1-20 金盾
鬼神・両面宿儺の撃破後、極限まで消耗した総一はアズサの腕に抱かれてその竜翼で本部まで運ばれた。
そしてそのまま入院。衰弱した体は丸二日の深い眠りによる休養を必要とし、その間小学校も休むことになった。更に都内の病院へ移って精密検査を受け、体調が上向いてきたら国や組織による聞き取り調査と書類作成が待っていた。
尤も書類作成は書類上の保護者となっている賀茂貴博、もとい式神である十二神将・大裳が担当してくれた。あとその大裳と見舞いに来た老破戒僧高野や北条正宗が総一から離れて何やら書類について話し合っていたようだ。
他にも入院に必要な着替えといった諸々は屋敷の白梅童女が式紙を介して手配してくれた。
そうやってS岳掃討作戦の諸々の事後作業が終わる頃にはすっかり体調も復調し、退院許可も出る事になった。
なお、両面宿儺の顕現により頓挫したS岳の浄化については、総一らが下山したその二日後に緊急の浄化チームを派遣し、無事儀式を完遂させている。今はもう淀みもなく安定しており、破壊し尽くされた山小屋の再建や被害調査にかかりっきりとなっていた。
そして退院の日。
平日の午前中に退院手続きを大裳が済ませる。
病み上がりのため、バスや電車ではなくタクシーに乗って久しぶりの賀茂家に帰る事になった。
窓の外の流れゆく景色を見ながら、少年らしいシャツと半ズボン姿の総一は内心上機嫌だった。
「ちゃんとお仕事をやりきった。大丈夫、これからも僕はやれる」
初仕事を無事完遂できた事が何よりも嬉しかったのだ。
体は軽く、心は弾んでいる。
外は太陽が燦燦と輝き、春の終わりを予感させる。
S岳で見たような黒雲はどこにもなく、ただただ青と白の入り混じった空。雑多な建物が立ち並ぶ都内の空は、S岳近辺と比べると広いとはお世辞にもいえなかったが、それでも総一には十分にすぎた。
十分に――解放感に溢れていた。
やがて広大な賀茂家敷地を囲む塀が見えてきた。石垣を土台にした土壁を漆喰で白く塗った瓦葺の袖塀だ。
そこから更にタクシーで塀沿いに進んでいき、ようやく見えてきた第一の門の前へと止めるようお願いする。
道が空いていたおかげで、随分と予定していた時刻より早く到着してしまった。
「こちらがお代です」
大裳がやや引きつった顔の運ちゃんへとお金を渡す。その間に総一はタクシーを降りて、長年の賀茂家の門番を務めてきた前鬼と後鬼の木像に迎えられる。
「……やっと、帰ってきたんだ」
言葉にできない情動が総一の胸に湧き上がる。
依頼を必ず成功させて帰る。
失敗すれば屋敷の皆に合わせる顔がない。
ここで踏み止まれなければ誰も付いてこないに違いない。誰も認めてくれない。口先だけのハリボテ。子供のたわ言。そんなものに成り下がってしまう。
だから成功させなければいけない。比喩でなく、命に代えてでも。
実績を作らなければならない。
そのためには例え手や足がもがれても、息の続く限り前進する。阻むやつは全て敵として排除する。
そう決意し、臨んだS岳掃討作戦。
失敗する事が何よりも恐ろしかった。
賀茂家宗主になると誓い、その踏み出した第一歩で全てが決まると強く強く思い込んでいた。
ここで躓いたらもう宗主なんて名乗れない。
そうして自分で自分を追い詰め、失敗すれば帰る場所などないとまで思いつめて作戦に参加したのだ。
すべては賀茂家を守るために。
残った皆の先頭に立ち、自分の手で栄光を取り戻すために。
そして今、総一は門の前に立っている。
自分の二本の足で。何ら恥じ入る事なく、前を向いて。
依頼の成功という大きな自信を胸にして、帰ってきた。
総一は明るい顔で一歩を踏み出す。
後ろに控えた大裳が見守る中、いざ門を開こうとチャイムに手を伸ばした時、それは勝手に動き始めた。
「あら、総一様。お迎えに上がれず大変失礼致しました」
門から現れたのは、現在賀茂家の家事や管理を一手に担っている白梅童女だった。
黒い着物の上に割烹着を着た少女で、外見は中学生にしか見えないが千年近くにわたり代々の賀茂家を支えている女性だ。
門をくぐり、総一の前で恭しく一礼をする。
彼女よりもずっと小さな男の子、賀茂家宗主たる総一はそんな白梅童女を前に言った。
「ただいま」
白梅童女が顔を上げる。やがて目元にうっすらと涙を溜め、ゆっくりと優しく包み込むように総一の体を抱きしめた。
「……本当に、よくご無事で……帰ってこられて……」
それ以上言葉にできず、膝を折って愁眉のままその小さな体の背に手を回す。
そのいたく傷ついたであろう総一の体を抱きしめる少女の腕に非力ながらも強くその胸に抱きしめる。
一方、されるがままの総一はちょっと照れくさいのか眉が八の字になっていた。けれど抵抗する事もなく総一は力を抜いてされるがままだった。
白梅童女の着物に焚きこまれた微かな梅の香りが総一の鼻を甘くくすぐる。それがちょっとだけ総一の鼓動を早める。
一度目元をその綺麗な指先で拭った白梅童女はいつものように柔らかく微笑む。
「さあさ、中へお入り下さい。さぞお疲れでしょう。今お昼を準備していたところなんですよ。お帰りが早かったので、仕上げまであとちょっとだけ時間がかかりますが、その間に一度湯浴みにいかれますか? 貴博様も総一様とご一緒しますか?」
彼女の香りを残して静かに離れた白梅童女は、総一の手をふんわりと取って先導する。白梅童女に手を引かれるその総一の姿は姉弟、或いは母親と子供のようにも見えた。
三人が第一の門をくぐり、敷地内へと入る。更に歩いた先には庭園と屋敷を囲む第二の門がある。
そこまでの道すがら、白梅童女が屋敷での他の分家の子供達の様子を語り、総一はそれを聞きながら更なる決意を秘める。
「まだ、賀茂家は終わらせない。絶対に」
初依頼の成功は総一の唯一の指針を更なる鋼で覆い包み、より確固たるものにした。
もう焦燥はなく、閉塞感を感じる事もない。
後はただ、粛々と宗主たる務めを果たすだけ。そこに何ら躊躇いも恐れもない。
こうして総一は一人、揺ぎ無い誓いと共に賀茂家へと帰還した。
☆☆☆☆☆☆
さて。
退魔術士達には『世界神魔機関』という各国が加盟している国際機関がある。ここには世界各国の魔法についての膨大なデータベースがあり、今なお歴史と知識が蓄積され続けている。
霊薬の精製及び販売を始め、秘宝の保管及び貸し出し、退魔術士が使用する消耗品の販売なども扱っており、経済活動も活発だ。特許も多数保有している。
そんな世界神魔機関だが、ここではそれ以外にもある一つの役割がある。
それが勲章授与である。
その事変や討伐戦に関わった事を記し、関係者全員に授与されるのが『征魔記章』というメダルだ。従軍記章と似たような物だと考えて良い。
そしてA級以上の災厄解決に直接貢献した者には征魔記章とは別に特別な勲章が用意されている。
それは紋章のようなメダルだった。
メダルの下部には土台たる巻物が広げられ、そこには討伐戦及び年代を示す識別番号が記載される。上部の冠には討伐した魔物・妖怪の固体名を示す識別番号を記載される。冠と巻物の間には盾が置かれている。下地たる盾には討伐した魔物の位を示すA、AA、AAAの三パターンのどれかの文字が入る。また盾には討伐した魔物の種類をかたどったシンボルが描いてある。例えば鬼系、竜系、悪霊系といった風に、どんな妖怪に分類されるのかが一目で分かるようになっている。また、討伐するのは妖怪だけでなく、指名手配された凶悪な人間である場合もあるため、きちんと人間のシンボルも用意されている。
更に、事態の解決に当たって特に目覚しい功績を上げた者には、更に盾の下部に交差した二本の剣が付く。これを『十字剣付き』という。言わば中核的役割を果たした事を表している。
また、勲章は討伐した位によって盾の色が変わる。A級であれば銀色。2A級であれば金色。3A級であれば黒色というように。
故に、これらの勲章はこうとも呼ばれている。
『銀盾』、『金盾』、『黒盾』と。
銀盾持ちはそれなりの数がいる。だが『金盾』と『黒盾』の保持者は世界を見ても限られた数しか与えられていない。何せ、『魔王』を除いて2A級の妖怪など数十年に一度現れるかどうかのレベルだ。3Aに至っては100年に一度あるかないかのレベルだ。というか2A級以上がそんなホイホイ顕現していたは世界中あちこちで更地になる地域が続出してしまう。まかり間違って首都にでも現れようなら国家存亡の危機だ。それくらいに2A級以上はやばいのだ。
まあもっとも首都にはそうさせないだけの防衛システムがあるので、まずない事態だと考えていいのだが。それこそ、人為的に引き起こそうと狂った手のつけられないバカが、大バカをやらない限り。
前置きが長くなったが、つまりは今回のS岳掃討作戦において両面宿儺討伐戦に直接関わった五名は、全員が全員とも征魔記章と金盾を与えられるに相応しいと世界神魔機関から認められ、官庁にて叙勲伝達式が執り行われる事になった。
会場正面奥には演台があり、その両脇に主催者席と来賓席がある。
そして中央には五名だけの席。同伴者の席はない。
日本で極一握りしか与えられぬ栄誉の席。
後年に悪夢の戦場と評されたS岳掃討作戦の渦中を見事くぐり抜け、両面宿儺を前にして生き残った英雄達の席だ。
一人は恰幅の良い男性でモーニングスーツを着ている北条正宗。なお偽名の南宗正で勝手に活動していた事がバレて実家からしこたま説教を食らった。当人はケロリとしているが。
一人は好々爺の笑みを浮かべた中肉中背の老人で紋付袴を着ている高野重蔵。
一人は長身で大柄な筋肉質の体を窮屈そうにモーニングスーツに収めているウェルゲン・ルーイン。
一人は若き才媛で真っ直ぐ背筋を伸ばしてローブモンタントを着ているアズサ・バルツァー。
一人はまさに服に着せられているような袴で身を包んだ幼い少年の賀茂総一。
総一は一人緊張した様子を必死に隠し、手に汗を握り通常より速いリズムの心臓を持て余していた。
「落ち着け……落ち着け。大丈夫。いつもの通りにやるだけだ……」
自分で自分のマインドコントロールを行い、コンディションを平静に落とし込もうと試みる。
賀茂家直系の一人として育てられた総一は、よく父の側に座して大勢の衆目に晒され続けていた。そして自分の発言に大勢が反応し、それをコントロールする事も慣れている。
だがそれでも。
各分野で多大な功績を上げた者にしか縁のない叙勲、しかも数十年ぶりの金盾という大きな晴れ舞台。父はおろか、陰陽師の中でもたった一人しか保有していない金盾勲章を授与される。偉大な陰陽師と己が同格に並ぶ。その事は総一を以ってしても恐れ多く、不安に心をかき乱されるものだった。
式典が始まった。
要人に見守られる中、朗々とした声で挨拶が終わり勲章の授与に移る。
最初に総一の名前が呼ばれる。
総一はすぐさまよく通る声で返事し、演台へと進む。その足取りはやや固かった。
途中で数回礼をし、国務大臣の前へと歩を進める。国務大臣が短く祝福の言葉を述べ、総一に賞状と金盾の勲章を手渡した。
子供にとっては大きいそれを、総一は腕を大きく一杯に広げて恐る恐る受け取る。
手渡された瞬間、手にかかる重み。
それは自分の行動によってもたらされた物。自分の宗主として戦った初めての結果。それが形となって目の前にある。
ふと、総一は目頭が熱くなってきた事に気付き、慌てて堪える。
ぺこりと一礼を繰り返しながら席へと戻る。
次に老破戒僧高野が呼ばれて席を立つ中、総一はじっと己の手の中の賞状を見ていた。
「……僕は、やれる」
日本に二十名といない金盾勲章を手にそう呟く。
まるで金盾が宗主として認められた証のように思え、どこまでも心強く感じる。
自分は間違っていないのだと、そう伝えてくれる。
総一が顔を上げる。他の者らが次々に賞状と勲章を授与されていくのを見届ける。
最後に太っちょ武士北条正宗が唯一の十字剣付き金盾を授与され、各主催側や招待客らの有難い祝辞が始まる中、総一は清聴する。
もうその目には不安も迷いもなく、力強さだけがあった。
その澄んだ瞳が見据えるのは賀茂家の栄光のみ。己の胸に刻みつけた光景を目指して、少年は進み始めた。
前へ。ただ前へと。
遺された子らを背に、常に先頭に立ち続ける。
決して揺るがず、雄雄しく、どんな困難も一人で全て打ち砕く。
下の子らに不安や不信を与えぬよう、強くあれ。ただ皆は自分の後ろにいればいい。先頭に立つのは必ず総一ただ一人であらねばならない。
それこそが賀茂家宗主としてのあるべき姿であり、責務と信じて。
式典が終わった後、総一ら五名は東京都港区のとある高級ホテル二階の大宴会場に移動していた。武家たる北条正宗の実家が主催する祝賀会だ。協賛として武士組織『一心士団』の名前がある。
武士の元締めたるお偉方が今回の偉業を褒め称え、自らの組織に絡めてその存在をアピールする。そんなスピーチがいくつか過ぎ、ようやくパーティが始まった。
立食形式の会場は大勢の招待客で賑わっていた。
日本で数十年ぶりの超大物討伐、しかも発生して即日討伐という超スピード解決は極めて珍しく、退魔術士界でもこの話題で持ちきりだ。頂点に近い地位と権力を誇るお偉方は興味を刺激されっぱなしだった。
様々な名士達が集まり、談笑の輪がいくつも形作られていく。
今回随一の戦功者たる北条正宗はもちろん、破門されたとはいえかつて退魔術士界に名を馳せた高野重蔵やウェルゲン・ルーインにも人波は押し寄せる。無論、若くしてルーンナイト入りを成し遂げた俊英たるアズサも話題には事欠かない。彼らはすぐに人だかりができていく。
だが五名の中で、唯一総一の周りだけが空いていた。
それには理由があった。
「ふむ……あの子かい、今回の件で唯一の子供というのは」
「子供なのでライセンスはないが陰陽師だそうで。なんでも巨大な大亀と蛇の二つの『式紙』とその幻影による巨大化で偽りの玄武を仕立て上げたという話ですよ」
「それで両面宿儺の牽制をしていた……か。ふむ、まああの年でそれができれば、それはそれで上出来な部類ですな」
「実質あの子は討伐には貢献していないそうだ。仕留めるのに大きな役割を果たしたのはあの三名だろう」
一人の男性の視線の先には高野とルーイン、そして北条の姿があった。
「戦の手綱を握り、トドメを刺したのが北条氏。あの中で彼が一つ頭抜けておる。まさか一心士団にあのような者がいるとは……騙されておったわい」
「だがしかし、あの子もかの両面宿儺を前にして生き延びたというのは今後、注目すべき点でもあるな」
「まあ、様子見ですか」
「ええ。陰陽寮とはこれから会談がありますが、以前に話を聞いたところによると彼らは静観の構えらしいです。ところで今回の件で一心士団はより勢い、発言力を増すでしょうが――」
「今落ち目の八百万宮は――」
談笑は続く。
その中で語られる総一の立場は『他四名に守られながら最後までくっ付いていき、偶々生き残って金盾持ちになった子供』だった。簡単に言うなら棚からぼた餅、コバンザメ。
それが他四名、そして大裳から世界神魔機関へ報告された内容だ。
無論、捏造である。
総一は現実に十二神将である玄武を従え、両面宿儺との戦いに貢献した。これは間違えのない事実だ。そう、ルーンナイトのアズサよりもずっと戦局に与える影響は大きかった。それはアズサもまた認めている。高野やルーインと同格と言っていい。
では何故こうなってしまったのか。それはしばし前に遡る必要がある。
S岳掃討作戦が終わってすぐのとある日、とある夜、とある都内の料亭にて。
完全個室の座敷では三つの影が、一本の材木からくり貫いたテーブルを囲んでのんびりと最後の一人を待っていた。
座敷に堂々と寝転びながら上機嫌でライトノベルを読んでいた真ん丸い影がふと頭を上げた時、仲居の足音が近づいてきた。
まったく音を立てずに障子が開かれる。
夜闇に沈む中庭に、部屋の灯りが被せられる。
二、三の言葉を残して仲居が再びそっと障子を閉め、立ち去る。中庭が再び暗闇に包まれる。
部屋中の入り口では、やって来た最後の一人が隙のない身のこなしで佇んでいる。まるでそこが敵地であるかのように神経を張りつめて。
「で、わざわざ呼びつけて何の用よ」
「そう身構えんでもええ。何もとって食ったりはせんわい」
「……」
最後にやって来た客、アズサは西洋出身のため慣れない畳の感触に眉を潜めながら先客の三人に睨みをきかせた。
先客とは北条、高野、ルーインだった。
三者三様にくつろいだ様子でアズサを待っていた。
「……あの子がいないわね」
「あー、うむ。今回皆を集めたのはその子についてなのじゃよ」
「どういう事?」
「まあまあ、とりあえずはそこに座るでゴザルよ。あ、それが座布団っていうクッションでゴザル。もうすぐ料理とお酒が来るから、ゆっくりしてるといいでゴザル。あ、アズサちゃんは未成年だからソフトドリンクにしたでゴザル」
「……分かったわ」
アズサは大人しく従いテーブルに着く。
普段なら北条のようなタイプは蛇蝎の如く嫌うアズサだったが、彼のその実力は本物だと既に認めているためだ。
やがて料理が運ばれてくる。
器と料理の見事な盛り合わせに感嘆し、まずは皆が互いに大物討伐の労をねぎらう。
「さて、実はあの玄武という大亀を使役しておった男の子、賀茂総一君についてなのじゃが……」
「あの子がどうかしたの?」
「あー、アイツな、元々は日本でも有数の名家のお坊ちゃんだったんだわ」
「……聞いているわ。あれから一通り簡単なプロフィール程度はすぐ調べたもの。ほぼ全滅、だそうね」
ルーインの言葉にアズサは淡々と返す。言外に調べた中にはこの場にいる三名も入っていると匂わせて。
「うむ……」
「それならそれで、今回の件はあの子にとって良かったんじゃないかしら。超弩級の大物討伐に名を連ねたのだから、名を売るには十分でしょう。あれだけの力、欲しがる所は多いはずよ」
「それじゃよ」
「え?」
「うんうん。問題はそこなのでゴザル」
「それはどういう……?」
アズサが形の良い眉を顰めるも、他の三人は無言で酒をあおっている。
「ちょっと、答えなさいよ」
肝心の事を話さない三人に、さすがに苛立ったようにテーブルを指で強く叩く。
「順序を追って説明しよう。まず、あの子は陰陽師じゃ。そして陰陽師には陰陽師のための組織、陰陽寮というものがある」
「ええ」
それがどうしたのか、と言わんばかりに要領を得ない顔でアズサは相槌をうつ。
「陰陽師としての正式なライセンスを発行しておる所でな、陰陽師になるにはここの門を一度叩かねばならん。その組織のトップの役職が陰陽頭と言って、今はワシと同じ老いぼれ爺が牛耳っておる。こやつがな、少々……いやかなり問題なのじゃよ」
「……ろくでもないヤツなの?」
「うむ」
「でゴザル」
「だな」
間髪いれずに頷く三名。
「とはいえ、もし仮にお嬢さんやワシらであったなら問題はない。問題なのは、坊主がまだ十歳にもならない子供だという事なのじゃ」
「…………」
高野の声が鉛のように重く沈む。
話の雲行きが怪しくなってきた事に気付き、アズサはただただ沈黙を続けるしかなかった。
「ぼくちんの家も古い名家でゴザってな、その陰陽頭ともそれなりの交流があるのでゴザルよ。で、こういうちょっと有名な噂があるのでゴザル」
アズサは知らずの内に唾を飲む。
気がつけば背に冷や汗の感触。
「そのジジイ、小児性愛だってよ。同性の」
ルーインが軽く爆弾を放り投げてきた。
昔で言えば衆道。
捕捉ではあるが、ペドフィリアには男児、女児両方の意味を含んでいる。
「……………………………………………」
アズサ、絶句。
「加えて言うなら、強い力を持つ少年ならなおの事好むって話だそーだぜ。オレも詳しい話は最近聞いたばっかだけどな」
「うむ。坊主は文句一つ付けられぬほどに、あやつの趣味に合致しておる。今回の事が明るみになれば、賀茂家という後ろ盾のない今、坊主はまず確実にあの手この手であやつの手元に置かれるじゃろうて」
「ちなみにぼくちんが聞いた噂だと、あの爺ちゃんは普段離れの家屋で寝起きしてて、そこにはこれでもかというくらい厳重に人の行き来を制限しているでゴザル。その上、その家屋に夜近づく事も禁止していてでゴザってね……」
聞きたくもない情報が次々とアズサの耳に押し寄せてくる。
「で、爺ちゃんは屋敷ではよく小さな男の子を侍らせてるのでゴザル。こっちは目撃証言多数でゴザルな。ただの側仕えで身の回りの世話をさせてるだけって事でゴザルが。まあ、その側仕えは数少ない寝室のある離れの家屋へ入る事を許されている者なのでゴザルよ。その爺ちゃんに手を引かれて一緒に寝室へと消えて行く姿が多々見られるとか」
「………………………………………………………………………………」
引きつったように頬を痙攣させているアズサ。その脳は既にオーバーヒートしている。
最後に締めるように高野が言う。
「あくまで噂じゃ」
「どこが噂よ! 完全に真っ黒じゃない! これが白だっていうんならカラスも真っ白よ!」
両手を勢いよくテーブルに何度も叩きつけ、フリーズから再起動したアズサがいきり立って吼えた。
「仮に声を上げたとしても、すぐ有耶無耶になるでゴザろうな」
四人の中で一番、そう他人事のように言うのは北条。
「あってもあやつの地位と金とコネなら表沙汰になる前に、あっという間に手を回して潰せるじゃろうな。そうそうこんな事もあったの。坊主と同じように、両親を凶悪な退魔術士にやられた見目麗しい幼い男の子の陰陽師の卵がいたのじゃが、その子の親戚が引き取ろうとした後、急に陰陽師としての実力とミスマッチの難しい依頼が次々とその親戚に振られるようになっての。過労がたたって依頼中にバッタリ倒れたそうじゃ。その時、妖怪に癒えないほど深い傷を負わされて第一線から引退したそうじゃ。そしてドタバタしている内に、何故かあやつがその子を引き取って後見人の座に収まっておったそうじゃ」
一体何があったのか。
なお件の男の子は成長した後、陰陽頭の側仕えを別の男の子に交代し、今もなお屋敷の子飼いの陰陽師となっているそうだ。より正確に言うならば長年たっぷりの『教育』を施しての飼い殺し。
「……ど、どうにかならないの?」
「まあ、そのために今日はこうして皆に来てもらったのじゃよ」
「できるのね!」
思わずテーブルに体を乗り出すアズサに、高野は重々しく告げる。
「今回の一件での、坊主の功績を一旦隠す」
「え……」
「口裏を合わせて坊主の活躍を無かった事にする。隠すのがあの金盾勲章じゃ。世界規模での詐称となる。じゃが安心せい。この件ではワシが全て主導したという形にする。どうせ老い先も短いこの身じゃ。問題ないわい。そして坊主の名誉と功績を奪う代わりといってはなんじゃが、ワシら全員に配られる2A級討伐での億単位の報奨金について、ワシの分は全て坊主にそのまま譲り渡す。坊主本来の金盾の価値を考えれば安いがの」
なお、高野は両面宿儺との戦いでいくつか高級武具を消耗しており、収支は完全に赤字である。
「ちょ、ちょっと!」
「12歳、いや15歳にもなれば大丈夫じゃろう。それまでこの事は伏せておき、しかるべき時がきたら坊主の名誉を回復させようぞ」
そこで高野が四枚の紙をテーブルへと置く。
「これは?」
「連判状じゃ。既にそこの二人は済んでおるので、もしお嬢さんも賛同してくれるのであれば最後にお嬢さんの名前と拇印を頼む。その後、しかるべき所に預け、六年ほど封印する」
内容は賀茂総一が両面宿儺との戦いにおいて、十二神将を使役し討伐に如何に貢献したかを証明するものだった。
なお、いずれの紙も先頭には高野の名前と拇印がある。その後ろにルーインと北条の名前が連なっている。
「もっともお嬢さんはワシらとは違い、まだ若く真っ当な道を進んでおり、未来も明るい。折角の輝かしい経歴に決して消えない汚点がつく事になる。もしほんのわずかでも迷う気持ちがあるのであれば名を連ねん方がええ。これはあくまで、汚名を被ってでも坊主を助けるに値する子であると思えばこそ、じゃ」
「重爺ちゃん。ぼくちん、ぼくちんもまだ真っ当な未来ある一人でゴザルよ。なのにさっきみたいに言ってくれなかったでゴザルよね?」
「お主はとっくの昔に道を踏み外しとる。今更この程度屁でもなかろう」
「ゴザルー」
ふて腐れたように北条はゴロゴロと畳の上を棒のように転がっていった。
「じゃあ一つ聞くわね。あなたがここまでしてあの子を気にかけるのはどうして?」
「……見所ある若者がおる。その芽が将来どのような花を咲かせるか、これが楽しみにならんはずがなかろうて」
「そう。私も同じ気持ちよ」
挑むように鋭い一瞥を投げかけ、アズサはペンを手に取った。その口元にはある種凄惨な笑みが形作られている。
「そもそもあの中で一番の足手まといだった私に、これ以上の汚点なんてあるものですか。元々分不相応な勲章よ。この件で失うものなんてないわ。そう、これはあの子への借りなのよ。例えあの子がそうは思わなくても、私が私を許さない。だからいつか必ず私はあの子へ借りを返すわ」
あの日、両面宿儺へと挑みかかり、総一の式神に助けられたあの時。
あの瞬間に感じた無力感。それは自分への絶望だった。
あまりにも非力で惨めでちっぽけだったアズサは、その時の自分自身を決して許さない。それは呪詛にも似た憤怒だった。
だからアズサはこの退魔術士界への背信とも言うべき事に加担し、総一を支援する。
いつか借りを返せたと自分が納得できるその時まで。
「……難しい文字が多いわね」
独特で難解な言い回しや難しい漢字といった日本語に四苦八苦しながらもアズサは内容に一通り目を通して拇印を捺印した。
「感謝する、アズサ殿。いつかワシの力が欲しい時はこの番号にかけてくれ。そうすればワシまですぐに連絡がいくようになっておる。ワシ自身、この国には色々とツテがある。それにまだ日本の仏門の退魔術士の組織『明光清宗』にはワシと繋がりのある者がおる。それも上の方に、じゃ。何かこっちで困った事があればいつでも頼ってくれ。じゃがまあ、お金についてはちぃっとばかりあてにせんでもらえると助かるのじゃがの! ほっほ!」
「おー。オレの番号もいいぜ。ほれ、とっときな。そのきっぷの良さはオレ好みだ。祓魔師の手が欲しけりゃ言いな」
「あなた達ほどの退魔術士との知己を得られるなんて、本当に実りの多い研修だったわね。勉強させられたわ。世界が広がった気分よ。これが私の番号よ」
アズサと高野、ルーインが同じ思いを以って握手を交わす。
そして北条は一人、部屋の隅で大好きな声優の写真を眺めながらだらしなく頬を緩めていた。
「けど、今回はこれで凌いだとしても今後はどうするの? まさかずっとあの子の実力を隠させるわけにもいかないでしょう。私たちにそんな口を挟める権利もないでしょうし」
「そこは大丈夫じゃ。ちょうど良い具合に、今とある筋から声をかけられてての。新規で組織を設立しようと動いている知り合いがおって、そこに誘うつもりじゃ。あっちで寝転がっとるやつをお守につけて、そこでは坊主には仮の名を使ってもらう事になる」
「とある筋?」
「うむ。それはじゃな――」
とまあ、そんな密約が交わされていた上での、このパーティの状況なのだ。なお大裳もこれに一枚噛んでいる。
手持ち無沙汰気な総一が、ちょっと肩を落としてどうしようか決めかねたまま突っ立ったままでいる。
そんな総一に密かに気を配っているのがアズサと高野だ。何かあればすぐ総一の元へ行けるような位置取りを続けていたアズサだが、痺れを切らす……というほどには時間は経っていないが、見かねたように総一を保護しようと足を向けた時だった。
「やあ。金盾勲章おめでとう」
「?」
一人だった総一に近づいて来たのは一組の男女だった。
声をかけたのは黒の長髪の女性で、年のころは二十代前半だろうか。スレンダーな肢体に長いスカートのドレスを着て人懐っこい笑顔を浮かべている。やや小柄だ。
「はいはーい。こんにちはー。話すのはこれが初めてだね、賀茂総一くん」
「どちら様でしょうか」
「あたしは紅凪九十九。そしてこっちが……」
「……望月陽一という」
女性の横にいたもう一人のスーツ姿の青年が愛想の欠片もなく挨拶をした。というか、声の抑揚からして平坦で暗い。
「事情はあっちのお爺ちゃんから聞いてるよ。実は今日は一ついい話を持ってきたんだ。ほら社長」
「ああ、分かってる……賀茂君。民間軍事会社というものは聞いた事があるかい?」
「いいえ」
きょとんとした顔で首を横に振る。
民間軍事会社。退魔術士界におけるそれは妖怪や退魔術士との戦闘や警護、警備を目的としたいわば傭兵会社だ。更に今回立ち上げる組織には、更に犯罪組織からのアーティファクト回収や護衛も含まれている。
残念ながらまだ総一はそういった事には疎かった。賀茂家での教育はあくまで賀茂家の歴史や技術といったものが主だったのだ。
「今度新しく立ち上げるのだが、一緒に来て欲しい」
「詳しい話はまた今度ね。はい、これあたしの名刺。よろしくっ」
金盾勲章によって得られた繋がり。
北条、高野、ルーイン、アズサ。彼らとの縁故。同じ戦場を生きぬいた絆。
全ては総一の一つ一つの選択による結実。そこに至るまでに良手、悪手と数多くの是非はあれどそれも行動に移したが故のこの成果。
それは確かに総一が掴み取ったものだ。
そしてそれは後が無い総一にとっては間違いなく首の皮一枚の差で救いへと繋がった。
☆☆☆☆☆☆
そして数ヶ月後のドイツ。
紋章騎士訓練施設の野外演習場にてアズサは三体のゴーレム相手にバスタードソードを振り回していた。
このゴーレム、同じルーンナイトである錬金術士が製作したもので、土でできた全長5mの人形の上に装甲を張り付け、全身鎧の騎士のようになっている。ゴーレムの体に刻まれたEMETHという文字は人間でいうと心臓に値し、Eを削られれば死ぬという弱点だが、今時それをわざわざ野ざらしにする意味などない。砲弾すら跳ね返すよう、念入りに魔法を使って強化された装甲で覆い隠されていた。
更に腕にはアタッチメントによりガトリング砲や大盾、剣、ハルバード、メイスといった各種武装が取り付け可能となっている。一体は両腕にガトリング砲やロケットランチャーを取り付け、更に背後に諸々の重火器を背負った砲兵、一体は盾とメイスで矢面に立つ重兵、一体は装備を軽量化させた上で剣やハルバードなど状況に合わせて武器を取り替えて素早い動きで攻撃する白兵だ。
なおここには出てきていないが、推進装置を取り付けた飛空用のゴーレムもいる。
三体が三体とも錬金術士の秘蔵の素材で製作された特別製で身体能力が遥かに高く、頑強だ。しかも鈍重そうな見た目とは裏腹に、疾風のように素早い動きを可能としている。この三体でそこいらの軍の基地一つ制圧できるほどに強力な兵だ。
もっとも、現在のルーンナイト団長及び副団長はこのゴーレムを数体まとめて一瞬で蹴散らし、歯牙にもかけないのだが。
それらを相手に、アズサはバスタードソードから炎を噴出させながら駆けずり回っていた。その姿は残像を残し、銃弾でも易々と捉えさせてくれない。
やがて盾持ちのゴーレムを行動不能にさせたはいいが、矢避けのルーンでも捌ききれなくなるほどの大量のゴム弾にアズサがしこたま打ち据えられ、訓練は終了した。
「やってるなーアズサちゃん。金盾勲章もらってからずっと、訓練や実戦に熱が入りっぱなしじゃないか。張り切ってるねぇ。まあ気持ちは分からんでもないが。なんせ金盾だもんなぁ、金盾」
新しく訓練場にやって来て声をかけたのもルーンナイトの一員、アズサの先輩だった。
ここ最近のアズサは訓練に余念がなかった。一週間のサバイバル軍事教練に参加し、各種魔法学講習に出席し、荷物を背負っての走りこみなど基礎能力訓練を欠かさない。
かつてこれまでも訓練には熱心ではあったが、今は更にヒートアップしているのだ。
それを受けてのこの先輩の発言は、金盾を授与した事がよほど嬉しく、発奮しているのだろうと考えての事だった。
「このルーンナイトでも金盾持ってるのなんてアズサちゃんだけだぜ。いやー、2A級と出くわして生還するなんざ、レアな経験だな」
「……ええ、確かにいい経験でした」
「んん?」
先輩は思ってた反応とは違う事に思わず口を閉ざし、アズサを二度見する。東方へ向かう前の上昇志向の強いアズサなら、当然というようなすまし顔か或いは堂々と胸を張って微笑むかしていたはずなのだ。
だが今の声色は違う。一見すまし顔でも煮えたぎる何かを腹の奥底に隠した、一種ほの暗い凄みを滲ませた声色だった。
「先輩。先輩が東方行きの研修を勧めて下さって、本当に感謝しています。おかげで新しく一つ目標ができました」
「目標か?」
「はい」
アズサは顔を上げる。見上げた空は青い。
だがアズサの目は空ではなく、一人の少年と一人の武士を思い浮かべていた。
不動六手という超技を見せた腹の突き出たふざけた武士。
そして何よりも、幼い身で玄武という怪物を使役した魔法使い。
直接目にしたあの日の戦いの光景を、アズサは決して忘れる事はないだろう。その時の、この身の不甲斐なさも。
「もし、今度また同じような戦いがあれば、今度こそ……」
アズサは上を目指す。
より高みに、より誇れる自分であるために。
次こそはと願って。
大陸の西側で娘は今日も遠い異国での思い出を埋火のように燻らせ、それを原動力に剣を振るう。
後のルーンナイトNo.2、副団長となるアズサ18歳の夏だった。
総一くん、小学3年生にて内定決定。




