1-3 始まりの平原
「キャロル。そろそろ起きろ、もう昼近くだぞ」
「う……うみゅう……後、十分……」
太陽が頭の上にある時間帯になっても起きないキャロルに、ローネは軽いデコピンを食らわせる。
「あうっ……」という可愛らしい悲鳴と共に、キャロルはゆっくりと目を開く。
「あれっ、ローネさんどうして……あっ!? ご、ごめんなさい! 今すぐ起きますから……!」
のんびり寝ている場合ではなかったと、キャロルは急いで意識を覚醒させる。
「街に戻る準備ができたら、声を掛けて欲しい。それに木の実を採って来たのと、山鳥の焼き鳥を作っておいたから、食べてくれ」
ローネは自らの横に置いてあった皿と、新鮮な水の入ったコップを、キャロルに手渡す。
様々な木の実の盛り合せと、山鳥の焼き鳥を見たキャロルの腹は、昨晩と同じようにクウッと鳴るのだった。
「準備、できました。 ご飯も美味しかったです、ありがとうございます!」
皮の鎧を装備し、短剣を腰に刺したキャロルは、一足先に荷造りを済ませていたローネの下へ、元気よく駆けてきた。
そんなキャロルの様子を見たローネは、どこか満足げだった。
「その調子なら、足のけがはもう大丈夫そうだな。ポーションがよく効いているようで、本当に良かった」
「あ、確かに、もう痛くない……!!」
昨日挫いた足は、朝からもう全く痛みを感じなかったことにたった今気が付いたキャロルは、大きく驚く。
昨日足を引きずって歩いていたことが、嘘のようだった。
「けがが治ったところで、キャロルにはこのグレートブルーの素材の一部を持ってもらう」
「分かりました!」
キャロルは麻袋に入れられたグレートブルーの素材を持ちながらも、「あれ……?」と首を傾げた。
「あの、グレートブルーの素材って確かもっとありましたよね? それはどこに……?」
「それは、こういうことだ。収納!」
テントに向けてローネが手をかざした途端、光と共にテントが消えてしまった。
「えっ……えっ!?」
目を白黒とさせているキャロルに、ローネは説明を始める。
「俺がハンガーって呼んでいる空間に、テントを送った。魔法には、こういう便利なものもあってだな。グレートブルーの素材も、あぁやって収納したんだ。ただし、収納できる量にも限りがあるから、一部はキャロルに手渡したように……そして俺が背負っている背嚢みたいに、持ち歩かないといけないんだ」
「成る程……ローネさんは炎の属性魔法以外にも、こんな魔法も使えるんですね……いいなぁ。私にも、魔力があったらなぁ」
大多数の人間と同じように魔力を持たないキャロルは、ローネを羨ましがった。
だが、そんなキャロルを見て、ローネはどこか困ったような表情になった。
「確かに魔法は使えれば便利だ。でも……こんなに使えるようにならなくても、いいんだ。本当に」
「……?」
「どういうことですか?」とキャロルが問おうとした時には、ローネの大きな掌がキャロルの頭を撫でており、質問はお流れになってしまった。
「はぁ……やっとレイドグラのギルドに着いた……」
冒険者が賑わうギルドの中、キャロルはギルドの椅子に倒れるように座り込み、手にしていた麻袋をドサリと落とした。
キャロルのあまりの疲労困憊っぷりに、ローネは破顔した。
「夕暮れ時前に着いたから、結構早歩きだったな。少し休んだら、依頼終了の報告と報酬金を貰いに行くといい。それと、今のうちに俺が持っているグレートブルーの素材を渡しておく」
ローネはハンガーからグレートブルーの素材が入った麻袋三つを取り出し、キャロルに手渡した。
「あ、ありがとうございま……」
「よう、キャロルちゃん!」
唐突にローネとキャロルの間に割って入ったのは、モヒカン頭で強面が特徴的な、ガタイの良い冒険者だ。
「ぁ……ダグザさん! ちゃんと銀貨二枚、用意できそうです!」
「そうかいそうかい! そいつぁよかったぜ!」
──成る程、こいつがキャロルの取引相手か。
人を見た目で判断するのは、あまり良くはない。
ただ……見るからに真っ当ではなさそうなこの男と、よくキャロルも銀貨2枚もの取引をしようと考えたな、とローネは内心で思ったが、駆け出しであればやむなしかと思い直した。
また……自分の考えていることは、ほぼ間違いなく当たっている、とも感じていた。
「……すまない。会話に割り込むようで悪いんだが、キャロルと銀貨二枚で取引しようって考えているその素材……俺にも見せてくれないか?」
「あんちゃん、誰だ? 俺は今、このお嬢ちゃんと話をしているんだが?」
分かりやすく不機嫌になったダグザに、ローネは右手の指を三本立てた。
「……何だよ、あんちゃん?」
「あんたがキャロルと取引をしようとしている素材。ものによっては、俺が銀貨三枚で買い取ってやる」
「!? ろ、ローネさん!?」
キャロルはローネの意図が分からず慌てるばかりだが、ダグザは彼女とは対照的に、下衆な笑みを浮かべた。
「あぁ、そういうことか。だったらいいぜ、見せてやるよ。……悪いなキャロルちゃん、この取引、なかったことになるかもしれねぇ。……さ、あんちゃん、ギルドの受付カウンターで待っているぜ? モノはそこに預けてあるからよぉ、楽しみに待っているぜ!」
ダグザは高笑いをしながら、二人から離れていった。
「ローネさん、一体何を!?」
キャロルの抗議に、ローネは静かに答える。
「いや、少し待て。この取引は……間違いなく、不当なものだ」
「なっ……!? そんなこと、どうして分かるんですか!? ローネさんは、私が取引をする素材の名前も知らないのに!!」
キャロルの瞳には「詳しく説明してください!」という文字が刻まれているようだった。
しかし、ローネはこの場ではそれに答えようとはしなかった。
「ともかく、キャロルは今回の依頼の報酬を受け取ってきてくれ。その間に、俺はある人に話をして来る。後で、ギルドの受付カウンターで会おう」
半ば強引に話を切られてしまったキャロルは「もう……どういうことなのよ……」と独り言を漏らしながらも、報酬を受け取りに向かった。
「お、来たなあんちゃん! キャロルちゃんと、さっきから待っていたぜぇ!」
やけに上機嫌な男だったが、ローネは無関心気味に淡々としていた。
「早くモノを出してくれ」
「へいへい、慌てなさるなって……ねえちゃん! 例のモノ、出してくれ!」
ギルドの受付の女性は、カウンターの下からとある素材を取り出した。
「こちらで、お間違いないですね?」
「えぇ、これよこれ」
女性から素材を受け取ったダグザは、ローネとキャロルの前に、掌大のそれをちらつかせる。
「これは、かの有名な金色の剣皇が修業時代に使っていたという剣を再現するのに、必要不可欠な素材……白昇竜の鱗だ! お手ごろ価格の銀貨二枚でキャロルちゃんに譲ろうと……思っていたけれども。あんちゃんになら分かるだろうが、この鱗は銀貨三枚でも安すぎる代物だ! さぁ、買った買った!!」
勝ち誇ったかのような笑みを浮かべるダグザを見て、ローネは思わず……笑いをこぼした。
「成る程、安く見積もって銀貨三枚……か。ならあれを見て、貴方はどう思いますか? ギルド長」
ローネがそう呼んだ時には、白い頭髪と髭をたくわえた初老くらいの男性が、いつの間にかキャロルの真横に現れていた。
「きゃっ!? ぎ、ギルド長さん……!」
いつの間にか横にいた男性……ギルド長のオーフェンに驚くキャロルだったが、オーフェンは「ほっほっほ」と朗らかに笑った。
「ぎ、ギルド長、オーフェン様……!!」
突然現れたギルド長に慄くダグザだったが、オーフェンは構わず話を続ける。
「ふむふむ。それが本当に白昇竜の鱗であれば、確かに格安だ。白昇竜の鱗はその希少さ故、金貨三枚はくだらない価値を持つ。ただし……」
オーフェンは小さな目を少し開き、声を低くする。
「その素材は流通が制限されているため、取引を許されているのは限られた商人のみだ。それに……ほれ、ローネ君」
「分かりました。……小火炎」
ローネが魔力を解放し、ダグザの掌にあった鱗に手をかざした途端……鱗は、あっという間に発火してしまった。
「う、うわあちぃ! 白昇竜の鱗が! 何しやがるテメェ!」
ダグザはあまりの熱さに鱗を取り落とし、憤怒の形相になるが、ローネは冷めた声で続ける。
「白昇竜の鱗はただ希少で高価なだけではなく、属性魔法などに強い耐性を持つ。だからその素材を使った武器や鎧は、属性攻撃を断ち切り、または通さない特性を有する。だというのに……こうも簡単に鱗が燃えた。それは……何故だ?」
恫喝でもないのに、深く恐ろしく響き渡るローネの声に、ダグザは震えだした。
「そもそも、お前がさっき言っていた『金色の剣皇が修業時代に使っていた剣』の素材だが、あれはそれぞれ、どう安く見積もっても銀貨数枚で買える素材など一つもない。全て……金貨一枚以上はする代物ばかりだ」
「ダグザ君、君はCランク冒険者として、長年上手くやってくれたが……これは少しばかり、酷いことをしてくれたな」
残念そうなオーフェンの声に、ダグザは踵を返して駆けだした。
「クソッ、何であと少しって時に……! それに、あのあんちゃん魔法も使えるみたいだったし、一体何者だ……グウッ!?」
「……逃がす訳がないだろう」
後ろから素早くダグザに迫ったローネは、その首に手刀を叩き込み、問答無用で気絶させた。
「ギルド長。こいつはどうしますか?」
「ほっほっほ……衛兵に引き渡すのが、一番ではないかな」
この後、ダグザの身柄は詐欺の容疑で、衛兵に引き渡されたのだった。