三人称
章で分けてみました。
死にたい。
彼女は思っていた。
早く死にたい。
彼女はずっとそう思っていた。
彼女は閉じ込められていた。そこは高い石塔の上だった。一枚岩を削って作られた、さながら自然の要塞のような場所であった。その一番天辺の石室に彼女は閉じ込められていた。
彼女自身閉じ込められている理由は知らない。分からない。誰からも教えられていない。彼女は物心つく前からその場所に閉じ込められていた。
食事は一日二回、朝と晩。昼は無い。時間になると、石室の扉が一部が開いて、そこから葉っぱに包まれた食べ物が部屋の中に放り込まれる。それは粗末な食事だった。食べないほうがマシだと思えるような代物だった。しかし彼女がそれを食べないのが見つかると、酷い目にあう。男達が入ってきて、彼女を押さえつけて無理やり食べさせるのだ。何故だか食べないと責められ、大声で怒鳴られ、叩かれた。彼女はそういった事を何度か経験して、無理やり食べさせられる位なら自分で食べた方がマシだと思い、今では自主的に食べていた。
風呂は一週間に一度、深夜に入ることが許されていた。その時だけ彼女はその石室から外に出された。両手両足を何かの植物の蔓で拘束されて、体にもその蔓を巻きつけられて、逃げられないようにされてから、そのまま不自由な体勢で石塔の外にある風呂場まで歩いて行かなくてはいけなかった。最初の頃は慣れずに何度も転んだ。階段などでも転んだ。硬い石で出来ている段差を落ちて膝や顔から出血した事もあった。しかし転んでも誰も起こしてくれなかったし、怪我をした事を見張りの男達に怒鳴られたりした。その後、一応治療はされたが、結局は誰も彼女を助けてくれなかった。つまり解放はされなかった。ということだ。
そうしている内に不自由な状態で歩くのも慣れてしまった。今では目を瞑っても石塔の上下動など問題なく出来る様になった。
いつからか風呂の往復の時に、なぜか決まった女性が彼女のことを拘束する蔓を持つようになった。それまでは誰かしら男がその蔓を持ち、乱暴に移動させられていたが、彼女が風呂に入っているときもすぐ側で蔓を持って待つ必要があり、それで女性に代わったのかもしれない。一応女、という配慮だろう。
彼女から、その蔓を持つ女性に何かを話した事は無い。男のとき転んで泣いたり叫んだりしてもろくな助けも貰えずむしろ叱責され続けていたので、下手に何か言って、男共に怒られるのが怖かった。同じくその女性の側からも彼女に何かを話しかけたりしたことは無かった。
石塔の一番天辺から風呂場に移動する間、風呂に入っている短い時間、そして天辺の石室に戻る間、もう何回目になるかも思い出せないが、二人はずっと無言だった。何も感じないような顔をして、ただ黙々と、粛々と、作業のように移動するだけだった。
「・・・」
彼女が閉じ込められている石室の天井の一部分には、歪な形をした穴が開いていた。そこからは狭かったが空が見えた。彼女はいつも穴とは反対側にある壁に寄りかかって膝を抱え、そこから見える空を眺めていた。彼女にはそこに閉じ込められている間、それ以外にやる事が無かった。だから空を見るしかなかった。
彼女が眺めていた空には、
青いだけの空。
雲が流れている空。
ねずみ色の空。
雨が降り注ぐ薄暗い空。
赤い空。
黒い空。
と、様々な表情があった。
彼女はソレを毎日、なんとなく、見るとも無く、ただ眺めていた。ただじっと眺めていた。静物のように動かずに、ただじっと。
ただし、その穴から空を眺める事で彼女の心の根底にある『死にたい』という感情が消えた事は一度として無い。一瞬も無い。彼女はずっと死にたいと思いながら、穴から空を眺めていた。死にたい。死にたい。早く死にたい。と、そう思いながら空を眺めていた。
その穴から見える空は彼女に癒しや慰めを与えるものでは無かった。
でも、その空は彼女の心を、まだどこかに繋ぎ止めていた。
どこだかはわからない。しかし間違いなくどこかに繋ぎ止めていた。その証拠に、彼女は死にたいと思いながら、それでもその日も空を見ていたのだから。
荒れ狂う嵐の海、恐ろしい姿と、形相をした波が次々と襲い掛かり近づくことも出来ない小さな桟橋の端、そこに繋ぎとめられた無力な小船のように、それでも彼女はまだそこに、無力な小船のように留まっていた。今にも繋ぎ止めていたロープが解けて、どこか得体の知れない場所に行ってしまう。そうして誰も知らない場所で誰にも知られずあっという間に沈んでしまい、もう見えなくなる。沈んだら最後もう二度と、見つかる事は無い。
まだ彼女はかろうじて留まっていた。
いや、本当は、放してしまいたかったのだ。
彼女は死にたかった。
死にたかった。
もう手を放してしまいたかった。
それなのに彼女には、自らそのロープを解いてどこかに消えてしまう事もできなかった。
彼女は自殺する事が出来なかった。それは許されなかった。
死にたいと思って、今まで何度も自殺をした。しかし、異変が見つかると、すぐに扉が開き、男達がやってきて、彼女の命を寸でのところで助けてしまうのだ。死にたいのに、助かってしまう。そして助かってしまうと、男達に酷い折檻を受ける。舌を引き抜かれそうになったこともあるし、目を火箸でほじくられそうになった事もある。指をちぎられそうになったこともある。泣いてもかまわず殴られて、もう二度と、二度とこんな事はしないと、誓わせられる。
ずっとソレの繰り返しだった。
彼女は、忌み者のように他の人々から侮蔑を浴び、身に覚えも意味も分からず石塔に監禁されて、生まれたときから自由も無く、自殺の権利ももらえず、でも、生かされていた。
彼女自身は何も分からなかったが、他の者達にとってみれば、彼女が生かされているのには意味があったのだ。
彼女は、供物だ。
何時来るとも分からない、しかし来るべき時のための、生贄だった。
彼女はその為に、監禁されていた。
死にたい。
彼女はそう思いながら、その日も空を見ていた。
彼女の願いを叶える為には、その時を待つしかなかった。
来るべき時を待つしかなかった。
※
え?今?いや、ちょっと、あ、アームスだ。今、それどころじゃねえ。
「うあああ!アルゴスのワームだあああ!」
ゴノイがそれを見てすごく大きな声を上げた。大きな、ものすごく大きな声だ。しかしその声は驚愕の声でも、恐怖感から出た声でもなかった。
「いひゃあああ!」
それは嬌声みたいな声だった。場違いな。さすがに腹立たしかった。
「うっせえ今!馬鹿!」
相も変わらず、どこかも知らねえ異世界の森の中を居るかわからないエルフを探して、ゴノイと歩いていると、突然巨大なワームが俺達の目の前に現れた。
「ゲルルウ・・・」
そのワームは俺達を見てそんな唸り声を上げた。
「ちょっと、勇者さん!今こいつゲルルグって言いましたよ!」
「黙ってろこの野郎!」
アルゴスのワームとかゲルルグとか、俺には意味が分かんねけえど、でも少なくとも今、いや、今も、か?とにかくゴノイは真面目じゃない。こいつはずっと真面目じゃない!
「・・・」
ただ、さすがに俺はドキドキしていた。知らねえ異世界の森の中で、突然現れたでっけえワームと対峙しているんだから当たり前だ。
さすがにこいつは木の棒では倒せんぞ・・・。
どうする?
俺とワームはしばらくお互いに動かず、ただ黙って対していた。
パシャ!パシャ!
その間も後ろから携帯で写真を撮る音が連発していたが、もう俺は何も言わなかった。
もう振り向けない。動いたらおそらく始まるだろう。
戦いが。
俺はワームを睨みつけたまま、歯を食いしばった。
お前もやる気なんだろう?
この野郎。かかってこい。
俺だって簡単にやられたりはしないぞ。
どっちかが倒れるまでやるんだろ?デスマッチだろ?
なあ?
もう始まる。始める。
「じゃあ、そろそろお昼にしましょうか」
しかし気が付くと、俺のすぐ横にゴノイが突っ立ていた。
「おい!お前!ちょっと下がって・・・」
俺がゴノイを下がらせようとした瞬間、あたりの木々をなぎ倒しながら、半円を描いてこちらに突っ込んできたワームの尾が俺達の事を吹き飛ばした。
※
キャンディキャンディ、キャンディキャンディキャンディ・・・。
何かの音楽が聞こえてきて、それで俺は目を覚ました。
「あ、起きた」
ゴノイの声がした。
「おい!お前!」
「勇者さん、今暴れない方がいいですよ」
「ああ!」
「今、木の上ですから。ちなみに私は羽ノ上ですけど、羽ノ上五ノ井ですけど!」
「馬鹿野郎お前!おわあ!」
確かにその時俺達は木の上にいた。危うく落ちるところだった。
「6/6のトランプルで吹っ飛ばされて、木の上に着陸しましたよ」
ゴノイは音楽を聴いていた。
「お前、何してんだよ!」
「音楽を聴いています」
「怪我はよ!」
その質問の時だけ、ゴノイは何も答えずににやりと笑った。
「あのワームと戦うんですか?」
それからゴノイは何事もないかの様に、超困惑している俺に聞いてきた。
「・・・」
何が聞きたいんだか、何が知りたいんだか俺にはわからなかった。
「ワームって美味しんですかね?」
「えー」
それ?興味があることそれ?懸案事項それ?
「まあ、とりあえず戦うんだったら、ちょっと待ってください・・・」
そう言うとゴノイは自分のバックをゴソゴソとして、
「これどうぞ」
「なんだよこれ?」
それは包丁だった。
「こないだアマゾンで新しい包丁買ったんで、これはもういらないから持ってきたんです」
「なんで?」
っていうか、だったらもっと早く出さない?最初から出さない?
「包丁って、ほら、処分の仕方が面倒くさいんですよ。ゴミの分別の仕方っていうのかな。だから異世界に持ってきました」
「お前、戦う準備していないって言ってたじゃん!」
「戦う準備はしてないですよお!これは処分が面倒くさいから持ってきたんです!」
だからなんでお前が怒るの?そんな怒った顔をするわけ?できるの?俺はそう思いながらもその包丁を掴んだ。まあ、木の棒と対して変わらないような気がしないでもないが、もう真面目に考えるのもバカバカしいよな・・・。
「あと、これ」
「ん?」
「お腹がすいているからカリカリするんですよ。男の人って大体」
「なんだよ?」
「BLTサンドです」
ゴノイの持っているその物体はラップで包まれており、サンドイッチらしかったが、具がちょっとはみ出ていた。ワームに飛ばされたからか?説明してくれ、最初からこうなのか?それともワームのせいか?どっちなんだ。
「なんだこれ?」
「だからBLTサンドだ!」
「分かんねえよ!」
わかるか!異世界から来た奴が、突然BLTサンドとか言われてわかるか!わかってたまるか!
「今日の晩御飯はワームな」
ゴノイはそう言うと、そのBLTサンドというものからラップを剥がして、手で半分にちぎった。そのせいでまたちょっと具がはみ出てしまった。
「はい、あとは勇者さんの行い如何で、今日の晩ご飯の有無が決まるから」
「・・・」
ゴノイが食べたところを確認して、俺も一口で食べた。
「勇者さん。くれぐれも頑張らないでね!」
奴は俺の肩を叩いて、そう言った。
「ザググウ・・・」
声が聞こえてきた。
俺達のいる木の下から。
さっきのあのワームだと見なくてもわかった。
「まあ、じゃあ行ってくるから」
俺は包丁を握って、枝の上で立ち上がった。
「ほどほどにね!」
ゴノイはそう言って今度は尻をバンバンしてきた。
「・・・まあ、そうするわ。んで!お前は終わるまで降りてくんなよ!」
さっきみたいなことをまたされても困るからな。
「おーらい」
「何がおーらいだよ」
馬鹿野郎。
「あ、ところで勇者さん」
ゴノイは突然、なんか打って変わって深刻そうな声を出した。
「どうした?」
思わず不安になってゴノイの側を振り返る。
「あのワーム、今度はザクって言いましたよ」
包丁で刺したい。こいつを刺したい。
「黙っとけ!」
※
木を降りて改めて対峙してみると、そのワームはかなりな巨体だった。包丁を持つ手にも自然と力が入る。しかしその直後にすぐに笑いがこみ上げてきた。
「こいつを食うってか・・・」
お前晩ご飯だってよ。
肩の力が抜ける。
あいつ何なの?
「グフウウ・・・」
ワームは俺を見ながら唸った。
いいぜ、来いよ。
俺は構えた。
「今度はグフって言ったああ!」
木の上から叫び声が聞こえる。
「黙ってろ!」
あいつマジで、何なんだ?
笑えてきて困るんだけど。
あと、挿絵とかってどうやってやるんですか?
5,000文字