1-14 S岳掃討作戦-伝説の開幕-
アズサは不機嫌だった。
「どうしてこうなったのかしら……」
己が得物のバスタードソードを一瞬で三度振るう。近づこうとしていた三体の黒い鬼の体がそれで全て断ち斬られる。
「チッ、随分と剣の手応えが重くなってきたわね」
五人で行軍を再開してしばらく経ち、遭遇する敵はより強く濃厚な禍々しい気配を発するようになっていた。それと比例するように手強くなっているのを嫌でも実感せざるを得なかった。
「これは、C級の中にB級が出てくるのもそう遠い先の話じゃなくなりそうね。戦況次第じゃ、撤退のタイミングもしっかり見極めないと」
仮にB級が出てくれば、アズサとて今のように一撃必殺とはいかない。そうなれば行軍のスピードも落ちるし、スタミナの消耗も激しくなっていく。下手をすれば下山するためのスタミナすら途中で尽きる事態になりかねないため、進退の判断を誤るわけにはいかなかった。
「ま、私だけならいざとなればアレがあるから一飛びでいいのだけれど……」
黒い雨の中、次に襲い掛かってきたのは凶暴化した牛の怨霊だった。但し膨れ上がったその体躯は3mを超える半透明のモヤの巨体と化しており、地上からわずかに浮いて空を駆けてくる。歯を剥き出しにし、奇声を上げながら突進してくる。
それをアズサはわずかに体をズラすだけで優雅に回避。そのままバスタードソードで直接斬りつける。
剣が牛の姿を形作る薄いモヤに触れた途端、刀身に刻まれたルーン文字が淡く輝く。
切り裂いた剣の軌跡に沿って空中に炎が噴き出す。退魔の炎だ。それに触れた途端、怨霊は苦痛の叫びを上げながらやがて完全に消滅していった。
一先ず敵の掃討を終え、再びアズサを先頭に先へと進む。
順調であるはずの一行だったが、アズサは肩をいからせ、そのこめかみには青スジが浮かんでいた。
それというのも、全て彼女の後ろにいる連中が原因だった。
「しかし南さん、あなたはどうやってここまでこれたので?」
「いやぁ。ぼくちん逃げ足は自信があるのでゴザルよ。ほら、貴博さんこの脚甲見て見て。韋駄天の力が付与されておってでゴザってな、すんごく速く走れるのでゴザルよ。で、ここまで全部振り切って逃げてきたでゴザル」
「なるほど。見たところその武者鎧も相当な一品ですね」
「ほっほ。マサ坊はお金持ちじゃからのぅ。ただもうちょいとばかし真っ当な趣味を持ってくれればと、ワシや虎が口を酸っぱくして言っておるのじゃが直る気配もない。まったく妙なエロ本ばかり読みおって。あ、虎というのはマサ坊の父親の事じゃよ」
「重爺ちゃん、もうマサ坊は止めて欲しいでゴザル。ぼくちんもう三十路近いのでゴザルよ」
「なーにを言うか。ワシにとっちゃマサ坊はずっとマサ坊じゃ。ほっほ!」
「なーおい。ミナミだったか、その武器見せてくれよ。な、ちょっとだけでいいから。その太刀、すっげーいい魔力してるじゃねーか」
「断固断るでゴザル! 神父さん、これはぼくちんの大事な大事な愛刀でゴザルゆえ、無闇に抜きたくないでゴザルよ」
戦場ど真ん中で緊張感のカケラも無く、呑気に和やかに談笑する四人にアズサはもう集中力を乱され続け、ブチ切れそうだった。
だがそれでいて連中、仕事はキッチリやるのだ。とはいえ、全て貴博一人で後方の敵を処理しており、老破戒僧高野やルーイン神父、総一は何もせずくっついて歩いているだけなのだが。
子供の総一はまだともかく、空が黒雲に覆われ薄暗い中、蔓延る敵と生き物を溶かし尽くす凶悪な酸性雨の中を老破戒僧高野とルーイン神父、武者南は完全にハイキング気分で身軽にひょいひょい足を動かしている。南に至っては腰に下げた袋から何度もお菓子を取り出しては、濡れるのもお構い無しに歩きながらパクついている。この状況を舐めきっているとしかアズサには思えなかった。
しかし、アズサはそのやり取りを聞いていて納得した。
「なるほど。やけに隙だらけで弱そうと思っていたのだけれど、ここまで来れたのは装備のおかげだったのね」
下手をすると武者南が身につけている甲冑は自分のオーバーコートより上質の一級品の防具かもしれないとアズサは踏んでいた。それだけの甲冑から感じる魔力の強さ、質、そして高貴さがあった。その突き出た腹に合うようカスタマイズされている事からも、彼専用に仕立て上げられた逸品物である可能性が高い。甲冑だけでなく腰に佩いている太刀も、脚甲も、小手も全てが素晴らしい輝きを放っている。正直に言えば、アズサにとっても垂涎物だ。
しかしその持ち主はといえば、アズサが見たところ打ち込めば簡単に一撃を与えられるくらいに体の動かし方がなっていなかった。
しかもあのだらしない体型を見れば、彼がまともに訓練していない事は一目瞭然だとアズサは断じた。
それに加えて、腰に佩いている太刀を一切抜こうとしないのだが、その理由というのが。
「シオリちゃんがこんなやつらで汚れるのは嫌でゴザル」
という意味不明のものだった。武器なのにこの言葉である。
なおこの場の誰も知らない事だが、南が愛刀に付ける名前は全ていわゆる二次元の美少女キャラクターから取られている。シオリという名前は恋愛シミュレーションゲームの先駆けとなった某ゲームのメインヒロインである。彼の家には他にも『サキ』という愛刀もあるが、これは完全に余談である。
「いっそ置き去りにして私一人で進もうかしら……」
幾分据わった目で容赦なくそう考える。もはや後ろの連中がお荷物としか感じられず、それならもう単独行動した方がマシなのではないかと頭の片隅で囁く声がある。そもそもが目的が一致しているかも怪しい臨時パーティなのだ。
だが彼女がそれを実行に移す事はなかった。なぜなら。
「……?」
ふとアズサの視線に気付いた幼い総一が息を切らせながらも真正面から見つめ返す。ここまで何一つワガママも文句も泣き言も何一つ言わず、黙々とその小さい両足でついて来ている幼い少年の視線。
それを受けてアズサはまたすぐ再び前を向いた。
「……」
次に現れた鬼は三枚に下ろされたあげく、切り口から不必要なまでに激しく吹き上がった炎に巻かれてボロボロに崩れ落ちた。
「しかし、魔界化が随分と進行しておるようじゃのう」
「っつーか、こりゃもうほとんど手遅れだろ。魔界化は避けられねーと思うぜ。折角ジジイのツテで今回の募集枠に入って金欠脱出するつもりだったんだがなぁ。あーあ、ままならねー」
「おや、お金に困ってたのですか」
「うむ。青年、今はワシとこやつとで日本全国世直し放浪の旅に出ておってな、その日暮らしの毎日じゃよ。ほーほっほっほ!」
「いやな、マジ死に掛けた時は人情が身に染みたわ」
アズサの後ろからそんな世間話が聞こえてくる。
ふとアズサは南が空を見上げている事に気がついた。
「ふうむ。嫌な天気でゴザルなぁ……これは早い所用事を済ませた方がいいかもしれないでゴザルな」
人より優れた超感覚を持つアズサの耳がそんな呟きを拾った。
もう随分と前からこの生命お断りの環境の中、今更何を言っているのだこの武士は。最高級の装備に守られて今の今まで状況を分かっていなかったのか。
それがアズサの抱いた感想だった。
その呟きを同じく拾った高野が南に話しかけていたが、アズサはそちらの優先度を下げて再び周囲の警戒に意識の大部分を戻した。
そうしてどれくらい進んだのだろうか。山頂付近の山小屋に近づいていくに従い、アズサの表情は徐々に険しくなっていった。
なぜなら、敵との遭遇が目に見えて減ってきているのだ。
いるはずの敵がいない。これは明らかな異常だった。
加えて異変もあった。
雨音に混じって空気を震わせる何かの音が一定のリズムを刻んで聞こえてくるのだ。
最初は小さく、軽い音だった。だが登っていくにつれ音が大きく、そして重くなっていった。刻まれるリズムは変わらず、それはまるで太鼓か或いは。
「……まるで心臓の鼓動みたいね」
黙々と足を動かすアズサに、その後ろから付いて来るのは相変わらず物見遊山気分の三人プラス二人。
彼らの足元を流れる陰の気は既に一本へと合流され、おぞましいほどに大きく、大量となっており、それが全て山頂へと雪崩れ込んでいた。
「……これは、確実にB級超えはしてるわね」
アズサはもはや確信していた。そして想像するA級という重みに、無意識に生唾を飲み込んでいた。彼女でもA級に直接相対した事はないのだ。
「もうこうなったら出し惜しみはできそうにないか。戦う事になったら最初から全力で行くしかないわね」
覚悟と共にバスタードソードを握りなおし、少し上がってきていた息を整えなおす。
いくら世界最高クラスの組織紋章騎士の一人とはいえ、いかんせん敵数が多すぎた。また一戦一戦に集中しノーミスでいくしかなかった状況故に精神的にもやや疲労している。敵影のない今がコンディションを整えられる好機なのだ。
「ようやっと山頂かのー。年寄りに山登りはちと腰に来るものがあるのぅ」
「あー。ったりー。敵潰してとっとと帰ろーぜ」
「しかし、雪と雨とで足元がぐちゃぐちゃでゴザルなぁ。シオリちゃんを汚さないようにしなくては」
最も後ろの三人はそんな事とは完全に無縁そうだったが。
「ん……建物が見えてきたわね」
山小屋も見えて、山頂まですぐそこという所まで来た。一定の調子で聞こえてくる音はまだ続いている。
そして先頭のアズサは足を止めた。そのグリーンの瞳が戦慄きながら大きく見開かれていく。
彼女は見た。
「…………なによ、あれ」
山小屋の建物群の更にその奥。そこに大きな黒い『穴』がぽっかりと開いているのを。
『穴』は一言で言えばブラックホールのようだった。山頂の地肌から十数メートルほど浮き上がった球体状の黒い闇。距離が開いている事を考えても、その大きさはゆうに学校の校舎を呑み込めるくらいだ。そして足元を流れる陰の気は全てそこに流れ込んでいた。際限なく、貪欲に、吸い込み続けていた。
鼓膜を震わせる鼓動らしき音もまた、その『穴』から発せられていた。
「ほぉう。まるで奈落のようじゃのう」
同じものを目にした高野もまたここにきて初めて唸るような硬い声をして、『穴』を睨んでいた。その声にはもはや楽天的な明るさはない。
そして到着したばかりの皆の前で、『ソレ』は今まさに顕現しようとしていた。
「うそ……でしょう。あんな大きな『歪み』、見た事ない」
ここに至り、ようやくアズサは気付いた。
自分がどんな場所に立っているのかを。どんな死地を前にしているのかを。
黒い『穴』が一度大きく震え、歪み始めた。蠢くようなその動きは、何かの形を取ろうとしている。
始めに『穴』は左右に伸びた。それは左右対称に二対四本の腕となり、細長く伸びていく。
『穴』が縦に上下に伸びる。下に伸びたものは四つに裂かれ、足となる。更に上に伸びたものは二つに分かたれ、頭となった。頭はそれぞれ前後反対側を向くように顔ができていった。
形が明らかになるにつれ、その黒い異形から迸る鬼気がどんどん強まっていく。それはC級、B級、A級と一気に跳ね上がっていき、そして変化が止まり完全形になった時、その鬼気は既にアズサの手に負えるものではなくなっていた。
「この力……A級どころじゃないじゃない……なんでこんなヤツが顕現するのよ……」
アズサは目の前の怪物が何かは知らない。彼女の知識から言えば五十の頭と百の腕を持つ巨人ヘカトンケイル、或いは古代ギリシアの重装歩兵の武具を身につけた巨人ティターンを思い起こさせる姿だった。
そう。それは二面四手四足の古代の武人。全長50mを越す武者姿の鬼神。甲冑を身につけ、その手には弓を、背には矢筒を、腰には二本の剣を帯びている。
名を両 面 宿 儺。
日本最古の歴史書、日本書紀に記されし異形の戦士だ。
”オ……オオオオ……オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!”
顕現したばかりの彼の怪物が四本の足で直立し、産声を上げる。ただただ純粋に肉体を得た喜びを表すかのようなその咆哮は、己の存在を付近一帯に誇示せんとばかりに強烈な鬼気が込められていた。
それを最も近い距離で浴びたアズサは、瞬間的に体中が総毛立った。その声を聞いただけで心胆が凍りつき、萎縮する。先ほどまであった戦意が粉々に砕け散る。
気がつけば息を乱していた。浅く激しい呼吸の音と頬を伝う冷や汗に、アズサは表情を歪めて頭を垂れる。汗を拭う手すら恐怖に震えていた。
もう己個人が敵う存在ではないと確信してしまった。
洋の東西の差こそあれども、あれがソロモンの72悪魔をゆうに超える隔絶した邪神に違いないと。
そう。最も最悪に近い2A級の魔物、伝説上の怪物。
初めて直面したそれはあまりにも重い敗北感をアズサに刻み付けていた。
「撤退するわ。今すぐ」
あれを見てそれでもなお撤退しようとしないのなら、それはただの愚か者だ。あれを倒すにはアズサの知る限り、最低でもルーンナイト総出で当たる必要がある。
後はこの国の退魔術士の組織に任せればいい。自分はこの目で見た事を生きて帰り報告する事が今できる最大の役割だ。少なくとも今S岳にいる存在が何なのかを知る事ができれば、そこから打開の道を探りやすくはなる。
だからアズサは鬼神・両面宿儺に気取られぬよう、震える両足を叱咤しながら慎重に一歩後退る。
もしこの期に及んでなお総一がアレと戦う事に固執するようであれば、子供のワガママなど聞く耳もたず問答無用で気絶させてでも連れ帰るつもりだった。
そしてアズサが行動に移そうとしたその時だった。
アズサの横を颯爽と影が走ったのは。
「アアアアアアアアア――ヒイイイイイィィィハアアアアァァァァァ!!」
その人影は高らかに叫びながら両面宿儺へと狂ったように突き進む。
アズサは目を疑った。
なぜならその叫び声は歓喜一色だったのだ。
突如飛び出したのはルーイン神父。彼の目が捉えているのは目の前の恐るべき鬼神だけだった。
「アアアアアアアハハハハハハハハハハハハハハ――ッ!!」
「な、バ、バカ! 戻りなさい!」
無視。もはやルーイン神父にはアズサの声など届いていない。
ただひたすらに神への祈りを、愛を捧げながら疾走する。
「ああ! ああ! ああ!! 主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ主よ!! ――主よ!!」
そこには一人の敬遠なる信徒がいた。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいしてるぜえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
その言葉と共に、ルーイン神父が空中に跳び出すと同時に凄まじいまでの神々しい光、聖気がその両手に束ねられた。光は大きく白く眩く輝き、太陽が遮られた薄暗い世界を明るく照らす。
光に秘められたパワーは城をも砕くほどの破壊力を有しており、それがルーイン神父の手から放たれる。
光の奔流が音の壁を突き破るスピードで、生まれたばかりの巨大な鬼神の胸に直撃した。
その衝撃に鬼神がわずかにたたらを踏む。そして今攻撃してきた小さなルーイン神父をその目がハッキリと捉えた。その目に明らかな敵意を宿して。
一方、その一撃を目の当たりにしたアズサは、小さく口を開いていた。
「え……?」
強いとは感じていた。
だが、ここまでとは思っていなかった。
自分に比肩し得る? とんでもない。過去の己が下した評価はあまりにも身の程知らずだったと言わざるを得ない。
「ああ……主よ。今、この神敵をすみやかに討ち取ってオレの信仰の証にするぜ……!」
ルーイン神父は今もなお、興奮した吐息を漏らしながら更なる攻撃を加えるべく、鬼神へと迫り次々と攻撃を繰り出していた。
巨大な鬼神の乱れ咲く光の爆発。その一つ一つがアズサの背筋を凍らせる威力なのだ。
そして鬼神もまた、それだけの威力の攻撃を見事剣と鎧とで捌き続けており、まともにダメージが通っているように見えない。
ルーイン神父はそれでも構わずに攻撃を重ね続ける。恐ろしい勢いで、凄まじい威力の聖気を纏い続けながら。鬼神を相手に一歩も引く事なく壮絶な戦いがそこにあった。
突撃。突撃。突撃。突撃に次ぐ突撃。
幾条もの光の奔流が尾を残して間断なく鬼神へと撃ちこまれ続ける。
「ああ、今、オレは! 主の愛をこの身に感じている……ッ! 愛に包まれている! この上ない幸せが! ああ! ああ――! いっくぜええええオラアアアァァァ!!」
その狂態にはアズサもドン引きである。
だがその熱に浮かされているとも言うべきルーイン神父の恍惚とした言動に、アズサは引っかかりを覚える。
その瞬間、閃光のように彼女の脳裏に閃くものがあった。
「思い出した! 神父ルーイン、いえ、狂神父ルーイン!!」
――ウェルゲン・ルーイン。
それは法王直下の祓魔師の組織、十字軍の部隊長に名を連ねた一人。
それ即ち。
「西側、いえ世界でもトップクラスの退魔術士じゃないの! どうしてこんな、こんな極東にいるのよ!」
クルセイド。それは紋章騎士に勝るとも劣らない世界最強組織の一つ。
神の力を以って魔を滅ぼす光輝の聖職者達。
彼らは神罰の執行者。浄化の聖光に身を包み、あらゆる神敵を退ける。
その部隊長ともなれば実力は世界でも指折りであり、仮にアズサの所属するルーンナイトであっても上位に並ぶ。無論、新入りのアズサなど到底及びもつかない実力者だ。
アズサは目の前で繰り広げられる光景を前に、それが真実であると頷かざるを得なかった。
見れば、ルーイン神父は空に浮かんでいた。その背に聖なる光で輝く天使の幻影がある。
それは火の車輪を持つ天使ウリエル。
大天使降臨術を扱える数少ない聖職者、それがルーイン神父だった。
「けど、確かルーイン神父は破門されて、その後消息不明だって……」
ルーイン神父は確かに強かった。神の奇跡をその身で体現し、次々と魔を討ち払っていった。
だが、彼の魔に対する姿勢は余りにも苛烈すぎた。
神の僕として神敵たる魔物の存在を何よりも許せず、討伐を優先しすぎるあまりに味方をも巻き込む事がしばしばあった。そのため破門され、その後何処へと去っていったという。
その神父が、アズサの目の前にいた。
「……あ」
縦横無尽に閃く剣戟の隙間から両面宿儺がもう二本の腕から矢を放つ。それは素早く地上と空中を駆けずり回るルーイン神父を捉えた。矢は鬼神が扱うに相応しい一本が20mにもなる巨大な物だった。
だが咄嗟にルーイン神父はウリエルの力で厚い大地の壁を生み出し、盾とする。
斜めにした壁と矢がぶつかった瞬間、凄まじい余波の衝撃が周囲にバラまかれた。
衝撃は音と突風を撒き散らし、アズサ達に襲い掛かる。
「くっ!」
近くにあった大人の身長ほどもある岩が突風によって空へと持ち上げられ、遥か後方へと軽々吹き飛ばされた。
「なんて……とんでもない戦い!」
もはやルーイン神父と鬼神・両面宿儺の戦いに割り入ることなどアズサにはできなかった。
逸れた矢はそのまま後方へと流れていき、大地に突き刺さった途端に大爆発が起きた。まるで噴火のように土砂が天高く吹き上がる。それはまるでミサイルが着弾したかのようだった。
山が揺れる中、それを見たアズサはゾっとする。
「これが……2A級の力……ただの一矢、それもガードされて勢いを削られた上であの威力……」
そこでアズサは勢いよく顔を上に上げた。その視線の先にはまた両面宿儺からの新たな流れ矢が空気を裂きながら高速で飛翔してきていた。
直撃する、そう瞬間に判断したアズサが後ろの総一達を突き飛ばした上で矢から逃れようとした時だった。
突然黒い人影が瞬間移動をするように矢とアズサの間に割り込み、矢の横腹をグーで殴りつけた。
凄まじい威力を秘めた矢はそれで進路を大きくズラされ、明後日の方向へと飛んでいく。
アズサを救った黒い人影は何事もなくアズサの目の前に着地し、錫杖を鳴らして言った。
「まったくアヤツは敵を見ればいつもああして周りも見ずに吶喊するんじゃからのぅ。困ったやつじゃ。そう思わんか、お嬢さん」
「う、え、あ?」
黒い人影は袈裟姿の老破戒僧高野だった。
にこやかな笑みはそのままで、この状況であっても何ら緊張感もなく語りかけていた。
「ではワシもやるとしようかの。かような仏敵を目の前にして、ここで手をこまねいておくわけにはいかんしのぅ。ほっほっほ」
高野がそう言った瞬間だった。
アズサの目の前で高野の聖気が爆発した。
「――いッ!?」
間近で浴びた高野の聖気、その圧力にアズサは思わず後退る。まるですぐ隣に島をも呑みこむ大渦があるようだった。
更に高野は己の力を解放する。
「剛力招来ッ!」
高野の老いた肉体が一瞬で膨れ上がり、盛り上がった筋肉によって袈裟の上半身部分が弾けとんだ。下半身は袈裟の下にズボンを履いており、それは丈夫に作られているのか無事である。
千切れとんだ服の下からは力強い筋肉の鎧に覆われた体が風雨に晒されていた。
しかも、身長は3mに伸びており、今ではアズサを見下ろすほどの巨体と化している。
――高野重蔵。
彼は日本の仏教における退魔術士の一派『明光清宗』に属していた最強の僧侶であった。
だが若い頃には酒と女と戦いに明け暮れ、しかも妖怪には一切容赦も呵責もないその戦いぶりに過激すぎるとして何度も諌められていたが、最後には破門されてしまっていた。
以後は破戒僧としてこうして妖怪退治をしながら日々流れるように暮らしていたのだ。
更に高野は己が最大の手札を切る。
「オン・ヂリタラ・シュタラ・ララハラバタナウ・ソワカッ!」
アズサは見た。数珠を握り真言を唱えた高野に何か、鎧を身に付けて刀を持った恐ろしい神が宿った瞬間を。
それは持国天。御仏の住む世界の中心に聳える須弥山、その東方を守護する四天王の一尊。
仏敵を切り払う偉大なる守護神。
その加護を得た高野が錫杖を山に振り下ろす。それだけで山が揺れ、大地が割れた。
「ほれ、マサ坊も行くのじゃろう」
「当然でゴザル」
「え?」
次に一歩、アズサを追い越すように前に出てきたのは腹の出た武者姿の男性、南宗正だった。
「さぁて、一番槍は取られてしまったでゴザルが、ぼくちんも行くでゴザルか」
ここで初めて南が鞘から太刀を抜き放つ。
抜かれた太刀からはまるで処女雪のような静かで美しい清廉な気配が漂っていた。手を伸ばしただけで斬られる、そんな凄みがあった。
間違いなく名刀や聖剣に属するものだとアズサは瞬時に見て取った。
或いは妖刀でもおかしくないと思えるほどに、その太刀は余りにも美しい刃だった。
「うひ。うひひっ」
鬼神を前に、南の顔はだらしなく歪んでいた。
アズサの南に対する初対面のイメージは正解だった。
「これは実にいい獲物でゴザルなぁ。生まれたばかりで本調子ではないようでゴザルが、両面宿儺の固体名なんてシオリちゃんの戦歴に加えるのにこれ以上ないくらいふさわしい相手でゴザルよ」
今、南は満面の喜色で溢れていた。
アズサは彼を初めて見た時に「犯罪者臭がする」と評したが、それは真実正しかった。
なぜなら彼の武者は太刀を愛で、人や物、妖怪、なんであれとにかく『斬る』のが好きで好きでたまらない切り裂き魔さんだったのだから。
南の全身から闘気が溢れ出す。それは天にも届かんとばかりに大きく迸る。
それはルーイン神父よりも、老破戒僧高野よりも強大で、より圧巻だった。
まるで神獣を前にしているような錯覚を覚えるほど、南の闘気はケタ違いだった。
「ちょっと……これ、ルーンナイトの団長クラスじゃない……」
雨の中、南が駆け出す。
それはアズサの目をしても追い切れぬスピードだった。
「――あ……あ?」
気がついた時には既に鬼神に接近し、鬼神の巨体と比べて余りにもちっぽけな太刀を振るっている。
だがそんなちっぽけな太刀が空を斬る度に、受け止める両面宿儺の巨体には雷のような衝撃が走る。両面宿儺はルーイン神父を相手取りながらも、四本ある腕の二本の剣をもって彼の太刀を全力で防いでいた。その顔にはルーイン神父を相手にしていた時にすら見られなかった、ハッキリとした脅威の表情があった。
――南宗正。
それは偽名だ。本名は北条正宗。日本の武士組織である『一心士団』の最強のエースオブエース。
それが彼だった。
そしてアズサが「隙だらけ」と評したのは、単純にアズサ達に打ち込まれても反応し返す事ができる自信の表れだった。
ただ高野曰く「協調性がなく、独断で動く事が多くてのぅ。強い事には強いのじゃが、チームワークがとれないため、実力があっても団長といった座に据えるわけにもいかんのじゃよ。そして見ての通り、重度の刀剣マニアでマンガオタクでの、組織の『顔』にするには問題しかないのであまり表に出せないのじゃよ」との事だった。
当の南宗正、改め北条正宗は実に楽しそうに鬼神を相手に立ち回っていた。
だがそんな二人を相手にしても鬼神・両面宿儺は易々と倒れる気配はない。
その剣捌き、破壊力、立ち回りは鬼神の名に相応しくどれをとっても見事。ルーイン神父の攻撃は両面宿儺に致命打を与えるにはほど遠く、また現状唯一打倒し得るだけの力を持つ北条正宗は厳しく警戒され中々己の間合いに潜り込ませてもらえない。
両面宿儺と二人の攻防は一秒経つごとに、S岳の地形を変えていく。人類の中でもトップレベルの二人を相手に、両面宿儺は未だまともなダメージを負う事がない。
巨人とその周りを飛びまわるハエとハチ。そんな構図が思い浮かべられる。
戦況としては極めて不利と言わざるを得ない。
それでもその戦いへ加わるべく、更に一つの小さな影が現れる。
「おお。少年も行くのかの?」
「うん」
アズサの後ろから幼い声がした。
今までずっと貴博の影に隠れていた総一が初めて前へと進み出る。濡れた服をその小さい体に張り付け、重そうにしながら。
アズサの前に立つ総一は胸を張り、堂々と鬼神に視線を向けていた。その威容に目を背ける事無く。強く、強く、真っ直ぐに。
「え?」
そんな総一の前に貴博が進み出て、神妙な顔で片膝をつき頭を垂れる。
「総一様……彼の敵は鬼神、恐るべき力を持つ世界有数の怪物です。『我ら』とて一対一では力及ばず敗れるでしょう。それでもなお、挑まれるのですか」
「うん」
総一は迷いも躊躇いもなくまっすぐ頷いた。
「なれば、どうやら私がお力になれるのはここまでのようです。私では力量不足ゆえ、ここから先は別の者を使役して下さい」
「うん」
そんな二人のやり取りが、アズサにはよく分からなかった。
「何を……言ってるの?」
怪訝そうな顔をするアズサに構う事無く、主従の会話は進む。
「アズサさんはこの中で最も信頼できるでしょう。私が消えた後はどうか彼女を頼るようにしてください」
「うん。分かった」
「アズサさん、いえアズサ様。どうか勝手なお願いとなりますが、総一様の御身をお願い致します。もし頼まれていただけるのであれば、この一件が終われば謝礼は厚く致しますゆえに」
「ちょ、ちょっとあなた達、何を勝手に――」
目の前に従者がいるというのに、いきなり総一の事を頼まれたアズサはどういう意図なのかを貴博に問い詰めようとするが、それよりも先に貴博達の行動が早かった。
「時間がありません。では、総一様。どうかご武運を」
「うん。ここまでありがとう――『大裳』」
そして貴博、いや大裳と呼ばれた青年は全身が闇色に塗り替えられ、人間の形を失い、水が落下するかのように大地にぶちまけられて消えた。
「え?」
「ほう! 並々ならぬ力からさぞや高名な式神と思っておったが、まさか大裳じゃったか! よもや十二神将とは恐れ入ったわい!」
――大裳。
その名は鬼神たる十二神将が一体に与えられた固体名。司るは内政、文官としての能力を持つ。
十二神将の中では戦闘向きではなく弱い方とはいえ、それでもその力はA級だ。彼は力だけなら単独で都市を壊滅し得るだけの脅威を誇っている。
それが『賀茂貴博』という人間の名前を与えられた式神の正体だった。
「では、ワシは先に行っておるぞ」
高野もまた両面宿儺との戦列に加わるべく、相対的に小さくなった錫杖を握り締めて走り去っていった。
後に残るのはアズサと総一だけ。
「え? え?」
もはや同じ言葉しかできないアズサの目の前で総一は手の平の中から式盤を取り出し、高らかに呪を唱える。
式盤から澄んだ高音が鳴り響く。北斗七星を中心に据え、八卦を描いた円盤が高速回転を始める。
総一の元から陽の気が爆発的に膨れ上がり、式盤を経て目の前の虚空の一点へと凄まじい勢いで注がれ続ける。
「う……そ。こんな……子供、が」
その立ち昇る魔力に、その圧迫感にアズサは思わず息を止めた。
それはルーイン神父や老破戒僧高野に匹敵する強さだった。
総一はアズサに構わず式盤に集中する。
「七星発輝。我北斗の導きに従わん。
天に輝く天帝よ我が願いを聞き届けたまえ。
我招来せしは凶将。主亡くした家に盗賊を呼ぶ災い也。
干支は第四十九壬子。陽気と水気共に重なりし五行の水神。
二十八宿は北方七宿。斗、牛、女、虚、危、室、壁。
我欲するは冬神。今ここに我が呼び声に応えよ。
急急如律令」
式盤の北斗七星が妖しく輝く。
やがて総一から発せられる陽の気は一つの形を取り始める。
それは急激に膨れ上がり、丸みを帯びていく。
最後に総一は親愛を以ってそれに語りかけた。
――おいで。
「…………なに……これ」
アズサはついに呆然と剣を取り落とし、膝を地につけた。
☆☆☆☆☆☆
作戦本部は熱気に包まれていた。
防衛庁最強の『五芒桜花』が来てくれさえすれば。その一念を頼りにして踏ん張り、関係各所と連絡をとり続け、状況を説明し、指示を出し続ける。
山の麓に展開している第三陣の奮戦もあって、山を下りようとする妖怪達は今の所食い止められていた。
「よし、いける……皆、もう少しの辛抱だ。頑張ってくれ」
「はい!」
オペレーターの明るい返事。
だが、それも長くは持たなかった。
「ん……今何か、山で動きが?」
本部に詰める一人の退魔術士が何かを感じ取ったのか、眉を顰める。
その時だった。山頂から未だかつてないほど身の毛のよだつ、絶望的な鬼気が津波のように押し寄せてきたのは。
「な、なんだ……今の」
「ちょ、待って……何かでかいのが……」
「なんだ、これ。B級……いやまさかA級?」
「違う……違うぞ。これ、A級を超えてる……!」
さざ波のように、S岳の異変が伝わっていく。
「2A級! 水前寺一尉! 2A級或いは3A級の……妖怪反応が……でま、した……」
「なんだと……!?」
血相を変えた指揮官の水前寺一尉が報告してきた退魔術士に近づき、その肩を荒々しく掴む。
「それは本当か。間違いないのか!?」
「は、はい……こんな……こんな大きい反応は、初めてです……」
「じ、自分も捉えました。S岳に、何か強大な反応が今、現れました……」
重苦しい空気の中、慌てて天幕に駆け込んでくる影があった。
「報告! 水前寺一尉! そ、外に! 山頂に推定全長30m以上の妖怪が現れました!」
「案内しろ!」
「こ、こちらです!」
天幕を出た水前寺一尉らは見た。
その山頂に鎮座する二面四手の武者を。恐るべき鬼神を。
それは麓からでも分かるほど、あまりにも大きかった。
「あれは……なんだ」
「も、もしかして……あれは……両面宿儺?」
青い顔で鬼神を見上げる一人の退魔術士が呟く。
拳を固く握り締めながら、水前寺一尉は苦渋の表情で声をかけた。
「確かに2A級の反応なんだな……」
「は、はい。少なくともA級を超えている事は間違いありません」
「そうか……」
水前寺一尉は踵を返し、天幕に向かって言った。
「――上に『白菊』の出動要請をしろ! 最低でも半分を出さねば、この一帯は終わりだとな! それと空対地ミサイルが必要だと添えておけ。要請が通ってくれればいいが」
「……し、『白菊』を……!?」
「急げ!!」
「は、はい!」
日本最強戦力の要請。その事態の重さにオペレーターが動揺するが、すぐに連絡を取り始めた。
「報告!」
「なんだ」
焦りを押し殺してオペレーターに顔を向けた瞬間、作戦本部の天幕を不可視の突風が襲った。
「更に高エネルギー反応がでました! これは……B級を超えてます。A級反応です! あ、一つじゃない、二つ。二つです!」
「何っ……!」
慌てて水前寺一尉が山頂を見上げると、そこには鬼神に放たれる白い輝きの線があった。
鬼神はその白い線を受けながら、何やら剣と弓を振り回して暴れまわっている。
「なんだ……誰か、いるのか?」
「待って、もう一つ増えた…………なに、これ。直前の二つより更に大きい……! 2A級に迫ってる……!?」
「くそったれ! あそこで何が起こっているんだ!!」
遂に堪えきれなくなった水前寺一尉の怒声が天幕に響き渡る。
「ま、また反応あり! B級を……超えている。これはA級反応! A級反応がもう一つ増えて……!」
その時、S岳から地響きがした。
山が揺れ、その振動は麓のここ作戦本部まで伝わる。
「あ……あ……一尉! さ、山頂に! 山頂に!」
「今度は何だ!」
彼らは見た。山頂に新たに現れたものを。
30m近い体躯を誇る巨大な姿を。蛇の尾を持ち、長い四肢で山に降り立った黒い大亀の怪物の姿を。
「バカな……なんだあれ、は」
「化け……物」
その名は――後三玄武。
中国における北方の神であり、数多の甲殻虫類の長。偉大なる神獣。
守りに優れる事から『武』の名を与えられ、北方の守護神という事で『玄』を戴いた。
五行思想により、黒は水を表す。即ち、玄武は水神の霊格を持つ。
十二神将が一体、四神の玄武。
――オオオオオオオオオオ――オオオオォォォォォ――
力強く猛々しい雄叫びがS岳に木霊する。
玄武の瞳は眼前で暴れている己の倍近い巨大な『敵』を見据え、獰猛な唸り声をあげながらその巨体で一歩を踏み出し戦闘行動を開始した。
怪獣大決戦はっじまっるよー。
急いで要求水準下げて人を集めていたら、変態3人(過激派マッチョ僧侶、過激派バーサーカー神父、斬るのが大好きな武士)がなんか紛れ込んでいたでござるの巻。
アズサは何も悪くない。ただ彼女以外の他の連中がそれ以上に変態すぎただけだったのです。
まあアズサもこのまま引き立て役で終わる事はありません。
玄武は亀の甲羅に蛇が巻き付いている姿が主流のようですが、本作では蛇の尾にしてます。
あと十二神将はちょいちょいオリジナル設定加えてます。勾陳と騰蛇は見た目が似てるので、勾陳をオオカミの姿にしてたりとか。




