1-8 失ったもの、残ったもの
翌朝、総一は男性と女性の二人を伴って屋敷の部屋にいた従弟妹らの前に現れた。
「お兄ちゃん、どこ行ってたの?」
「女中のおばさん達が大騒ぎしてたよ」
「早く着替え……あれ、もう着替えてたんだ」
喪服代わりの制服に着替え終えた子供達がやややつれた顔で矢継ぎ早に声をかけてくる。
「ごめんね。ちょっと行く所があって出かけてたんだ……」
「ちょうどもうお屋敷を出る時間だったから……ほら、お兄ちゃんも急がなくちゃ」
「うん、分かった。それと、ちょっといいかな。後で皆に言わなきゃいけない事があるんだ」
「うん? いいけど……」
今の加茂家の葬式という状況もあり、話と聞いて暗い想像しかできないのか従妹の貴美恵は鈍い反応だ。
それから一旦落ち着いた彼女はずっと気になっていた事を総一に尋ねた。
「ところでお兄ちゃんの後ろ、白梅さんと……お兄さん、誰なの?」
貴美恵はそう首をかしげて総一の後ろの男性を見上げながら問うた。
総一が連れてきた男女について、一人は十代半ばくらいの少女で、もう一人は二十歳を過ぎたくらいの青年だった。
少女の名前は白梅童女。季節を無視していつも黒地に枝無しの白梅紅梅の花を散らした着物を着て赤帯を結んでいる。白髪は後ろで結って一本の簪を刺しており、その日の気分によって飾りや細工の違う簪を使っていた。
普段はにこにこと笑顔を浮かべており、おっとりとした少女だが、その正体は賀茂家の屋敷の庭に花を咲かせる樹齢千年近い白梅の木の精だ。長い年月を経て天地の精気を浴び続けたことで、少女の肉体へと人化できるようになった。それからは賀茂家に代々女中として仕え続けている少女である。一言で言えば、皆のお姉さん的存在だ。長い年月を生きているせいか、時折丸一日を寝て過ごしたり、ぼんやりとしたまま終わらせるのんびり屋さんでもあるが。
先日の加茂家壊滅の『事件』の際には屋敷の留守を任され、子供達の面倒を見ていた事からも賀茂一族の中での信用・信頼度は非常に高い。なお、過去に時代は違うが何度か賀茂家の男子と恋仲になっている。
貴美恵ら子供達は「白梅さん」「白梅お姉ちゃん」などと言って慕っている。
一方、青年は礼服のブラックスーツを着ており、七三分けのショートの髪型や切れ長の鋭い目つきからインテリな印象を強く受ける。これでメガネでもかけていればある意味完璧だ。
青年はすまし顔で黙ったまま総一の後ろに控えており、その姿はまるで秘書にも見える。
総一は貴美恵の問いかけに答えた。
「この人は賀茂貴博さんだよ」
「え?」
賀茂という姓に従弟妹ら全員が怪訝な顔になる。なぜなら皆が知る一族に目の前の男性はいなかったのだから。如何に宗家分家で一族の数が多いとはいえ、誰一人知らないということはまずないはずなのだ。
その皆の疑問が吹き出す前に総一はすぐネタばらしをした。
「うん、本当は名前を貸してもらってきただけ。夜の内に白梅さんと話して、まだ一人だけ賀茂家の人が外にいるっていうから会ってきたんだ」
「あらあら。総一様、今はもう白梅とお呼びくださいな。あのですね皆様、昔お一人宗家直系ですが一族の縁を切ってこのお屋敷を出て行った子がいたんですよ。住んでいる場所は把握していたので、厚かましい行為で大変心苦しかったのですが、お願いがあって総一様と遠いところお会いしに行ったのです。残念ながらお屋敷に戻ってきてくれる事はなかったのですが、名前を好きに使っていいとの事で、こちらのお方に使ってもらう事になったのですよ。その方が『賀茂貴博』様なのです。けれど、あの子もすっかりお年を召されてしまって……お土産にあの子の好きだったコロッケを持っていったらまだ喜んでくれて、嬉しかったですねぇ」
「皆さん、始めまして。賀茂家の者として働くので今後ともよろしくお願いします」
ここで初めてスーツ姿の青年が口を開き、おじぎをした。子供達も揃っておじぎを返す。
神経質そうな見た目とは裏腹に、その声は穏やかだった。
「実はね、この人はね――」
それから総一は改めて青年の『正体』を子供らに明かす。
「ふうん?」
だが子供らにとっては耳に馴染みのない名前だったようで、反応は薄かった。
けれど存在自体は身近なものだったため、すぐに受け入れてくれた。
「さあさ、皆様。長話をする時間ももうありません。時間が無かったとはいえ、女中の皆さんにも大層心配をおかけしてしまって……早く謝らないといけませんね。わたくしが説明しますゆえ、皆様方はもうお行きになって下さいな」
「すいません、僕のせいで……よろしくお願いします」
「いいぇ、お気になさらず。ささ、急いで下さいな」
「じゃあ、皆行こうか。貴博さんはここで待っててください。後で一緒についてきて欲しい所があります」
「かしこまりました」
総一と子供達が部屋を出て行く。
外は今日も快晴。晴れ渡った空に照りつける日差しが春の終わりと夏の始まりを思い起こさせる。
総一は先頭に立ち一度深呼吸をした後、力強く前を見据え、迷いない足取りで進んでいった。
葬式が全て終わって屋敷に戻ってきた後、総一は婚約者である日下部利紗の父親と場を改めて会う事になった。
「やあ、総一君」
「こんにちは、日下部のおじ様」
利紗の父親は総一を笑顔で迎えようとして、一瞬固まる。総一が利紗の父親の知らない青年を後ろに連れて来客用の部屋へと入ってきたからだ。
利紗の父親は総一の側に控える見知らぬ青年にわずかに視線をやり、場の空気が考えていたものと違って硬く重い事に気付いた。
そしてそれが主に総一の纏う空気によるものだと気付いたのは、彼が正面から相対してその表情を見てからだった。
二人はフローリングの部屋でソファーに座って向かい合った。青年の賀茂貴博は総一の後ろに控えるように立つ。
「さて、昨日の話は考えてくれたかな。どうやら陰陽寮の陰陽頭様もそう熱心ではないとはいえ、君たちの後見人に名乗りを上げているようだが……私としてはぜひ日下部家に来てもらいたいと思っているんだ。利紗だって喜ぶだろうしね」
まず彼はフレンドリーにそう切り出した。
総一は利紗という婚約者の名前に一瞬体を固くしたが、すぐに平静を装う。意志で感情を抑え付ける。
「はい。すいませんが全てお断りします」
「ふむ。どうしてなのか教えてくれないか」
「僕が宗主となり、賀茂家を継ぎます。賀茂家はまだ僕がいる。終わっていません。僕が絶対にまた賀茂家を賑やかにしてみせます」
「それは無理だよ」
総一の決意溢れる言葉に、あえて利紗の父親は強く断言して否定した。
「まず第一に君たち子供達だけで暮らして行くなんて国としても許されない事なんだよ。後見人といって必ず責任をとれる大人がいなくちゃだめなんだ。そして『人』がいない。君には難しいだろうが、確かに今までの賀茂家には様々な融通が効いた。これは国家機関などに自分の息のかかった人が入り、パイプ役をして調整及び根回しをしていたからなんだ。そのおかげで色んな特別扱いができていた。けれどその『人』がいなくなった今、今までどおりにやろうとしても突っぱねられてしまう。それができなくなれば、後は利害や損得といったもので人を動かすしかないが、今の賀茂家にはそれで交渉できるだけの材料はない。今まであった人材も財力も地位も権力も全てもうないんだよ。今、君一人の言葉でどれだけの人が動くというのかな。答えは誰もいない、だよ。そう、最大の問題は君たちが、幼い子供でしかないという事だ。賀茂家という後ろ盾がなくなった今、誰も君たちを信用しようとはしないだろう。誰も、総一君、君の話を真面目に取り合おうとはしないだろう。また、君にそれだけの力もない。それが子供という事なんだ」
畳み掛けるように次々と現状を説く。
総一のやろうとしている事がどれだけ厳しい事か、力不足かを真正面から突きつける。
利紗の父親は子供相手にもっと優しく言い含める事もできた。だが、総一のまとう一種奇妙な、不気味な空気からそれの案を捨てた。
それからもいくつか説明を重ねて、その上で利紗の父親はトーンを和らげた。
「だから、君の手伝いなら私の家でやろう。私が後見人になり、君が日下部家に来て、やがて大きくなったらぜひ賀茂家復興のために頑張るといい」
猫なで声とも言えるその利紗の父親へ、総一は冷たく言い返す。
「後見人ならいます」
「ふむ?」
利紗の父親の知る限り、そんな人はいないはずだった。先日の『事件』で賀茂家の大人達は全員死亡が確認されている。
そんな彼の前に、今まで総一の後ろに黙って控えていた青年が前へと進み出て会釈した。
「はじめまして。賀茂貴博と申します。賀茂家直系の一人として、こうして家の危機を聞いて駆けつけました。私が皆の後見人となりましょう」
「直系……? そんな話は……いや、そもそもこの感じ、陰の気か? 君は……まさか」
さすがに利紗の父親も直系という言葉は予想外だった。
そしてそれ以上に、彼は青年がどんな存在であるかを薄々と感づいた。彼自身、二流とはいえ、こうして目の前にいれば分かる程度には一人前の陰陽師だ。ただ、その正確な正体についてまでは想像だにできなかったが。
「ご存知ないのも当然かと。何しろ随分と昔に賀茂家とは縁を切って完全に隠遁していましたため。ああ、総一様が騙されていないか心配なようでしたら戸籍を調べてもらっても構いませんよ」
「……いや、分かった。そういう事か。総一君……君は、どうしても賀茂家を引き継ぐというんだね」
利紗の父親の眼光が一段と鋭くなる。今までと打って変わって重厚な声が総一の全身にプレッシャーとなって襲い掛かる。
総一はそれを必死に耐え、なんとか声に震えが出ないようにしながら答える。
「はい」
「考え直すのなら今のうちだよ。数日の間、ゆっくりと考えてみるといい。今はまだ色々と整理がついていないのだろうし」
「僕は、やります。これだけは絶対に変えたりしません」
「……仕方ない、これを最後にしよう。私の家に来なさい。決して、悪いようにはしないと誓おう」
最後通牒。
総一は目の前の迫力に俯きたい衝動をこらえ、それでも。
「いやです」
毅然とした態度で突っぱねた。
「……君の決意はよく分かった。私はこれで失礼させてもらおう。あと、利紗との婚約も解消させてもらう」
「――!」
総一の息が一瞬止まった。
利紗との婚約解消、それは日下部家が賀茂家から撤退する事だ。即ち、今この時、利紗の父親は賀茂家を、賀茂総一を見限った。
「総一君、君の活躍を祈っているよ。せめてくれぐれも無茶をしないように。この陰陽師の、いや神魔の世界は今まさに君も実感しているだろうが、決して甘くも優しくもない」
「…………はい」
そして、利紗の父親は屋敷を去った。
それを見送った後、ぐったりとソファーに身を預けて総一は天井を仰いだ。
「……ちょっと、疲れちゃったな」
「よく頑張りました、総一様」
「うん……けど、もう利紗ちゃんとは、会えないんだね……」
不思議と涙はない。けれどその小さな手を胸に当てて、ジクジクと胸の奥が訴える鈍い痛みに耐えていた。
総一自身、利紗に対する気持ちはあやふやなものだった。
最初から将来の結婚ありきで始まった交際。よく分からないまま周りの大人達にお膳立てされて何度も会う事になった女の子。
それでも会う回数が増えるたびに、情が生まれ、その可愛らしさに惹かれ、大人しい者同士よくリズムが合った。
やがて総一にとって利紗とは友達であり、恋愛感情抜きで好きな子になっていた。
そもそも総一の中にある利紗に対するものはまだ幼すぎて、芽でしかないものだった。
だがそれは今、総一の手の届かない所で摘み取られてしまった。総一もまたそれを見捨ててしまった。
無くなってしまったそこにはただ穴があり、それが総一に鈍痛を訴え続ける。
これが初恋と呼ばれるものかは総一にはまだ分からないが、かつて控えめに笑っていた利紗の姿が浮かぶ度に総一は体が重く、重くなっていく。
しばらく総一は動かなかった。動けなかった。
だが、それでも総一はまた顔を前へと戻し、その四肢に力を入れる。
そして明るい声を出した。
「さあ! まだまだやる事があるんでしょ、行こう!」
総一は貴博に呼びかける。笑おうとして、けれど目が笑えていない表情のまま総一は貴博を伴って大事な大事な従弟妹達の元へと向かった。
集まって一様に不安げな顔をしている従弟妹の子供達に向かって総一は宣言した。
「僕はね、宗主になる。だから皆は何も心配しなくていいんだよ」
明るく、精一杯意識して笑顔を作って言う。
「皆は引越ししてこの屋敷で暮らしてもらう事になるけど、ごめんね。けど、皆はいつも通りに暮らしていけるから。だから何も怖がる事なんてないんだよ」
総一は戸惑う年下の従弟妹らにそう言って、従弟妹らはそんな『お兄ちゃん』にほんのわずかな違和感を覚えたが、そのモヤモヤが形にできることはなかった。そのため皆は総一に対して座りの悪い思いを抱いたまま言う事に従っていた。
総一はそれから白梅童女と貴博と共に身辺整理を始めた。
まず賀茂家が経営していた会社は賀茂家の手を離れ、運営その他全て他の人の手に渡った。
所有していた各地の土地は屋敷を残して全て売却。
倉庫に保有していたメンテナンスが必要な銃器、火薬など危険物は一部を除いてその大部分を白梅童女のツテで売り払った。
証券などもある一定まで現金化して手元に置いておく。
女中も運転手も、使用人は白梅童女を除いて全員解雇。一部の女中らは子供達が残る事に何度も心配して色々と申し出てくれていたが、賀茂家の財力の都合上、最後は白梅童女にくれぐれもよろしく頼むと言って去っていった。
国の人らが子供達の処遇を決めるために訪れたが、これも貴博が後見人になるという方向で話を進めた。
他にも各種手続きがあったが、それは貴博が主に進めていった。無論、総一に分かりやすく説明した上で、その意向に沿った判断でだ。元々文官タイプである彼はたった一晩で書庫にある日本の法律や制度関係の本をあらかた読破している。
総一はこれまで通っていた遠くの私立小学校から屋敷近場の公立小学校へと転校した。
そういった諸々の雑事に追われて、それもほとんど片付いて落ち着いてきた頃だった。
ある日、火が消えたように寂しくなった屋敷で総一は慣れない環境か疲労かによって熱を出している伏見貴美恵の看病を交代でしていた。そこへ白梅童女から「どうしましょう」と一枚の封筒を渡された。
その封筒の中には宗主宛の依頼状が入っており、総一の父や亡くなった賀茂一族の陰陽師らの名前がいくつか並んでいた。
紙の上部には『承認』の文字と日時と場所があり、その下には注意事項などが総一にとって難しい漢字を交えてツラツラと記されている。
そして、一番上には『S岳掃討作戦』という文字があった。送り元は防衛庁だ。
――S岳掃討作戦。
それは後年の日本の神魔の歴史に大きく記される事になる一大事件。
多大な犠牲を出し、極めて劣悪な悪夢の戦場との評価を受ける事になったS岳掃討作戦。
その召喚状が、総一の手の中にあった。
さあ、いよいよ1章の最後のイベントです。