1-3 兄の言葉
総一に婚約者ができてからというもの、総一の生活は少しばかり変わった。
両家で何かイベントがある度に両親の手引きによって二人は行き来し、顔を合わせるようになった。
「あのね……絵本、読んで」
「うん」
まさに深層の令嬢といった具合に育てられている婚約者の女の子、日下部利紗がおずおずと絵本を胸に抱きながら賀茂家に訪問して来た。
総一も利紗の相手をするように両親から言われていたため、時間を予め空けられていた。
二人は大人の思惑とは関係なく、少しずつ打ち解け、笑顔を見せあうようになっていった。
そんな風に変化はあったものの、それ以外の賀茂家次期宗主候補としての総一の厳しい教育の日々に変わりはない。
朝に起きたら基礎的な運動と戦闘訓練。
昼は勉強の後、陰陽師としての魔法訓練。
夜は現と幻想が交わる『仕事』へ。或いは戦場へ。
それを淡々とこなしていく日々。
そして今日も総一は夜の『仕事』に出ていた。
今回は民間からの依頼で、私有地の山で見つかった小屋の調査だった。
土地所有者である依頼人が知らない間にできていた小屋で、なんでも中に入ると小屋の中の壁が真っ赤な幾何図形と文字で一面ビッシリだったらしい。いわゆる魔法陣だ。
小屋の周りには何か動物らしき骨が散乱していて、あまりに不気味だったため依頼人はすぐに小屋を出て逃げ帰った。
そして山を下りたばかりの所で突然声をかけてきた、見知らぬトレンチコートの怪しい男が強引に勧めてきたのが賀茂家だった。
賀茂家現宗主である神一はそのトレンチコートの男の風貌を聞いた途端に忌々しそうに舌打ちし、依頼人と直接会って話を聞く事にした。
「遠い所はるばる小屋までやって来たわけだが……これは完全にクロだな」
賀茂家宗主の次男である賀茂征二は大学一年の青年だ。厳しい家柄で育てられたものの、跡取りという重圧を受けずに育った彼は少々軽薄な性格に育ちつつも、よく実働部隊として現場に出向く事が多かった。
そんな彼は今回父の命令で弟の総一を連れ、陰陽師のチームを率いて件の小屋へとやって来ていた。
そうして夜闇の中、術の明かりに照らされた小屋の前には三つの人間の変死体があった。それはミイラのようにカラカラに乾いた干物のような姿だったのだ。
「この首筋の噛み痕、残留する独特の西方の魔力、ヴァンパイアか……C級かそれ以上の相手だな」
C級は手ごわい妖だ。小物ではないが、大物というには足りない。そんなレベル。
一般的に熟練の専門家がチームで当たらなければ危険と言われており、気の緩みが死へと繋がる相手でもある。
「……ミイラになったばかりってとこだな。俺達に気付いて慌てて隠れたか逃げたのか? まだ近くにいるかもしれないな。もし相手が戦る気ならヴァンパイアに噛まれて眷属になったやつが出てくる。近隣の行方不明者から考えて、多くて3,4人くらいだろうが気をつけとけよ、お前ら」
総一を隣に置き、周りの5名の部下である正式な陰陽師達に次々に指示を出す征二。
それを受けて詳しい現地調査を始めたり、無線で自分らの属する組織である陰陽寮の近くの支部に連絡をしたりと慌しく動き始める。
征二は報告を受けては新たに指示を出し、総一に現場での注意すべきポイントや今回の事案での基本的な対応マニュアルを説明していく。
「ヴァンパイアは放っておくと僕を作って被害が倍々で増えていくからな。発見が遅れて村一つなくなったっていう話もある。可能なら早めに潰しておいた方がいい。そっちの方が国からの評価も良くなって報奨金も多めにもらえるぞ」
そう言いながら征二はポケットから数枚の鳥を模した折り紙を取り出し、術を唱える。すると折り紙は命を吹き込まれ、紙の翼で空を羽ばたいて大空へと舞い上がっていった。式紙による周辺の警戒及び敵の捜索だ。
部下達も同じようにそれぞれの方角へと式紙と飛ばす。その後、征二の指示の元に小屋付近に残留する穢れの浄化に取り掛かる。放っておくと穢れや犠牲者の怨念といったもので悪霊化しやすくなるのだ。ここを簡易の聖域とする事で、ヴァンパイアと思しき妖が襲ってきた時にわずかながらも弱体化させる効果も考えているが。
「総一、いいか。賀茂家はおそらく兄貴かお前が継ぐ事になるだろう。けれど、絶対に忘れるな。ただ力が強いだけじゃあ宗主にはなれない。皆が認めない」
次に征二が式盤を手の平から取り出して術を唱えた時、彼の傍らに強い陰の気が生じてそのまま二体の鬼が現れた。
針山地獄の大鬼だ。身の丈は3mを越し、肌は青く、大きく鋭い犬歯が伸びている。胴丸という胴体を覆う日本式の鎧を身につけ、腰には赤いボロ布を巻き、その手には棒の先に半円の刃を取り付けたような形状の刺叉と呼ばれる重量級の武器を持っていた。
二鬼が現れると部下の陰陽師に興奮と緊張が走る。
「これが征二様の式神……」
「ほら、お前らも式神打っておけ。もうここはいつ戦場になってもおかしくないぞー。打ったら次はコウモリ対策だ」
「は、はい!」
強力な式神を従える征二に気圧されながらも部下達は各々の式神を打ち、同じように鬼を呼び寄せる。だが現れた鬼達は征二の二鬼よりも一回り小さく、格の違いは明らかだった。
「もしお前が賀茂家の宗主になるのであれば、一族の長として皆に認められるよう、皆の前に立ち続けられるだけの男になれ」
そうした中で征二は己が銃器を取り出し、慣れた手つきで各部チェックをしながら総一に話を続けていた。
「悪いやつらから皆を庇い、守れるようになれ」
幼い総一はそんな兄の背中を見上げながら黙って耳を傾ける。もちろん言っている事が全部が全部分かるわけではない。
「一族の象徴たれるほどでっかい男になれ」
ただ、幼いなりに兄の言葉を胸に刻み込み続けていた。
「そもそも家を継ぐ者として育てられた兄貴とは違って、俺に求められたのは補佐役なんだ。宗主の右腕となって、盾として或いは矛として前面に立って宗主を守るよう毎日毎日言われ続けたよ」
肩をすくめる征二。その表情は至って面倒臭そうだ。今にも鼻歌を歌いそうなくらいで、真剣味のかけらもない。
「俺は陰陽師としての才能はそこまで高くない。ただ環境が良かったおかげで優秀とは評されるけれど、そこ止まりだ」
けれど、そんな表層とは裏腹に、青年は重い胸の内を幼い弟に真摯に打ち明け続ける。
「だから俺は賀茂家の『宗主』に忠誠を誓う」
征二のその目だけは笑っていなかった。
彼らの父である神一の名にかけられた意味は『十二神将を一に束ねる者』。だが神一は伝説の十二神将を従えるまでには至らなかった。
そして初めての長男には、かつて安倍晴明と並びただならぬ才気を示したという賀茂保憲の名にあやかって憲一という名を与えた。片や次男には征二という名を与えた。父は己の名を長男にだけ与えるつもりでいて、しかし三男に再び『一』を与えた。
総一の名は『総べる者』。それは父から十二神将を御する夢を託されたという意味に他ならない。
それは生まれた時から強い力を持っていた子への父の期待だった。
それを知るからこそ、征二は総一に複雑な感情を寄せる。だがそれ以上に征二もまた総一に期待していた。
「そして……今は分からなくていいが、一族の多くはそんな宗主を盛り立て支えようと思っているんだ。一人だけ前へ前へと出て、それで隣に誰もいないなんて思うんじゃないぞ。宗主は先頭に立つ者だが、決して一人じゃない。それは忘れないでくれよ」
そう言って征二は最後、誤魔化すように曖昧に笑った。
「う、うん……?」
「ま、今はそんなもんか。いずれもうちょっと大きくなった時にでも機会があればもう一回くらいは言ってやるよ。三回目はないけどな。柄じゃねーし」
十歳以上年の離れた弟の様子に苦笑を浮かべる征二。
それも次の瞬間には目つきを鋭くさせた。
「さて。お出ましか。あちらもやる気だな。これより調査から討伐に移行するが、お前ら無理はすんなよ」
近隣に放った征二の式神が高スピードで現場に接近する集団を捉えた。
式神の目と同調させてみれば、闇夜の中を人間にあるまじき尖った牙を持った男が獰猛な笑みで山を駆けていた。一見金髪耳ピアスと高校生の不良にも見える彼がヴァンパイアだった。
「来るぞ。二手に分かれて戦闘準備!」
「はい!」
「総一、お前はこっちだ。式神を護衛に出して大人しく見とけよ」
「はい、兄様」
緊張が高まる。そして木々の間から影が躍り出てきた。
「そーれ、行け!」
征二の式神たる大鬼の片方だけが突進する。大きな刺叉を突き出し、それが飛び出してきた一人の胴体を上下に断った。
断たれたのは土気色をしたスーツ姿の成人男性で、ヴァンパイアの眷属の僕として下級の生ける屍となってしまった者だった。
「下僕を先に片付けるぞ! ヴァンパイアはこっちで抑えておく! 明かりは決して絶やすなよ!」
征二の大鬼が殺到してくる5体のリビングデッドを引きつけ、その隙に部下の式神がリビングデッドらの背後に周りこんで討つ。
当のヴァンパイアといえば後方の征二達に向かおうとしたが、もう一体の大鬼に止められていた。
まるで野獣のような俊敏なフットワークを見せながら、或いは体を霧と化して変幻自在な動きで襲い掛かってくるヴァンパイア。人間を易々と切り刻む爪を何度も振るうが、大鬼は征二の指揮の元、守勢に徹して決してヴァンパイアを先に進ませない。征二もまた銀の銃弾や魔法で大鬼を援護する。
大鬼の突破が厳しいと見るや、ヴァンパイアは使い魔のコウモリを動員してきた。後方の木々に待機させていた数十匹のコウモリが次々と押し寄せてくる。人間に噛み付こうと接近してくるも、それらは銃弾や陰陽師の周囲に張られた結界に阻まれ、あえなく地面に転がっていった。
そうしている内にあっという間に全てのリビングデッドを制圧すると、ヴァンパイアは金髪を振り乱し、赤い目を血走らせながら耳障りな絶叫を上げた。彼の片腕は折れ、体中に刺叉によってつけられた傷口ができていた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――クソクソクソクソクソクソクソ! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!」
血と呪詛を吐きながらヴァンパイアは相対する大鬼を睨む。大鬼は多少の傷こそあれ、有効打は一つもなかった。
総一もまた後方で鬼気迫ったその怒気を浴びていたが、何も感じいる事はないのか、涼しい顔をしていた。
そしてヴァンパイアは己の全身を霧へと化そうとする。
「逃がさねーよ」
征二がすかさず指で虚空に五芒星を描き、最後に中心を穿つ。
そこから大火が生まれた。
「グ――!?」
浴びせられた高熱によりヴァンパイアの霧化が解ける。再び実体を現し、体勢を崩したそこを二体の大鬼が前後からトドメを刺した。
「……終わったの?」
「とりあえずはな。けどな総一、こういったノーライフ系の妖はキッチリ消滅を確認するまで油断はするなよ。四肢や首を切り落としても動くような連中だからな」
「うん」
「さて。とりあえずは一段落っと。この後もうちょい付近の調査は必要だけど、今夜はここまで。お前ら、後方への引継ぎが終わったらとっとと帰るぞ」
「賀茂様、その、報告書の作成があります……」
「うげぇ……まとめるの面倒臭いなぁ……調査だけじゃなくて討伐分もあるしなぁ」
部下の言葉に征二は大きく肩を落とした。
後に残るのは人の姿をしたまま怪物となった哀れな犠牲者のみ。
目の前で人の姿形をしたモノが腕をもがれ、腹を突き破られてもなお、総一は何も思うところはなかった。
それも当然だ。総一もまた既に妖退治を経験している。その中にはこういった『人間』の姿を取っている者も含まれている。
血を吐き倒れ伏すのが敵であっても、そして味方であっても総一は心を大きく揺らす事はなかった。
★★★★★★
一族で経営する貿易会社に出社するためスーツに着替えながら賀茂家宗主の賀茂神一は側に控えている秘書に声をかけた。
「それで、今日のニュースは何がある?」
「は。まず、昨夜仁徳天皇陵古墳に侵入を試みた賊が5名捕縛されました。全員とも魔法を扱えたとの事ですが、あくまで素人の付け焼刃の範疇だったそうです」
「偶然魔法の力を手に入れて、何も知らずにこっちの世界に迷い込んできただけの浮かれた一般人か。それだけなら別にわざわざ知らせるほどでもないだろう……他に何かあったのか?」
「はい。賊らが持っていたのが宝貝でして……最近活発化している中国の仙道が裏で関わっているかもしれません」
「最近増えてきてるな……それで次は?」
「その……陰陽頭からまた総一様宛に招待状が届いておりますが……」
「誰が行かせるか、阿呆。十歳過ぎるまではあの妖怪爺の前に出すわけねーだろ。いつもの通り、適当に誤魔化して断れ」
「承知致しました。他に、鵺地家の例の令嬢ですが……先日お披露目中止の連絡が来ました。この件につきましては実験に失敗したという報せが入ってきております」
「あーあー。かなりの投資をした計画だってーのに、またあの家はでかいドジ踏んだな」
そうやっていくつかのやり取りを経て、秘書は手にした残り一枚の報告書をめくった。
「最後に……喜びの魔王という男をご存知でしょうか」
「いや、知らね。初めて聞いたな。随分と大仰な名だが、そいつがどうしたよ」
「今朝調べた限りでは、最近日本で活動するようになったばかりの経歴不明の男です。自称『遊び人』でボランティアの人助けが趣味だという男です。これまでの足取りは迷子の捜索、遊園地のぬいぐるみのアルバイトとそう大したことないのですが……」
「知名度もないし、活動も注目するところも無い。なんなんだ、『魔王』って。そりゃ最上級の異名だぞ。自称か?」
「いえ。『鏡』様がそうお呼びになられました」
「――なんだと」
「今朝、連絡が来ました。各地の有力者にも連絡が入っているそうです」
「そいつの情報、しばらく優先して集めろ。『鏡』様が魔王と呼ぶなんざ日本がひっくり返る前触れかもしんねえな……」
「もし見つけても決して安易に接触してはならないと仰られておりました。何か行動を起こすまでは監視に止めておくように、と。『剣』様並びに『剣 聖』様といったお方以外は決して手を出さぬようにとのお達しです」
「そうか。分かった。やれやれ、またヤバそうな奴が出て来たな……」
陣形:鳳天舞の陣