1-16 S岳掃討作戦-二つの戦場-
武者北条は愛刀を片手に幾度と無く腕を動かす。その度に十mを超える剣圧による刃が大気を割り、雨の雫を弾き飛ばしながら巨大な鬼神へと牙を剥く。
また跳び上がり直接太刀を両面宿儺へと振るえば剣で受け止められ、その接点で発生する互いの力のぶつかり合いは激しい音と爆風を生み出す。
「重い……でゴザルなぁっ!」
力強く打ち込んだ威力が逆流してくるかのように、間近で浴びたそれが北条の甲冑の板金を剥がしていく。両面宿儺もまた腕に鈍器で殴られたような強い圧力を受け、衝撃が走る。
片や2mもない人間の持つ1m程度の太刀。片や全長50mを越す巨大な鬼神が扱う20m越えの直剣。これらがぶつかり合った時、普通に考えれば直剣が圧倒するというのが分かりきった答えのはずだ。
だが現実はほぼ拮抗しており、両面宿儺が複数同時に相手どっている事を差し引いても北条の実力は『怪物』の一言に尽きる。
既に北条は両面宿儺から振るわれる剣圧で武者鎧はあちこちが割れ、或いは欠けていた。鎧の下では剣を合わせた時の衝撃で骨にヒビが入っている所もある。
周りを見れば、老破戒僧高野もまた直撃こそ一度も受けていないものの、剣や矢の余波だけで体のあちこちに裂傷や打撲の痕があり、所々で流血している。
とはいえ、もし高野が直撃を受けていればそれはガードの上からでも即致命傷となっているため、逆に言えばクリーンヒットだけは避け続けているという事になる。
ルーインや玄武ほど肉体が頑強であればまだかろうじてなんとかなるものの、彼の装甲では両面宿儺の火力に耐え切れないのだ。というか、両面宿儺の一撃を真正面から受けきれる人間など世界でもごくごく限られた者しかいない。
狂神父ルーインは折れているにも構わず左腕を使いながら、幾度と無く両面宿儺へと肉弾戦を挑んでいる。間近で両面宿儺の暴力に晒され続けてなお、己が信じる神への愛の言葉を叫びながら鬼神へと突撃を繰り返す彼は喜びに満ち溢れた顔をしていた。
北条は二本の剣から放たれた三十を越える連続突きを地をジグザグに駆けずり回りかわしていく。頭上から降り注いでくる両面宿儺の突きは残像を残し、剣の雨のようにも見えた。
同時に三本目の腕が空の矢筒に伸び、引き抜いた時にはその手にどこからともなく現れた新たな矢を三本掴んでいた。それを四本目の腕が持つ弓に番え、矢を一斉に玄武へと放つ。
玄武は己の甲羅で矢を受けた。戦艦を撃ち抜く矢は玄武の甲羅に弾かれ、黒い雨を切りながら彼方へと飛び去っていく。
やや息を切らせながら北条は体勢を一度整えるために両面宿儺から距離を取ろうとしながらも、その巨大な全身をじっとりと眺める。
「うん、うん。やっぱりAと違って2Aともなればそう易々と斬らせてはくれないでゴザルなぁ。さぁて、どうしたものでゴザルか。どうにも目の敵にされてとっておきを使う時間も余りとれないし困ったでゴザル――なぁっ!」
距離を取った北条に、そうはさせないとばかりに纏わりつくルーインと高野を引き連れ、玄武の巨体を押し返しながら両面宿儺が真っ直ぐ突進してくる。休む暇を与えず、自由にはさせないと言わんばかりの警戒ぶりだった。
それを前にして北条はでっぷりとした体を揺らしながら再び大きく跳躍し、振り下ろされる二本の剣から身をかわした。
その最中、北条の目にどっしりと構え両面宿儺へと食い下がる巨大な大亀の姿が入ってきた。
「しかし、玄武でゴザルかぁ……いいなぁ……あれもいいなぁ……いつか斬ってみたいでゴザルなぁ……」
両面宿儺との間合いを測りつつ跳び回る中、兜の下でギョロリと舐めるように玄武を見る。
その口元には笑みが形作られていた。舌なめずりをするような笑みが。
その爬虫類じみた視線に玄武が気付き激しい嫌悪と悪寒を覚え、射殺さんばかりに睨みつけるもすぐに彼の興味は目の前の両面宿儺へと戻った。
「まあそれはまた今度の機会でゴザルな」
ふいと視線を目の前の巨大な鬼神に戻し、再び北条は前進し太刀を振るい始めた。
最初はバラバラに攻撃を加えていた三人と一体だったが、次第に歩調を合わせるようになってきた。
最初から周りに合わせる気がなく、勝手気ままに突撃を繰り返すのが北条とルーインの二人。
そしてその二人の息を読んで、高野と玄武がカバーに入る。
お世辞にも連携が取れていると言い辛いが、ここに至って三人と一体は次々と代わる代わる攻撃を加え続ける波状攻勢の形をとり始めていった。
「……はぁ、はぁ、っふう。負ける、もんか」
総一は息を乱し始めていた。仁王立ちで玄武と両面宿儺がどっしり組み合う光景から目を離さず、雨に濡れる中、汗も一緒に流れ落ちていく。
玄武が暴れ、力を使うたびに総一が己の式神へと力を補給し続けているため消耗しているのだ。
玄武の扱う力は非常に強力であるが故に、その消費量も膨大だ。如何に生まれつき強大な力を持つ総一とて、A級に位置する水神を使役するのは極めて負担が大きい。
玄武が術を使う度にズルズルと己の体から力が抜けていき、疲労感と虚脱感が着実に広がっていく。まるで奈落の穴のようにひっきりなしに力を吸い取られ続けていても、総一は絶対に玄武の手綱を緩める事はない。
なぜなら陰陽師にとって、式神の制御が己の手から離れる事態だけは絶対に避けなければいけない事だからだ。
もし総一が大裳や玄武など式神の制御を緩め、その手元から離してしまったらどうなるか。その答えは式神が狂い、自我を失くし召喚した主に襲い掛かる、だ。
人を呪わば穴二つ。まさにこの言葉が相応しい。
式神という魔法の最大のリスクはそこにある。式紙と違い、式神を使役する陰陽師は常に己の命を危険に晒しているのだ。だから総一は決して気を抜かず、己が式神との繋がりを維持し、制御下に置き続けている。それは綱引きに似ている。凄まじい力で引っ張られ続ける玄武へと続く綱を、総一の力が押し止めているのだ。
さすがに今の総一では二体同時に十二神将を制御下におけるだけの力はなく、一体の使役が限界だった。
まだ多少余裕はあるとはいえ、もう一体十二神将を呼べば間違いなく玄武の制御はあっという間に総一の手元から離れるだろう。
「はぁ……陰陽中和の術、また使わなきゃ」
玄武の使役と並行して魔法を使いながら総一は戦場に立ち続ける。垂れてくる強酸性の雫を気だるそうに拭い、ひっきりなしに続く地面の揺れに耐える。
無論、流れ弾にも気をつけなければいけない。
いつ弾かれた矢や光弾、太刀の斬撃が総一やアズサの元に飛来してくるか分からない上、それらが着弾した際に発生する爆発は無数の岩飛礫を散弾銃のように辺りに撒き散らす。その岩飛礫は一般人にとっては目にも止まらぬ速さで、鉄板をもへこませる。総一らはそんなものが雨あられと飛び交う中を踏みとどまっていた。
そして一方、己の劣勢を感じ始めた両面宿儺はその鬼面を般若の形相に変え、剣を下段から掬い上げるように振り上げた。すると前方に爆風が巻き起こる。爆風は前進しながら下から上へ上昇気流のように地表の物を高く持ち上げて行く。
跳びあがっていた高野がそれに巻き込まれて後方へと木の葉のように吹き飛ぶ。ルーインはウリエルの加護による超重量により耐え切った。が、間髪いれずに続く両面宿儺の剣で鋭くなぎ払う四連撃に追い詰められ、最後には全力でガードした上で高野と同じく後方へと弾き飛ばされた。
そしてわずかにできた余裕。玄武と北条の相手をしながらも、そこで反対側にある両面宿儺の顔が天へと高らかに咆哮した。
「なに……?」
雨雫をも震わせる振動がアズサの耳を激しく揺らした。
今までに無い、両面宿儺の行動。
だがその敵の一手で戦場に変化がない事にアズサが怪訝な顔をする。
まさかただの怒りの咆哮だったのか、そう思った時だった。
山の空気が変わる。
そして異変を感じ取り、ここで何が起きているか察したアズサの顔が青ざめた。
「まさか、こいつ――!」
咆哮と連動するように、山の各所で不穏な動きが始まった。
☆☆☆☆☆☆
「報告! 麓にて交戦中の各部隊からです! 山頂から何者かの咆哮が響いた途端、山を下って来ていた妖怪全てが一斉に反転して山中へ戻っていったとの事!」
「なに……?」
本部で報告を受けた水前寺一尉が怪訝そうに眉を寄せる。
「君、妖怪の気配はどうだ?」
「はっ。報告の通り、感じられる妖怪は確かに反転して動いています」
「あの咆哮のせいか……?」
本部に詰める退魔術士が観測した大まかな妖怪の気配の報告に、水前寺一尉は一先ず妖怪の攻勢がなくなった事に一息ついた。
「『白菊』及び『五芒桜花』の動きは――」
どうなっている、そう確認しようとした時だった。
本部に緊迫した声が駆け抜けた。
「司令部より緊急!」
「どうした!」
「現在未確認物体が飛翔中! こちらを目指しているそうです! その速度、マッハ1.5との事!」
「なんだ、戦闘機か!?」
水前寺一尉の側にいた一人の士官が叫ぶ。
「い、いえ。防空監視所のレーダーが観測したところによると、非常に小型で……その……人間、ではないかと」
「バカな! 人間がマッハを、地上ならともかく空中で? ありえん!」
鍛え抜かれた退魔術士の中には音速を超えて移動できる者がいる。
例えば日本にも五芒桜花の隊長や白菊の一部メンバー、『剣』、そして何よりも有名なのが『剣聖』といった面々がいる。
だが、そんな彼彼女らでも空中をマッハで動ける者などいない。
それを知るからこその、その士官の叫びだった。
「いや、いる」
そしてその叫びを落ち着いた声が否定した。
バカなと言わんばかりに驚きに目を大きく見開く周囲がその声の元を慌てて向く。
声の主は水前寺一尉だった。
いくつもの声なき疑問を向けられた彼は神妙に告げる。
「今の日本で、いや世界で唯一その条件を満たせる者がいる」
「……あ!」
そこで、誰かが何か閃いたかのような声を上げた。
水前寺一尉はそれに構わず続ける。
「四年程前、かつて起きた『秩序の破壊』騒乱を生き残り、異世界から渡ってきた最高峰の妖刀を手にした青年がいる。その妖刀は極めて強力な力があり、その能力は持ち主に翼を与えるという。そしてその翼は音速を超えた機動力をもつ。それこそジェット機並の。ああ、そうだ。単身で世界最高の機動力を持つその妖刀の持ち主の名は――」
場が静まり返っていた。
全員がもう、ある一人の名前を、姿を思い浮かべていた。
そして水前寺一尉は、それを声にする。
「望月陽一。彼しかいない」
何も邪魔する者のない大空を一人の青年がソニックブームを撒き散らしながら駆け抜けていた。 先ほど甲信越地方を中心に震撼させた2A級の気配に導かれるように、美しい抜き身の太刀を持ったまま超スピードで救援に駆けつけるべくS岳へと向かっている。
なお運輸省への飛行通告書は現在申請中である。短距離ならまだともかく、100kmを越す距離を単身飛ぶとなれば発着点などといった申請が必要になるのだ。これがないと航空法により撃墜されても文句は言えない。
彼はその特殊な立ち位置から特別に話の通りやすい専門部署への直通の電話番号が教えられている。そこへ携帯電話で電話をかけ、10秒足らずで申請し、装備を整えてすぐさま飛び立ったのだ。
空を飛ぶ彼は楕円形に近い風の保護膜に包まれている。その中では妖刀による緩衝魔法が働き、高速での急激な方向転換も可能としている。通常それやったらブラックアウト現象などでかなりヤバイ事になるのだが。
年は今年二十歳になる青年で、ボサボサの黒髪は目元までをも覆い隠している。中肉中背でどこか茫洋とした、根暗な雰囲気のある彼は黒いズボンに藍色のシャツを着ており、その上には黒のアーマージャケットを羽織っていた。
手には装甲付きのグローブを、そして腕や足といった各所にはプロテクターがある。
貴重な素材及び神霊的な付与魔法をほどこされたそれらの装備は、個人で持つには非常に難しいほど高価なものだった。
彼はフリーランスの退魔術士だ。
元々はアメリカの民間組織に属していたが、今ではそこを抜けてある目的のために世界各地を飛びまわっている。
かつて『秩序の破壊』騒乱のさ中でA級として国際指名手配されていた『コレクター』を見事打倒してみせた日本の若手のエース。フリーランスの中では有数の力を誇り、各地の有力者とも繋がりを持つ人物だ。
そんな彼は今、高高度の薄い空気と低い気温の中を事も無げに飛び続け、ようやく目的地を視認できる距離まで近づいていた。
「見えた。あそこか」
視界の先には黒い雨雲が広がっていた。
その下から遠くからも感じる妖怪の気配は、陽一でも鳥肌が立つほど強烈なものだった。しかも近づくたびにどんどんその強さが鮮明になっていく。
人間の手に負える相手ではない。
普通ならそう絶望し、腰砕けになる濃密な鬼気を浴びてもなお彼は速度を緩めない。
そしていよいよ鬼神・両面宿儺の姿を捉えた時だった。
「――!!」
急行していた彼は、しかし突然ストップをかけた。
現状を大きく変えうる力を持つ彼は、S岳上空付近である一人の男性によって阻まれる事になる。
「やあ。いい天気だね」
空中に立ち、朗らかな挨拶をしてくるのは金髪碧眼の人畜無害そうな見た目二十歳前後の青年だった。
欧米風の外見に、白いローブ服。腰には黒い帯をしており、金糸で刺繍された白いケープを羽織っている。
ニコニコと無害そうな笑顔を浮かべ続けている彼を前に、望月はあからさまにこれ以上ないというくらい警戒を露にし、太刀を構えた。その前髪に隠れた目には強い緊張感があり、その背には冷や汗が流れている。
そんな望月に頓着せず、友好的に声をかけてきた青年は言葉を続けた。
「初めまして。私はマカーブルと言います。でもどうも最近では口さがない人達はこう呼ぶ人が多いみたいだけどね」
そして続く言葉に望月は一瞬息を止め、絶句した。
「喜びの魔王って」
世界最強最悪の一人が、望月陽一を阻んだ。




