1-6 子供でいられた最後
総一の小学校生活は普通だった。
「よっしゃ! 今日の給食、プリン余ってるぜ! じゃんけんだ!」
「ううううう。いくぞっ」
「じゃーんけーん……」
聖杯の如く燦然と光り輝くカッププリンを囲んで各々が信じる勝利の儀式を執り行った後、決闘者の目になるクラスメイトの男の子達。
「もー、男子はうるさいんだから」
「ねえねえあやちゃん、お昼休みは一緒に一輪車やろーよ」
総一の通う小学校はいわゆる名門に含まれるのだが、上流階級ではなくエリート教育をさせたい一般家庭に人気のある類の学校だった。そのため総一やその周りも普通に子供をやっている。
縦ロールお嬢様もいないし、バラを持ち歩くイケメン王子様もいないのだ。
「なぁなぁ総一ー。一緒に牛乳一気飲みやらねー?」
「うん? いいよ」
「あ、俺もやるー!」
「じゃあ一番速く飲めたやつが給食の片付けをやれよー」
大人しい総一もそんな子供の輪に入って楽しそうに友達と仲良くやっていた。
「皆さん、漢字の宿題プリントは持ってきましたかー?」
「はーい」
また、授業に関しても必死に限られた時間で予習復習をして食らいつけていた。このあたりは優秀な家庭教師の存在もあるが。
「賀茂くんは忘れ物もないし、授業中もとっても真面目でえらいわねぇ」
それが先生の総一に対する評価だった。
ただ総一の友達付き合いはあまり良いとはいえず、その点だけが総一の学校生活の問題点だった。
なにせ放課後になったらすぐさま車に乗って帰ってしまうのだ。車で送迎されている子は珍しくないが、総一ほど徹底されているのは少ない方だった。
友達と遊んでいられるのは基本的に学校の中だけだった。
そんな厳しい毎日を、けれど小学三年生の総一は誇りをもって過ごしていく。
賀茂家という誇りは総一にとって何よりも大事なものだった。
ある週末の日、賀茂家は客人を迎えていた。
「あ、あの……こんにちは」
「いらっしゃい、利紗ちゃん」
賀茂家にやって来たのは京都の陰陽師一族であり総一の許婚である同い年の女の子、日下部利紗とその母親だった。
「こっちだよ」
「う、うん」
母親二人は子供達に「屋敷やお庭の中で遊んできなさい」と言って、総一は利紗を先導し古い屋敷を進んで行く。可愛らしくおめかしをした利紗もまたよく知る賀茂家の中を慣れた様子でついていった。
途中、総一の従妹の貴美恵を見かけたが、彼女は藍色の髪をした女性と一緒に庭の花を楽しんでいた。時折総一の耳にもほんのかすかに「クスクスクス」と楽しげな笑い声が聞こえてくる。
なおこの世界、妖怪が人間に化けた時に髪の色が青だったり緑だったりする事もあるので、驚くほどの事でもないのだ。
また進んでいくと縁側で長男の憲一に出会った。
「総一、と日下部のご令嬢か」
「兄様」
「お、お邪魔しています」
「……私はこれから屋敷を出るが、どうかゆっくりしていってほしい」
「は、は、はい」
「では失礼する」
「兄様、いってらっしゃい」
そう短い会話を淡々と交わして、憲一は威圧感のある戦闘用の呪式和装束の上に高級霊布で編まれた美しい白の羽織を肩にかけ、幻獣の骨で作られた扇子を片手に堂々と去る。
それを総一は丁寧にお辞儀をして見送り、利紗は総一の後ろに半ば隠れるようにして同じように見送った。
広い屋敷の中の一室、総一の部屋へと二人は入る。
総一は利紗をテーブルまで手を引き、本棚から一冊の本を取り出した。
「はい、この本返すね。ありがとう」
「うん。あの、ねえ、この本……どうだった?」
「すっごく悲しいお話だったね……僕は長女と次女が絶対に許せないよ。父親を騙すなんて。けれど、確かにこういう風に僕も騙されそうだって思ったから、こうならないように注意しなくちゃって思ったよ」
「わたしはね、末娘が父王さまと再会した後、どうしても二人が穏やかに暮らせなかったのかなって思っちゃうの」
二人が打ち解けた雰囲気で話していると、来客に顔を出す事を許された女中の一人が部屋にやって来て、子供の好きそうな紅茶と洋菓子を綺麗に並べてくれた。
「ごゆっくりどうぞ」
そう言って女中さんは静かに退室し、二人はまた近況の事で話に花を咲かせた。
「そうだ。お手紙ありがとう。返事はもう届いた?」
「うん。手紙に書いてあった廃寺の浄化って初めて一人でやったんしょう、怖くなかった? ケガしなかった?」
「大丈夫。ぜんぜん平気だよ」
「……良かったぁ」
「そうだ。手紙に書いていた僕の花壇に行かない? まだ花が咲いてるんだよ。綺麗だよ」
「あ、うん。いいよ」
「じゃあ外に。ほら、こっちこっち」
靴に履き替えて二人は庭へと下りて行く。
「ま、待って総一くん」
珍しく浮かれた空気で総一は利紗を急かす。利紗はそんな総一の後を一生懸命に追う。
「ほら、綺麗でしょ」
「わぁ……」
広い庭の片隅には小さな花壇があり、そこには色とりどりのチューリップが花開いていた。
赤、白、黄色、紫。
楕円に近い細長い葉っぱが地面から伸び、その中心から直立する長い一本の茎の先にU字型の花を付けていた。
「ちょっと待ってて」
総一はそう言って洋服のポケットから小さな型紙を一枚取り出した。
人を模したその型紙に仮初の命を吹き込み、人間姿の式紙を作り出してお使いに出させる。
そのなんてことのないように式紙を出した総一に利紗は口を半開きにして、それから顔を俯かせた。
「すごいなぁ……式紙使えるんだ。わたし、まだぜんぜん成功しなくて……2,3回くらいしかできないの。他の子はもっと上手くやれてるのに」
「え、そうなの? 簡単だよ?」
「……」
明るい声で総一が利紗に首をかしげる。総一にとってはできて当たり前で、むしろできないと言われたら不思議でしかないのだ。
そしてそれとは対照的に利紗はますます顔を暗くする。
日下部家は陰陽師として名家ではないが、それでも代々京都を守ってきた一族なのだ。その直系の一人として、利紗は自分に才能がないのだと惨めな思いをしてきていた。
「うん……じゃあさ、今度一緒に式紙打たない?」
「えっ?」
「これ、あげるから。今日はこれから勉強の時間だから次来た時にでもやろうよ」
総一が取り出したのは式紙用の型紙の束だった。
練習用に、とそれを利紗に手渡す。
「これ使って僕と一緒にやろう。大丈夫だって、絶対すぐできるようになるから」
利紗の目は少しの間、総一と手の中の紙束を往復していたが、やがてゆっくりと頷いた。
「あとね、これ内緒なんだけどね、十二神将っていう式神なんだけど、なんだかすごいらしいのを僕少しだけ打てるようになったんだよ。父様にも褒められたんだ。父様からは誰にも言うなって言われてるけど、今度こっそり見せてあげるね!」
「そうなの? 総一くんはいいなぁ。色んなたくさんの式神が打てて」
「僕は賀茂家の男子だからね! 父様や兄様みたいに強くならなくちゃ」
そうしているとお使いにだした式紙が帰ってきて、その手には水の入ったじょうろがあった。
「いつもは学校が終わってから水やりをしてたんだ」
総一がじょうろを受け取り、式紙はまた元の型紙に戻る。
たっぷり水の入った重いじょうろだが、それを総一は軽々と持ち上げて花壇の上へと持って行く。水がシャワーとなって花壇へと降り注がれた。
「最近、家でスケッチする時はこのチューリップを描いてるんだよ。まだぜんぜん上手じゃないけど……利紗ちゃんはお絵かき上手だったよね。今何描いてるの?」
「あのね、今は赤いリボンつけた白い子猫をよく描くの。かわいいんだよ」
「あ、最近の手紙にいつも描いてあるやつだよね」
「そう! いつかあの子、式紙で動かせるようにならないかなぁ……」
無邪気に笑いあう子供達。
水やりも終わり、総一がハサミでチューリップの花を一本切って利紗に渡すと彼女も「ありがとう」と喜んでいた。
「もう少ししたら、今度は朝顔のタネを蒔くんだ。夏になったら花が咲くからまた見せてあげるね」
「うん」
「そろそろ利紗ちゃん帰る時間かな……? 屋敷に戻ろっか。母様たちも戻ってるかもしれないし」
そうして動き出そうとした総一を小さな声が呼び止めた。
総一が振り返ると、総一の上着を弱弱しく握る利紗がいた。
「あ、あのね、総一くん……」
「なに?」
「うんとね……このお花や式紙のお返しにわたし、四葉のクローバーあげる。次来る時までに絶対に見つけるから」
「それって幸運を呼ぶっていう?」
「そ、そう。そうだよ」
「そっか。ありがとう、利紗ちゃん。楽しみにしてるね」
「絶対の絶対だから。指きりげんまん、ね」
「うん」
総一の訓練で荒れた小指と、利紗のほっそりとした綺麗な小指が絡み合う。
「ゆーびきーりげーんまん」
「うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます!」
「ゆーびきった」
小指同士が離れた後、二人は少しの間照れたように笑いあっていた。
総一が利紗の手を取って先を歩く。利紗はその後を遅れないように一生懸命についていった。
そうやってその日、日下部の親子は帰っていった。また後日改めて、今度はもっと時間をゆっくりとって会おうと言って。
総一は車で去って行く利紗へと小さく手を振っていた。
その数日後の夕方。
総一は学校から屋敷に帰るとやけに騒々しい様子に首を傾げた。
屋敷の至るところで駆け回る音がし、滅多にない怒鳴り声すらも聞こえるほどだ。
こんな物々しい張り詰めた空気は総一の記憶の中でも初めての事だった。
「あ、父様だ。父様、どうしたのですか?」
「おー、総一か。いやな、今日はこれから緊急のヤボ用が入ってな。すまねーが家の連中は今夜全員屋敷を空ける事になったんだわ」
「え? そうなんですか?」
「ああ。ま、そー気を落とすなって。明日か明後日には帰ってくるからな。S岳掃討作戦もすぐ迫ってるしな」
いつもの不敵な笑みを父が安心させるように見せていると、一人の中年の男性が鋭い目つきで駆け寄ってきた。
「神一様。第一級特殊兵装のご用意ができました」
「よし、ご苦労。すぐに着替える。倉庫も全て開放したな」
「はい。全ての武器とアーマージャケットを支給しています」
「若い連中の仕切りは憲一に任せる。屋敷に置いていく子供達が揃ったら白梅童女に任せろ」
「はっ!」
目を丸くしている総一を置いて父は宗主として慌しく次々と指示を飛ばしていた。
「急げ! お上からの緊急招集だ! 急げ! 子供以外は全員完全装備で集まれ! なんとしてでも食い止めるぞ! 出発後、蘆屋家と合流する! 気を引き締めろ! 繰り返す! これは非常事態だ! 全員至急最優先で集結! 全てに優先される! 既に他の組織達、『八百万宮』も『明光清宗』も『一心士団』も動いているぞ! 総力戦だ! 遅れるな!」
そうして賀茂一族の血を引く者は全員、父と母を先頭に屋敷を出た。
陰陽師であれば女性も老人も関係なく、全員がただ事ならぬ物々しい様子で屋敷を発って行った。
屋敷に残ったのは子供である総一以下、分家の年下の従弟妹らと外部で雇っている女中のみ。
総一らまだ10歳未満の子供達はそれを半ば呆気にとられながら見送っていた。
子供達はやがて、久しぶりに親戚一堂が屋敷でお泊りする事になって喜び、夜更かしをして存分におしゃべりに花を咲かせた。
――その夜、賀茂家一族は壊滅。
宗家と分家を含めて戦いに出た全員が奮戦し、そして戦死した。
総一がその報せを聞くのは翌日の午後。
小学校で授業を受けながら何も知らない総一は父や母、兄らが帰ってきた時の事を考え、当たり前の日常を当たり前のように過ごしていた。
なお、作者は「血と泥にまみれ、全身傷だらけになってなお、もがきながらも立ち上がる主人公」が大好きです。
まあ本作の主人公は才能がある分、まだイージーモードですが。
素直な利紗ちゃんはここでおしまい。
高校生になっての再会を楽しみにしててください。