1-5 花見-0-
小学二年生三学期の終業式が終わり、春休みに入ってしばらく経つと世間は花見の時期に入ろうとしていた。
総一は相変わらず忙しい日々を送っていた。
学校では速いペースで進む授業に、陰陽師としての訓練、宗家跡取りとしての勉強に加え、妖との戦いに投入されるペースも上がってきていた。
日々息苦しさを覚えながらいっぱいいっぱいの状態でなおも総一は投げ出さずにギリギリで踏みとどまっていた。
もしかしたら、総一は「できない」という言葉に恐怖を覚えていたのかもしれない。
一度挫折したら皆から見放され、離れていく。
それを考えると怖くて怖くて仕方ないから、総一は黙々と与えられ続ける課題をこなしていっていたのかもしれない。
そうしてその日も総一はまた一つのステップアップを消化しようとしていた。
「行くよ、皆」
総一が号令を掛けると、周りにいた式神の鬼達が一斉に咆哮を上げた。
夜の静寂の中、総一の目の前にあるのは長い石段。その先には長年打ち捨てられていた廃寺がある。
最近そこに陰の気が溜まり、淀み始めたようで怪奇現象がちらほらと報告に上がってきていた。
そして今回、大事になる前にと廃寺から生まれた妖怪達を退治するように依頼がきたのだった。
そこで今回初めて、総一はたった一人で妖退治に挑む事になった。
今回総一が召喚した式神は300体。小学生の総一が選んだのは単純な力押しによるロードローラー作戦だった。
鬼達は廃寺を囲むように三方に配置させ、正面では二列縦隊となった鬼の先頭部隊が広い石段に一歩足をかけ全身する。その途端、両脇の木々から赤い目をしたカラスのような妖鳥がたくさん飛びかかってきた。
「援護」
後方で待機していた鬼の部隊の手にある銃器が火を吹いた。
襲い掛かってきた妖鳥らは特別製の呪弾の雨に晒され、勢いが弱まる。またかろうじて弾幕をくぐり抜けた妖鳥もいたがそれらも含めて進軍する鬼の手によって各個撃破されていった。
鬼の先行部隊が石段を登り終え、境内の入り口を確保する。
鬼達は次々に石段を登り、石段を確保する部隊と境内の入り口を確保する部隊に分かれる。そこを総一は悠々と鬼達に守られながら進んでいった。
「よし、皆、討ち逃しのないようにね」
正面部隊の鬼達が廃寺の広い敷地を舞台に蹂躪を始める。草の根を分けるように、横隊を数列組んで廃寺に潜む様々な妖全てを炙り出しにかかった。
慌てて廃寺から逃げ出そうとする妖がいれば、それは三方に配置させた鬼達の弾幕によって撃沈された。
そうして30分もかからず妖が一掃された廃寺を総一は歩く。
「こことあそこ、かな?」
小さな陰の気の不自然な淀みは清めた塩を盛って浄化する。
大きな陰の気の淀みは総一が直接手を入れた。手の中の極小の式盤を使って、術で散らす。
陰の気は徐々に小さくなり、やがては地脈の中へと散り散りになっていった。
「……やった」
ほっと大きな息をついて胸を撫で下ろす。
そうやって総一は嬉しそうに浄化された廃寺を見渡し、待機させていた鬼達の召喚を解く。
渡された無線機を取り出し、出てきた父親に報告するその声はとても弾んでいた。
★★★☆☆☆
「ふーん、よく見たら中々いい花見スポットじゃねえか。よーし、総一の初仕事成功祝いも兼ねて今年はここで花見をするか!」
そんな賀茂家宗主の思いつきという名の鶴の一声で、急遽毎年恒例の花見の会場が廃寺の敷地にある高台に決まった。
そうと決まれば連絡と準備は速やかに行われた。なお、廃寺は速やかに賀茂家によって買収された。廃寺を手放す事による関係各所の抵抗はほとんどなかった。
元々花見を行う日取りは決まっており、場所が変更されただけの事だ。
週末の休みには、宗家と分家を含めた賀茂一族が総出で車で花見へと向かっていた。
「貴美恵ー、そっちのお重箱を持ってきてちょうだい」
「はーい」
じきに小学二年生となる従妹の貴美恵も母親の手伝いでちょこまかと動き回っていた。
「あ、お兄ちゃんお兄ちゃん。この服どーお? えへへ、ピンクが可愛いでしょう。お気に入りなんだー。ねね、似合う?」
「う、うん……かわいい……と思う」
「やったぁ」
「貴美恵ー」
「はーい、お母さん。じゃあまた後でねー」
明るい元気な従妹は嵐のようにやって来て、去って行った。そのバイタリティには総一もタジタジだった。
「周辺警戒の式紙の紙の数は足りてるか?」
「やっぱり椅子はこっちに置きましょうよ、ほら高台の景色がよく見えて綺麗」
「おーい、後二台車が入ってくるぞー!」
「何か足りないのはないか? 今から下の町に下りてくるんだが」
周りでは車から荷物を降ろしたり、綺麗な赤い布を被せられた長椅子を設置したりと大勢の人で賑やかだった。
「総一見っけー! つーかーまーえーた!」
「征二、総一が驚いている」
花見の準備の間、廃寺の周りを興味深げに見て回っていた総一は突然後ろから脇の下を捕まえられて宙へと持ち上げられた。ほとんど『たかいたかい』だ。
「憲一兄様、征二兄様」
「よー。初仕事の成功おめでとー! えらいぞ!」
「よくやった」
「はい」
ひたすらテンションの高い次男征二と、言葉少なく淡々と物静かな長男憲一の成人男性二人に祝辞を送られた年の離れた三男総一は胸を張って綻ぶような笑顔を見せた。
「おおーい、おめーら準備できたぞー! とっとと来いやー!」
三人の父親であり、一族全てを束ねる賀茂家宗主の神一に呼ばれ、総一達は揃ってこれからの花見について盛り上がりながら一族皆の所へと歩いていった。
花見が始まる。
薄紅色の花が風景を彩っていた。
その下でその美しさを愛でながら、たくさんの人が美味な食べ物と飲み物を次々と平らげていく。
話題は尽きなかった。
「最近、S岳に不穏な様子があるらしいって聞きましたけど、本当ですか?」
「ああ、近いうち……っつっても数ヶ月後くらいに大掛かりな浄化の儀式をやるんだとさ。かなり大きな案件で、国からもがっぽり金が出るとさ。陰陽寮の妖怪爺から直々の指名で宗主以下最低10人は出せって言われてるぜ。その調整の間はちまちまと見回りやって潰してるってさ」
「最近そういうの多いですねぇ」
「中国系の宝貝使いも色々と嗅ぎ回ってるみたいよ」
「ああ、この前の『明光清宗』の総本山に忍び込もうとして失敗した事件の事?」
「そうそう。日本だけじゃなくてイギリスの大英博物館に手を出そうとして、出てきた円卓の騎士にあっさり撃退されたみたいだけど」
「あれ、最後周囲を巻き込んで自爆しようとしたんだろ。怖いよなぁ」
「そういや、喜びの魔王って今どうしてんだ? さっぱり話題に上がらないけど」
「遊園地でアルバイト中に、小さな女の子を助けてチンピラらしいのを殺害したって聞いたけど……?」
「…………本当にそいつ、強いの?」
「おーい、そこの若者二人。魔王に手出しは厳禁だかんなー。いや、マジで。手、出したら死ぬと思っとけ。もし生き残っても俺が処断する。宗主として命じるぞ、いいな、アレには近づくな」
「は、はい」
「はい……」
普通の家庭でもあるような家族の近況や悩みの話だったり、仕事の話だったり、過去の思い出話だったり、これからの将来の話だったりと。
皆が思い思いに楽しんでいた。
賀茂家の三人兄弟はそれぞれ親類の分家の輪へと顔を出しに行ったり、人型の式紙で相撲をとらせたりと身内のみというやや砕けた雰囲気でのびのびと過ごしている。
そんな中、総一は征二のオモチャ兼マスコット扱いから抜け出して廃寺周辺を探検しに行っていた。
「ここ、登ったらもっと景色がよく見えるかな」
そんな風に、父の式紙のお供を一体連れて歩き回っていた時だった。
一本の小さな桜の木があった。成人男性の背丈の倍くらいの小さな若い桜の木だ。それが懸命に花を咲かせている。
「そこにいるの、誰?」
その桜の木の影から誰かの顔が覗いているのが総一には見えた。
「えっ……わたし、見える……の?」
可愛らしい小さな声がした。続いておずおずと木の後ろから幼い女の子が現れた。緋袴に白の着物を着て、その上に桜色の単と衵に袖を通した着物姿の可愛らしい女の子だ。おそらく総一と同じか、その下くらいだろう。黒髪で前髪を目の上で切りそろえ、後ろ髪は背中までストレートで伸びている。いわゆる姫カットだ。
総一を見つめる黒い目は好奇心と戸惑いと喜びで揺れ動いていた。
「うん」
「ほ、ほんとにほんと?」
「うん。見えるよ……君は?」
当たり前だよ、と言わんばかりに首を傾げながら総一は女の子をじっと観察する。
人に見えるが、何か違う。人に近い妖か何かだろうか。
そう総一は考えるも悪い『気』は感じられないため、悪霊や悪意ある妖の類ではない事を確認して警戒を解く。
「もしかして式神に近い何かなのかな?」
そうしている間にも女の子は黒い漆を塗った木靴でゆっくりと歩み寄ってきていた。
その顔はとても無邪気で明るかった。
「あのね……『怖いの』を追い払ってくれて、ありがとう」
「『怖いの』?」
「うん。あそこにたくさんいた『暗くて怖いの』」
そう言って、女の子が指したのは眼下の廃寺だった。
「もしかして、この前に妖を退治して浄化した時の事かな」
総一はおそらく『暗くて怖いの』というのは陰の気溜まりから生み出された妖の事だろうとおぼろげに当たりをつけた。
「ねえねえ、遊んで。みんな楽しそう。わたしも一緒に遊びたいの。ずっと一人でつまんなかったの」
「ええ……うーん、どうしよう。ちょっと待って、父様に聞いてくる」
「わたしも行きたい!」
「うーん、分かった。じゃあ一緒に行こ」
一緒に手を繋いで皆のいる花見の席まで急勾配の道を降りていく。
女の子は動きにくそうな着物と靴をしていたが、ピョンピョンと小さく跳ねるように軽快な動きでついてきていた。
「ねえ、君の名前はなんていうの?」
「名前……ヤマ……そう、ヤマっていうの」
「そう、ヤマちゃんだね」
「うん。わたし、ヤマ」
花見の席に戻ると、早速皆から好奇の目で見られた。
「おーいみんなー、うちの総一がかわいい女の子連れてきたよー」
「ええっ、総一様が?」
「うわ、ほんとだー。やーん、二人とも可愛い! 写真写真! 使い捨てカメラはどこだっけ……あ、写るのかな?」
「ほほう……これは総一様も隅におけんなぁ」
「あらやだ、お人形さんみたい。綺麗ねぇ。あの着物、うちでも作れないかしら……」
「お兄ちゃん、その子だーれ?」
真っ先に面白がって知らせた兄の征二に分家の年上の従兄姉らがすぐ乗っかり、叔父や叔母らがいい話題のネタとばかりに食いつき、年下の分家の子らが二人の周りに集まってくる。
「父様、この子、ヤマちゃんも一緒に遊んでいいですか?」
「ふーん、ざっと見たとこ生まれたばかりの桜の精ってとこか。ま、いいんじゃねーか」
「総一さん、婚約者の利紗ちゃんを忘れちゃダメですからね」
そんな父と母の了解もあり、総一は女の子を含めて子供達皆で遊ぶ事になった。
「何して遊ぼうか」
「かくれんぼしたいー」
「じゃあまずはそれやろっか」
「わーい」
「鬼はじゃんけんでねー」
「魔法は禁止ー」
「よーし、それじゃあじゃーんけーん」
子供達の歓声があがる。
それを眺めながら大人たちは桜と酒を肴に思い出話に花を咲かせていた。
たくさん食べて、飲んで、お喋りして、遊んで。
そうしてやがて終わりの時間が来る。
「もう帰っちゃうの……?」
一人、桜の精の女の子が顔を曇らせていた。
その周りでは大人たちが後片付けに走り始めている。
ゴミを拾い、会場の椅子や敷物を片付け、空き瓶をまとめる。
「あの……ねえ、また来年も来てくれる?」
「え……えっと、父様……?」
「お? はっは。別に構わねーさ。じゃあ来年もまた来るとすっか!」
「本当ですか……大丈夫だって。それじゃあまた来年に会おうね、ヤマちゃん」
「……うんっ!」
女の子はわずかに頬をバラ色に染め、満面の笑みで返事をした。
総一と女の子の重ねられた小さな手が微笑ましかった。
「それじゃあ、毎年恒例の記念撮影をしよっか」
「ええ、征二さんお願いします」
「おう、そうだな……どこで撮るのがいいかな」
カメラマンの心得のある征二が大型の大判カメラを車から式紙を使って持ち出させ、テキパキと準備していく。
「ねえ、一緒に写ろうよ。いいでしょうか、父様」
「オッケー。ほれ、来い来い。総一の隣に入れ」
「わぁ、ありがとう!」
「端っこの伏見小父さーん、もうちょっと中に詰めてー。そうそう。よーし、いい感じ」
カメラにタイマーをセットして、カメラマンの征二もまたフレームの中に入る。
「えへへ」
「ほら、ヤマちゃんも前向いて」
「うん」
「撮るよー」
カメラからフラッシュが焚かれる。
この日撮られた全員の写真は後日、大きな額縁に入れられて屋敷に飾られる事になる。
そうしてその年の花見は終わった。
総一は楽しかった。
また来年も桜の季節にはこんな風に皆と一緒に花見をするのをすごく楽しみにするくらいに。
総一はこの光景を心に焼き付ける。
皆がいる、この光景を。
楽しい思い出と共に。
「また来年、皆と一緒に……」
その日を想像しながら総一は車の中で母と兄に挟まれながら心を浮き立たせていた。
「またね、ヤマちゃん」
だが、来年はおろか、再来年もまたその次の年も、ずっとずっと。
総一がここを訪れる事はなかった。
「…………………………ウソツキ」
仲の良い家族で総一君も幸せそうです。
なお、ヤマちゃんは高校入るまでお預けです。