買って出た。

進軍を命令する暇もあらばこそ、である。


四国征伐は信繁が出陣した。

浅信は甲斐国つつじヶ崎館でお留守番である。


中国征伐は三木城包囲戦から始まった。

織田軍だった荒木村重は、信長が消えて離反しなかった。


そのため、軍師官兵衛も幽閉はなかった。松寿丸も無事である。

軍師半兵衛は持病の肺の病気を、甲斐信濃の医療施設で治療中で不在である。


竹中半兵衛「あれ、いたくない?」

奇妙寺僧形「4剤併用薬物療法による治療を施したんだ」


半兵衛「4剤とは?」

僧形「イソニアジド+リファンピシン+ピラジナミド+ストレプトマイシン」


半兵衛「ストレプトマイシン単体だと薬物耐性取得結核菌の恐れあり、ですね」

僧形「お、おう」


結核療養は完全に治すまで6-9ヶ月の投薬療法が続けられた。

半兵衛はその間、好きな読書をして過ごした。


一方、ここは三木城を包囲している秀吉軍本陣のある平井山。

秀吉は75mm速射砲などの兵器を運び込んでいない。


三木城は最新兵器に頼らず、兵糧攻めが採用され、世にも悲惨な光景となった。

秀吉は補給路の為の支城から解体し始め、あらゆる海路、陸路、山路を遮断した。


 毛利軍もなんとか兵糧を運び込もうとする(平田合戦・大村合戦)がいずれも失敗に終わっている。

 また四国の元親は毛利の領地にちょっかいを出し、九州豊後の大友氏は秀吉に味方した。

これにより毛利は播磨・摂津間が分断され、支援が出来なくなった。


三木城内は阿鼻叫喚の飢餓地獄だった。

詳細は省略するが「三木のカツエ殺し」と歴史に残る有様である。


足軽A「カツエ殺しとは世にも恐ろしい戦法だな」

足軽B「秀吉様がお味方で本当に良かった」

足軽C「今頃は敵もそうだったらと後悔しとるだろうて」


足軽大将「はいはい!敵の脱走、侵入に注意注意!」


足軽ABC「へーい」


もはや援軍もなく、籠城も無意味だった。

とうとう城主別所長治の切腹と引き換えに、降伏する事となった。


別所長治(23)「うぐうっ」

妻の照子(22)は竹松丸(2)、千松丸(3)、娘の竹姫(5)、虎姫(4)を次々に刺殺した。


妻は自分の胸に刀を突き刺し、黄泉国の住人となった。

長治は遅れまいと切腹を急いだ。


介錯は忠臣三宅治忠である。

彼も十文字腹を召して後を追った。


三木城は落城した。

1年10か月に及ぶ籠城戦はここに終わった。

次は鳥取城攻略だった。

 ここでも秀吉は最新兵器に頼らず、兵糧攻めが採用され、世にも悲惨な光景となった。

 秀吉は兵糧を買い占め、領民を城内へ追いやり、あらゆる海路、陸路、山路を遮断した。


鳥取城内は阿鼻叫喚の飢餓地獄だった。

詳細は省略するが「鳥取の飢え殺し」と歴史に残る有様である。


とうとう鳥取城は落城した。

4か月に及ぶ籠城戦はここに終わった。


飢餓者A「うわあ~っめしだぁ~っ」

飢餓者B「はらいっぱいたべるぞお」

飢餓者C「もっとくれー、もっとー」


秀吉軍「いや、だめだ、お前らにはこれだけ」

兵士がサクラエビ素干しや煮干しを与えた。


飢餓者A「そんなひどい」

飢餓者B「ひでよしはおにか」

飢餓者C「モットー、モットー」


 極限の飢餓を体験した者の、体内の電解質分布の異常が、三木城で報告されている。

現在のリフィーディング症侯群である。


発症機序は、炭水化物(グルコース)の急速な摂取によるインスリンの分布だ。

これが体内の電解質分布の異常を引き起こす。


最も深刻なのは、リンの低下で代謝経路が機能せず、心肺停止に陥る事だ。

だからまずリンを多く含む魚介類の乾物が有効なのである。


秀吉軍「次はこれを食べていい」

兵士が米ぬかや小麦のふふまの汁を与えた。


ビタミンB1欠乏症を緩和するためである。

「そんなひどい」「モットー、モットー」


秀吉軍「次はこれを食べていい」

あおさ、あおのりの素干しを与えた。


マグネシウム欠乏症を緩和するためである。

「そんなひどい」「モットー、モットー」


秀吉軍「次はこれを食べていい」

刻み昆布、干しずいきを与えた。


カリウム欠乏症を緩和するためである。

「そんなひどい」「モットー、モットー」


こうして玄米のおかゆを与える頃には、すっかり欠乏症は消えていた。

秀吉軍のあまりの扱いに暴食ねずみと化した飢餓者はいなくなっていた。


こうして飢餓者は全員が生還した。

腹が破れるほど食って死んだ者はいなかったのだ。

次回は1574年四国中国地方征伐001です。

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