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伝えたい感動

作者: 二見

「……はあ」


 頭を抱えながら、私はろくろの前でうなだれていた。

 私は陶芸家として活動しいている。

 小さい頃から父親に焼き物の楽しさを教えてもらっていた。はじめは粘土でこねて器の形を作るだけだったが、やがて作品制作に至って今では職として確立している。

 自分の作った器一つに大きな金額がかかるのは、申し訳ないという気持ちも多少はありながらもやはり嬉しい。自分の作品が世間に認められていると実感できるからだ。それが創作意欲を刺激して、また私を創作へと導いてくれる。

 とはいっても、意欲があれば作品が作れるという単純なものではない。時には今現在のようにいいアイデアが出なくて行き詰まることもあるのだ。あるいは、いいアイデアがあっても中々思い通りの形ができないこともある。

 そういう局面になったときに、私は睡眠時間や休憩を削ってとにかく土を触る。とりあえず形を作れば何かしらのいいアイデアが出るかもしれないと考えているからだ。しかしうまくいかない。もうこの状態が一か月近く続いている。


「どうすればいいのよ……」


 幸い結婚していて夫も働いているので、経済的な不安はないが、このままでは陶芸家としての人生に終止符を打ちかねない。

 悩みながらも手を加えてみるが、やはりしっくりこない。そうこうしているうちに時間だけが過ぎていく。

気が付いたらもう日が暮れていた。


「はあ、結局今日も進まなかった……」


 意気消沈している私は、作業場から離れて自宅へと向かった。


 家に着くと、すでに会社から帰宅していた夫が出迎えてくれた。


「おかえり。もうご飯の支度ができてるよ」

「ありがとう」


 体はさほど疲れていないものの、精神はまいっている。こういうときは美味しいものを食べてリラックスするのが一番だ。


「いただきます」


 夫が作ってくれた料理に手を付ける。夫は普通の会社員なのだが、趣味で料理をしているため味は美味しい。


「うんっ、今日も美味しい」

「それはよかった」


 夫はニコニコと笑っている。その笑顔を見ると、張りつめていた気が少しだけリラックスできた。


「ところで、仕事ははかどってる?」

「全然。毎日同じことの繰り返し」


 食事を平らげた私は、お酒を飲みながら夫と語り合っていた。


「はあ、もうどうしたらいいんだろ」


 机に突っ伏しながら同じことを呟く。


「作品を完成させなきゃって気を張りすぎなんだよ」

「そうは言ってもさあ……」


 ここまで進捗状況が悪かったら気を張らざるを得ない。それが悪循環になることはわかっているが、陶芸家としての面子やプライドなどが邪魔して完成させなければというプレッシャーが襲い掛かる。


「なんか、私の作品を評価してくれている人たちに申し訳なくてさ」

「……そっか。まあ今日はもう休みなよ」


 夫は優しく私を慰めてくれる。その言葉に甘えて今日は休むことにした。




 しかし、現実はやってくる。

 相変わらず作業が進まない。このままではダメだと思ったので、本日は夜遅くまで制作することにした。


「というわけだから、今日は帰るのが遅くなるわ」

『……わかった。何かあったらすぐ連絡してね』

「ええ、もちろん」


 通話を切り、制作に集中する。


「よし、やるぞ!」


 意気込みは十分。後は私がどれだけの作品を作れるかだ。


 その日から毎日、私は夜遅くまで制作をつづけた。

 素焼きしてうまくいかなかったら壊してまた作りだし、本焼きでうまくいかなかったら壊してまた作るを繰り返した。

 無駄に土や釉薬などが消費されていく。自分が作りたいという作品の理想すら思い浮かんでいないからだ。

 最近では睡眠時間を極力削り、中には徹夜する日もあった。それほど作業が難航しているのだ。

 そして今日も、自宅には帰らずに仕事をするつもりだ。


「……またダメ、色が強く出すぎ。こんなんじゃ誰にも評価してもらえない」


 本焼きした作品が納得いくものではなかったので、金づちで壊す。

 素焼きの段階ならともかく、何日も乾燥させた後に何時間も焼き続ける本焼きで納得のいかないものができると非常に気が滅入る。


「……もうこんな時間。少し休憩しよう」


 休憩することで何か新しいアイデアが思い浮かばないかと思ったが、そんなことはなかった。


「……よし、やろう」


 数日前まではあったやる気が嘘のようになくなっていた。

 土を触る手に力が入らない。頭もうまく回っていない気がするし、体が疲れ切っているのは明らかだった。


「でも、さっき休憩をとったばかりでもう休むわけにはいかない……」


 体に鞭を打って作業を再開しようとした。


「待って。今日はもう休もう」


 と、後ろからいつの間にか来ていた夫に声をかけられる。


「あなた、いつの間に……」

「ここ数日帰ってきてないだろう? それに体も疲れ切っているし、しばらく休んだ方がいい」

「そんなこといったって、私は作品を作らなければならないんだし」


 夫の気遣いはありがたいが、今の私にはそれを受け入れる余裕はない。


「……なあ、君は陶芸というものをどのように考えているんだ?」

「え?」


 急に夫に質問をされた。


「どのようにって言われても」

「陶芸って、単に器や壺なんかを作るためのものなのか?」

「いや、そんな簡単なものじゃないよ。作品には作者の本質が見えるっていわれてるし」

「それなら、今の君が答えじゃないか」


 物事の核心をついたように、夫がきっぱりと言い放つ。


「どういうこと?」

「今の君が作ろうとしているのは、まさしくただの壺や器だ。料理を食べるために使ったり、物を入れたりするための存在にすぎない」

「そんなこと……」


 ない、とは言えなかった。


「陶芸はただ単に器を作るものではなく、芸術だろう? 自分の中にある感動や表現したいと思っているものを陶器という形で創り出す。ところが今の君にはそういったものがない。ただ作品を作りたいという気持ちだけで、その作品を見る人たちに伝えたいという感動がないんだ。それでは納得のいくものなんて作れるわけないし、作れたとしても誰も感動しない」


 夫の言う通りだった。

 今の私は、いいものが作れないという焦りからとにかく作品を完成させることを第一にしていた。それがさらに焦りを生み、結果的に作品は完成せずにまた焦る、という悪循環に陥っていたのだ。私の作品を見てくれる人たちに感動を与えたいという、陶芸家として、いや芸術家として当たり前の志をいつの間にか忘れていた。


「思うように作品が作れないという時にこそ、焦らず平常心でいるべきなんだ。たとえ時間がかかったとしても、自分が伝えたいという感動を表現できるようにするために」

「……その通りね」


 その言葉が口から出た途端、これまで背負っていたプレッシャーやプライドやらが下りた気がした。


「だから、今日はもう休もう。そして明日近くを散歩してくるといい。外の空気でも吸ったら、心も体もリフレッシュするだろうから」

「うん。やってみる」


 夫に連れられて自宅へ帰り、私は食事も風呂もとらずにすぐさま眠りについた。




 翌日、特に目覚ましもかけていないのに朝早くに目覚めた。

 これまでの夜更かしや徹夜で疲れがたまっていたので、寝坊するかと思っていたのだが意外に早く起きることができた。


「……」


 不思議と、体に疲れやだるさは残っていない。昨日まで疲れていたのが嘘のようだった。恐らく肉体的な疲れよりも、精神的な疲れの方が大きかったのだろう。それが昨日の夫の言葉によって払拭されたので、気が楽になったのだ。

 私は台所へと向かい、軽く朝食をとってまだ寝ている夫をそっと覗き見て散歩に出かけた。


「何だか久しぶりだな、こうやって散歩するの」


 最近はろくに外を歩くということをしなかった。いつも仕事場に引きこもって制作をしていたので、外の空気が新鮮なように思えた。

 試しに一回深呼吸をしてみる。新鮮な空気が、私の体中に染み渡る。これまで溜まっていたモヤモヤが、すっきり浄化されたようだった。


「うん、いい気持ち」


 ただ外で深呼吸をしたというだけなのに、私は少し感動していた。

今散歩しているルートは、普段私が買い物に行ったり出かけたりするときによく通る道だ。普段から見慣れているので新鮮味はないが、最近はろくに歩いていなかったせいか、目新しく見える気がする。

 見慣れた街並みを、ただ歩くだけ。それなのに、なぜ心が透き通るのだろうか。


「あ……」


 当てもなく歩いていると、いつの間にか公園に辿り着いていた。ここは大きな運動公園で、野球場やテニスコートをはじめ、様々な運動施設がもうけられている。ランニングコースもあるので、たまに休日になると夫と運動不足解消のためにマラソンをすることもある。

 この運動公園には、様々な種類の植物たちが生い茂っている。夏場は虫が多くて少し鬱陶しいが、今の季節になると冷たい風が吹いて木々や植物が揺れて心地よさを感じるものだ。

 少し休もうと思い、私は近くにあったベンチに座った。朝早いので人はそんなにいないが、お年寄りの方や小さい子供を連れた家族が走ったり遊んだりしている。

 その光景を見て、私はようやく今日が平日だということに気づいた。


「……まったく、曜日感覚が薄れているなんて、まるで引きこもりね」


 実際、ここ一か月以上はまともに働いていないので、実質引きこもりみたいなものだが。

 目を閉じ、体で自然を感じてみる。木々が揺れる音や風が吹く音、その感触などが過敏に感じ取れる。目で見ているときとはまた違った感覚があるので面白い。

 しばらくベンチで座っていたので、そろそろ散歩を再開しようと思い、立ち上がる。次はどこへ行こうか。


「いや、当てもなく歩くのが楽しいんじゃない」


 心の自分に返答し、再び歩き始めた。


 次に着いたのは駅前だった。最寄り駅は結構大きくてお店もたくさんあり、毎日大勢の人たちが行き交う。その人たちの出で立ちは様々だ。スーツを着ている人もいれば、私服を着ている人もいる。皆それぞれに生活や仕事があって、それぞれの思惑を心に抱いているのだろう。


「こんなこと、普段では考えないのに」


 今日の私は、どこか変わっている。毎日当たり前に感じている物事をさも特別なことのように考えているのだ。


「気持ちを入れ替えて見てみると、世界ってこんなにも違うように感じることができるんだな」


 当たり前のことを当たり前に感じているだけなのに、どこか感動している。


「そうか、これが感動なんだ」


 私は今まで、感動というものを勘違いしていた。嬉しいことや悲しいことなどに触れ合わなければ感じることができないと思っていた。しかしそれは違った。心の持ちようによって、普段の何気ない日常生活からでも感動をすることができるのだ。

 となれば、私が陶芸を通して作品を見てくれる人たちに伝えたい感動とは何なのか。


「……」


 まだ答えは出ないけど、ヒントはもらったような気がする。今まで悩んでいた問題が、たった一日だけで解答に近づいたようだった。


「……よし!」


 心にかかっていた霧は晴れた。後は道を辿って目的地に着くだけだ。

 私は昨日とも、散歩に出かける前とも違う心情で帰宅した。




「おかえり。こんな朝早くから散歩してきたんだね」


 家に着くと、仕事の準備をしている夫が出迎えてくれた。


「うん。まだ悩みが解決したわけではないけど、心のリフレッシュはできたよ」

「それはよかった」


 夫はニコニコ笑っている。その笑顔を見て、私も思わず笑ってしまった。


「どうしたの、急に」

「いや、なんかこの前も同じようなことがあったなって」


 夫はよくわかっていないようだ。


「それより、仕事大丈夫?」

「あっ、じゃあ行ってくるね」

「ええ、行ってらっしゃい」


 少し慌てて夫が家を出ていった。

 仕事に行く旦那を見送るのって、まるで妻みたいな行動だ。というか、ここ最近は妻らしいことが全然できていなかった気がする。夫は夫らしく私を支えてくれたのに。


「……恩返し、しなくちゃね」


 今日は奮発して豪華なご馳走を作ろう。たまには妻らしいことをしなくちゃね。陶芸家の前に、私は一人の人間であり、愛する人の妻なんだから。

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