1573年濃尾平野
いよいよ濃尾平野に入った。
ここからは織田信長支配下の敵領土である。
だがしかし。
何の反撃も無い、待ち伏せとも違うようだ。
陽動作戦か?それとも違うようだ。
籠城か?
武田+徳川+今川+北条連合軍は粛々と進軍する。
近隣の町民や農家はこぞって歓迎ムードである。
武田の兵站や戦闘糧食を一目見ようと躍起になっている。
中には、優れた医療設備を持つ野戦病院目当てに、病人を担いでやって来る者までいた。
「うちのお父さんが病気なんです」と泣きながら父親を担いできた少年。
歩けなくなった病人を大八車に乗せてやってきた村人たち。
武田軍は軍隊であるが、救世軍でもある。
駿河や三河に莫大な備蓄が山積みになっていた。
そこからピストン輸送で医療品が送られてくる。
武田軍野戦病院は確かに「動くホスピタル」ではあった。
全員を治療し、重病人は三河や駿河に後送した。
ほとんどがビタミン不足、希少栄養素不足である。
ゲリラが混じっているか万全の体制を敷いたが、ゲリラ活動は無かった。
治して治して治しまくる。
そうすると噂が広がり、続々と病人がやってくる。
「あああああーっ」
重症患者が運び込まれてきた。
森林伐採作業中に負傷したそうだ。
倒木の倒れる方向に受傷者は偶然いた。
<あってはならない事が1万回に1回起こっていた>
何かの拍子に、不用意に手を置いたために前腕部に受傷していた。
だが手首はほとんど皮1枚で繋がっている状態だ。
「触るんじゃない!」
奇妙寺僧形が丁寧にアイシング(冷却)しながら搬送する。
左前腕のざ滅開放骨折だ!
だが手部の血行は保たれている。
指の屈曲及び背屈は可であるが、伸展は不可であった。
触接によれば、正中神経域感覚はあるが尺骨神経域は感覚が脱失している。
骨も筋肉も神経も血管も重大な損傷を受けている。
直ちに緊急手術が行われた。
橈骨動脈と正中神経の連続性は認められる。
尺骨動脈と尺骨神経は、案の定、断裂を認めた。
第2から第5指の伸筋腱、長・短母指伸筋腱、長母指外転筋腱も断裂を認めた。
指の伸展機能は全滅である。
再建手術には骨+神経+血管+腱・筋肉の再建を同時にやる。
奇妙寺の外傷整形外科の技術は振り切れている。
整形外科、神経外科、血管外科が招集された。
4人の外科医が同時に再建手術に取りかかった。
極秘技術X線撮影に掛けて、骨折箇所を特定する。
粉砕骨折断片は再建には使えないほど粉々であった。
だが再建が困難な手首関節はかろうじて避けている。
骨折断片を取り除き、残存骨間隔に腸骨移植を施術する。
骨盤には腸骨稜という移植に使える部分があり、それを使う。
骨盤の形が変わり、後遺障害が出るかもしれないが緊急だ。
プレート固定を施して骨の部分の施術は終了した。
断裂した尺骨神経は50mmでズタズタで使えなくなっていた。
この再建には腓腹神経を移植片として用いた。
腓腹神経は運動神経成分のない感覚神経と交感神経で構成される。
この神経は術後後遺症の麻痺が無く、感覚低下の範囲も狭いためだ。
神経の移植により、神経部分の施術は終了した。
断裂した伸筋腱群は端々吻合し、長掌筋腱で補強固定を行った。
全周性皮膚欠損については遊離広背筋皮弁移植術を行った。
背中にある広い筋肉の広背筋から血管付き移植片をもらうのである。
レシピエント(recipient:受入側)血管は断裂した尺骨動脈と伴走静脈だ。
これにflow-through flapと言って移植する血管付き広背筋皮弁へ血流をバイパスする。
断裂した動脈は外側大腿回旋動脈を移植する。
以上で全ての手術は終了した。
術後、血行障害もなく皮弁は生着し、深部感染もなく、予後は良好である。
感染による難治性の創傷には局所陰圧閉鎖療法(NPWT)を用いる。
今回はこの技術の出番はなかった。
尺骨神経断絶は修復した。
だが、それが原因で手内筋に麻痺が残っている。
1年後、これ以上の再建手術が必要なしと判断された。
この後は形成外科が担当するZ形成術である。
創傷の縫合は縫合創を生む。
これは帝王切開縫合創が有名だ。
骨も筋肉も血管も神経も既に繋がっている。
これは真皮部分の副切開だ。
ケロイド部分の引キツレを取り除く形成術である。
森林伐採業に戻った患者に仲間が仰天した。
同業者A「ない!傷跡がまったくない!」
同業者B「いや、かすかに傷跡みたいな薄い跡がちょっとだけ残ってる」
同業者C「手首が取れそうな大怪我だったのに!」
骨移植+神経移植+血管移植+皮弁移植……etc。
奇妙寺の医療技術は魔法のようだが魔法ではない。
それは人体を知り尽くした知識と技術と技能の集積だ。
人々はその高度な洗練された武田軍&奇妙寺を信じ始めた。
「この人たちなら出来るのでは?」
「この人たちなら天下を任せられるかもしれない」
「この人たちならやってくれるかも?」
武田軍が行軍するにつれ、周囲の庶民にはこういった感情が湧き上がった。
上洛が繰り返される意味を農民も庶民も理解していた。
もはや農民も庶民も、うち続く戦争にうんざりしていたのだ。
誰でもいいから天下を統一して、平和な世界を築いて貰いたい。
庶民の心は戦勝にひた進むより、とにかく平和を望んでいた。
人々の目には期待と希望の輝きが浮かんでいた。
武田軍は西に向かって、ひたすら行軍した。
濃尾平野を進むにつれ、素っ破が情報をもたらしてきた。
素っ破A「なにもありません」
素っ破B「なにもありません」
素っ破C「なにもありません」
「何もない?」と清信。
「何もないとは何だ?なにかあるだろう?」
「土があたり一面に広がっています」と素っ破。
「う~ん、お前、本当に諜報員か?」
諜報員は少しムッとした表情を浮かべた。
「真実を申し上げるのが私の務めです」
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清州城に近づくにつれ、景色が一変した。
素っ破を卑下した自分が恥ずかしい。
清信「なにもない」
浅信「何もなかった」
一面の荒地である。
街も村も畑もない。
何もない。
それは清州城要塞の塹壕までの無人緩衝地帯だった。
次回は1573年超将織田信長(旧題清信被弾)です。