離婚を後悔している、ですか。……どこまでも進歩のない人ですね。
「あーあ……結婚なんてしなきゃよかったな」
ノルベルトは吐き捨てるようにそう言った。それを聞いてローザリンデはとてもがっかりした気持ちになった。
心の中にぽっかりと穴が開いたような、もう呆れて言葉も出ないような、無気力になってしまいそうな気持ちだ。
虚無感とでも言うのだろうか。
「そうは言っても。義母のお祝いの時も私がすべて手配しましたし」
「……」
「あなたの同僚との宴会の時も、結局、話し合いができずに私が準備から片付けまですべてを行った」
「……」
「今回のことだって、あなたが放置していてまた私がすべてやるというのは不公平です。だからこそ二人で協力して期限を決め話し合いを――」
それでも言葉は出て行って、言わなければならないことはきちんと言っていた。
ローザリンデはそのぐらいしっかりとした性格をしていて、職業病のようなものでもあった。
「はぁ~!」
しかし、ローザリンデの主張は大きなため息でさえぎられる。
ノルベルトはソファーの肘掛けにほお杖を突いて睨むようにローザリンデを見つめた。
「婚約者だった時は可愛かったし、実際にマメでなんでも俺のお願い事は聞いてくれただろ」
「それとこれとは」
「違わない。俺はそう思ってた!」
ノルベルトは結婚前の期間を話題に出して、自分の正当性を主張しようとする。
しかし、共に住んでいない家計を共にしていない状態での願い事などたかが知れているし、やってあげることもさほど苦もなかった。
比べて今は、二人とも仕事をしているというのに家庭内でのやるべきことの比重が大きく偏っている。
「それに、侍女職の女と結婚すれば、もっと丁寧に扱ってくれて敬ってくれると思うだろ? 誰だって!」
ローザリンデは、王宮勤めの侍女であり、ノルベルトは事務官だ。
同じ職種ではないからこその幻想などもあったのだろう。それは否定するつもりはない。
しかし、同じだけ仕事をしていて、お互いに大人で平等であるべきという考え方は現実として大切にするべきだ。
「だとしても、私だけが家庭内での仕事の多くをこなすというのは、不公平と思いますし、それだけではなく不安定だとも思います」
ローザリンデは仕事ができる方だ。だから別に本当は比重が偏っていても、苦労して寝る間も惜しんで頑張っているというわけではない。
しかし、家庭というものや家同士の付き合いというもの、そういうものはまだ初心者であり、間違えることもある。
時には失敗もするだろう。
そうなったときに一番に困るのも、ノルベルトであり、またそれにいち早く気が付けるのもノルベルトだ。
だからこそすぐに完璧でなくたっていい、お互いに話し合いの時間を持って確認しながら作業を進めて、ここぞというイベントの時に失敗しないようにしたい。
それが、一番安定的であり、もし子供ができた時に子供にも親にも恥をかかせないための安全策であると思うのだ。
「だからこそ、家庭というのは二人で――」
「あーあ!」
それをノルベルトにわかるように説明をしようとローザリンデは少し前のめりになって表情を和らげて口を開いた。
しかしすぐにその内容が自分にとって都合のいい許しの言葉ではないと察したノルベルトは、落胆したような大きな声を出してさえぎった。
そうすれば、黙れと言わずとも黙ってほしいと思っていると察してくれると思っているし、ローザリンデは実際に黙るから。
「……ハァ~……こんなことなら」
「……」
「こんなことなら、結婚なんてしなければよかった。別にまだ急ぐ歳じゃなかったのに、なんか騙されたみたいな気分だ」
「私はそうは思っていませんし……そんなに追い詰めたつもりでは……」
「後悔してる。やめとけばよかった。そうすればもう少し遊んでいられたのに。こんなふうに、嫁に家のことをやってくれないなんてちくちくと言われることもなかったのに」
「ですから、怒っているわけではないんです」
「やめとけばよかったな。こんなことを仕事から帰ってきて疲れているときに言われてたら後悔もするよな。嫁が可愛く見えないのだって当たり前だってやっとわかった」
「嫌味な言葉遣いをしていたというのなら謝ります」
「わかってないなぁ……もうあの頃の可愛いお前に見えないし。本当に俺が馬鹿だった……あーあ、人生つまらないな」
なにを言ってもノルベルトは落ち込んで、やめとけばよかった、結婚なんてと言うばかりで話は前に進まない。
それでも、ローザリンデは、一人の人間が家庭を抱え込むリスクを今後一生背負うことはできない。
そんなふうに言われたとしても、変えるつもりはない。
けれどもいくら言葉を紡いでも、ノルベルトは『こんなことなら結婚なんてしなければよかった』と口にするばかりだ。
それが言外にこれ以上その話題を続けたら、離婚だと主張していることもわかっていた。
しかし問題を見て見ぬふりをしていてはいつか露呈して、誰かが傷つくことになる。
それは自分かも知れないが自分以外の誰かかもしれない。
そのリスクをローザリンデは許容できない。
「それでも、結婚したのだからあなたは、自分の家庭の仕事ぐらいは向き合うべきです」
だからこそ意を決して口にした。
ノルベルトはローザリンデの言葉に、ぐっと眉間にしわをよせて、それから馬鹿にするように笑った。
「……ハッ、ならいい。離婚しよう、それがいい。それが二人のためだし、丁度後悔してたところなんだ。俺はもっと楽しい時間を過ごせるはずだった、今からでも遅くないだろうしな!」
ノルベルトの表情は勝ち誇っていて、彼は離婚されれば女性の方が次の結婚に酷く影響することをわかっていてその台詞を言っているのだと思う。
けれどもローザリンデだってわかっている。
きっと結婚はもうできないかもしれない。
しかし、すでに心は彼に無い。
勝手に理想を作られて、勝手に後悔されて、話し合いは何処までも延長戦で向き合ってくれる気がない。
そんなノルベルトとともに過ごすぐらいならば一人の方がましである。
ローザリンデは離婚したので、当面子供を産む可能性がなくなった。
と言うことで、来ていた昇進の話を受けることにした。
それは王太女殿下の専属にならないかという誘いであり、承諾すると早速、侍女頭から話があり、正式に召し上げられることになった。
はじめは緊張したが王太女殿下の侍女たちはとても気さくな人が多くすぐになじむことができた。
王太女殿下はクラウディアと言ってとても美しい方であり年頃もローザリンデに近かった。
それが理由かはわからないがクラウディアはローザリンデに様々な話題を振ってきた。
とある日の事、執務に就いているクラウディアのそばに控えていると、ふと彼女は顔をあげて伸びをした。
それからローザリンデの方へと視線をやって首を傾げた。
「……ねぇ、ローザリンデ」
「はい、なんでしょうか」
「あなたってどうして離婚したのかしら」
不思議そうにクラウディアは問いかけてきた。
「だってここしばらく仕えてもらってわかったけれど、あなたって仕事ができる性格もいい女の子ですわ。それがどうして結婚一年目で離婚するようなことになったんですの」
クラウディアの直球な言葉に、ローザリンデは瞳をパチパチと瞬いてそれからくすりと笑って返した。
「ふふっ、ありがとうございます。クラウディア様。……なんと言ったらいいのでしょうね」
「なにか劇的な事件でもあったのかしら?」
どう言おうかと迷っていると、クラウディアは探偵のように鋭い瞳をしてローザリンデに問いかけた。
その様子にまた少し笑ってローザリンデは返した。
「いいえ……むしろ何気ないことの連続だったのかもしれません。ある日彼は、結婚なんてしなければよかったと言って後悔しているようでした」
「なにをですの」
「なにというか、私の態度が嫌だったのではないでしょうか。あれこれと口を出されて、私が従者のように彼に尽くさないことが不服だったようです。付き合っているときの方がよかったのですって、それでそのまま……」
「……」
「たいしたことでは無かったのです」
ローザリンデは再度そう言って、だから面白味も何もないのだと苦笑した。
しかしクラウディアは、笑っていなかった。彼女はとても不服そうな顔をしていた。
「……ふぅん。勝手な男、不運ですわ」
「不運、ですか」
「ええ、そうよ。いるのよね、そういう人。自分のことしか考えていないのね。自分の選択なのだから……選択肢を見直すことも大切だけれどそれと同じぐらい向き合うことだって大切だわ」
クラウディアはなにか自分の経験に重ねて、ノルベルトの言葉に言い返している様子だった。
そしてローザリンデはその言葉に深く同意したくなった。
ノルベルトは間違いなく後悔という言葉を履き違えているし、あのままではきっといつかにっちもさっちもいかなくなるだろう。
離婚してすぐは虚無感と悲しみがあったが、彼の言動を思い出してみると悲しい気持ちすらすぐにたち消えた。
ローザリンデは、そうして案外すぐに消化してしまったので、未練などは特にない。あのとき折れなかった自分を偉いとすら思っている。
「それで、傷がつくのはローザリンデの経歴なのだから腹立たしいわ。まったくっ、わたくしがお父さまに一言言ってあげましょうか?」
「……いいえ、大丈夫です。クラウディア様」
「そんなことでは舐められてしまいますわよっ!」
クラウディアはそう言ってくれたが、そんなことをするまでもない人だろう。
あのままでいるならノルベルトは成功などしようもないのだから。そう思っているからローザリンデはクラウディアの質問にこう答えた。
しかし彼女は、なにか別の意味にとったらしくクワッと怒ってぷりぷりしたまま仕事に戻ったのだった。
ノルベルトとは両親の紹介で婚約することになった相手だ。
当時はよくわかっていなかったが彼は幼いころから頭がよくて、将来実家の伯爵家の分家として低位の爵位取得を目標としていた。
だからこそローザリンデもノルベルトの仕事の付き合いには十分に気を使ったし実際、結婚する前までは順調に進んでいた気がした。
それに陰りが見え始めたのは結婚する直前頃、仕事での愚痴が増えて『低能のくせに』『努力なんてばかばかしい』と目上の人も同僚も馬鹿にするようになっていったのだった。
そんな調子でもなんとか仕事を続けていた元夫と実家のパーティーでふいに顔を合わせた。
ローザリンデの父が主催のパーティーだったのである程度、自由にしていた時のことである。
ノルベルトの隣には、ずいぶんと年若い少女がいて、彼の腕にしがみついていた。
「……おめでとうございます。ノルベルト」
ローザリンデは、驚きはしたものの、もう離婚しているのだから咎める必要もなく、すんなりと新しい相手ができたことを祝った。
ノルベルトも突然のことに驚いている様子だったが、一瞬の間を置いてから彼は勝ち誇ったような表情をした。
「ああ、ローザリンデ。ありがとう。お前の方はどうだ? 新しい相手は」
「……今のところ、しばらくなさそうです」
今隣に誰もいない時点でローザリンデに新しい恋人などないとわかっていつつもノルベルトはそう聞いてきて、隣にいた女性の肩を抱いて寄せる。
「そうか……でも俺は離婚して良かったと思ってる。やっぱり人生こうでなくちゃな、なんなら誰か紹介してやろうか?」
(勝ったとでも思っていそうな顔ですね)
上から目線で提案するノルベルトの言葉にローザリンデはその心中を察した。
しかし、すでにローザリンデはノルベルトが気にするであろう手札を手に入れている。
本来ならば、こんなことを言うつもりはなかったが、ありがたく使わせてもらうことにした。
「いいえ、結構です。今はとても仕事が充実しているから。クラウディア王太女殿下にも気に入っていただいています。こうして王族に尽くす生き方も仕える貴族としての醍醐味ですから」
ローザリンデはクラウディアの専属侍女の仲間入りをしたのだ。
王族の専属というのはそれだけで一目置かれる存在だ。更に王太女となると将来は王女となって国で最高位の人間となる。
そんな人を密に支える関係を持つのだ。誰とも知れない貴族との結婚などよりよほど優先されるべきというのは一般的な考えだ。
離婚してすぐに昇進したことによって、社交界ではローザリンデが出世のために離婚を切り出したのではと言われているぐらいである。
そして今のノルベルトにはよほど利く返しだろう。
現に彼はとたんに真顔になって、それでも何とか取り繕おうと微妙な表情になっていた。
「あなたは、どうですか。ノルベルト、仕事の方は」
そしてわかっていてローザリンデはノルベルトに問いかけた。
「今は! 父が俺に合った仕事を見繕ってくれている、勘違いしてもらっては困るが、俺は、俺の意志でやめたんだ」
「そうだったんですか」
「そうだ! あんな低能どもの集まりに憧れを抱いていた俺が馬鹿だったんだ。俺のいるべき場所はあんな不当な評価をする場所じゃない。元々後悔してたんだ」
「……そうだと思いますよ」
「そうだろう。だから考え直して見切りをつけたんだ。今に見てろ、俺は――」
ノルベルトはそうして自分の隣にいる女性の紹介も忘れて言い訳を続けた。
後悔していたからやめた、自分から見切りをつけた。
不当な評価をつけるからやめた。
必死になってノルベルトは言い募る。誰も彼を否定などしていないのに。
それに実際にそうなのだろう。ローザリンデと別れた時のように、仕事に対してもあれだけ愚痴を言っていたのだから。
もちろんわかっているが、ローザリンデの返答があまりに彼のプライドを滅茶苦茶にしたばかりにこんなふうになっているらしかった。
パーティーであってから三ヶ月ほどたった頃だっただろうか、ノルベルトから手紙が届いた。
ローザリンデの近況を窺う体を取っていたが、少しだけ愚痴っぽく以前隣にいた女性、アンネリースとのなれそめが書いてあった。
ぼかしていたが、離婚してからすぐに出会いがあり、急速に仲を深めて二人の間には既に命を授かっているのだとか。
しかし、王宮での事務官の仕事を辞めた直後だったこともあり、両家の関係はあまり良好とは言えないらしく今でも、細かな文句などを言われているのだそう。
それに比べてローザリンデはうまく調整してくれていたから不和が起きなかった。
アンネリースもなんだか不安定で、まだ若いくせに生意気なことや男関係が怪しいことなど愚痴は多岐にわたった。
返信はあまりノルベルトに寄り添い過ぎる内容にならないように気を付けて、ローザリンデは忙しい日々の中、仕事を中心に充実した日々を送っていた。
「ローザリンデはまだ、結婚をするつもりはあるかしら」
ふと、本を読んでいたクラウディアが顔をあげて、紅茶のおかわりを注いでいたローザリンデに問いかけた。
クラウディアのその問いはとても唐突なものではあったが、思い立って会話がしたくなって聞いたというよりも、彼女の性格的に必要な確認である可能性が大きかった。
ローザリンデはきちんと紅茶を注いで、ポットの保温の魔法具がきちんと作動していることを確認してから、言葉を選んで返した。
「……結婚が嫌というわけではありませんが……一度、離婚していますから簡単には踏み切るつもりはありません」
「……そう」
「はい」
それだけ言うとクラウディアはまた本へと視線を戻してページをめくる。
ローザリンデの答えになにを言うわけでもなかったので、自分の推察が間違っていたのかと思い直して、静かにすましてそこに佇んでいた。
数分だったか数十分だったかはあいまいだけれど、またしばらくして、今度は紅茶を飲んだのちにクラウディアは言った。
「強制ではないけれど相性が合うなら、お互い仕事的な面でも家柄的な面でもちょうど良い候補がいますわ。父の専属事務官のユリウスという男性よ」
「ユリウス様……ですか」
「そう。一度会ってみてくださる」
本に視線を戻しながらクラウディアはそう言った。
クラウディアが言うのならきっといい人なのだろうと思いつつも、やはり少し不安が拭えない。
しかし、彼女も強制ではないと言ってくれている。
まずは行動を起こしてみることが大切なような気もして「承知いたしました、お気遣い感謝いたします」と返したのだった。
ユリウスの屋敷へと向かって応接室へと通されると、それだけでとてもきっちりとした人だとわかった。
王族専属の侍女として勤めていると、物の配置や年代によってどれほど丁寧に仕事をする侍女のいる家なのかわかるようになるが、彼の屋敷は見事なものだった。
丁寧な仕事をするということは余裕がないとできないことだ。
そして余裕がありつつも、使用人たちが余って暇を持て余しているといった様子は見受けられず、ぴしりとした制服を着た侍女たちがなれた手つきでお茶を淹れてお菓子を出す。
お礼を言って、改めてユリウスの方へと視線を向けた。
ユリウスはローザリンデよりも五つ以上は年上でそれでも専属事務官の中では若い方だ。
優秀と言っていい。
けれども、野心を心に秘めぐいぐいと行くタイプかと言われたらそうでもなさそうな優しげな人だった。
緊張しているらしく手をしきりに組み替えて、小さく笑みを浮かべていた。
「今日は、来てくれてありがとう。ローザリンデさん。話を受けてくれたことにまずはお礼を言いたい」
「いいえ、こちらこそ。お招き嬉しいです、ユリウス様。クラウディア王太女殿下の専属侍女たちからも、若く優秀な方であると噂は聞いています」
「そんな。買いかぶりすぎだよ。ただ運がよかっただけだから」
「ご謙遜なさらずに」
ローザリンデは、ユリウスの会話に乗って、当たり障りのないことを話し始めた。
会う回数も決められてはいないし、急ぎだとも言われていない。
なので性急に踏み込む必要もなかった。それに加えて、ローザリンデはあまり乗り気ではなかった。
「じゃあ、ありがたく受け取っておくよ。ただむしろローザリンデさんの噂も聞いているよ。仕事をすぐに覚えて戦力になってくれて助かっているって」
「そんなふうに言われていたとは知りませんでした。嬉しい限りですが、まだまだ先輩侍女たちの仕事ぶりに圧倒される毎日です」
「それを言ったら私も、大先輩ばかりの職場だからね。多分三十代になっても若造扱いされていると思う」
ユリウスは苦笑しつつもそう言った。
その様子に、事務官はそうだろうという気持ちと、それならユリウスはきっと後輩がやってきたら大喜びするのだろうかとふと想像する。
「きっとそのころには、後輩もできているのではありませんか?」
「それが……どうだろうね。騎士団とか、侍女さんとか憧れる人が多い職業は若い人が多いんだけど、事務官となると地味だから……。実際、毎日書類とたたかって目をしょぼしょぼさせるのは格好良くはない」
「そうでしょうか。私からすると陰で王国の根幹を支えているという、イメージでしたから格好いいと思っています」
「え? そうかな、そうなんだ。そう思ってくれる人もいると思うと嬉しいな。私もそんなふうに思っていた時期があったし。だから今も何とかやってこれていて」
何気ない言葉でも、なんだか自然と話が広がっていく。
ユリウスが案外、簡単に喜んだり楽しげに話すのでローザリンデもついつい、話に夢中になってしまう。
「やっぱり、格好良く見えないよなとか、失敗をするともっと落ち込むし、でも結局、憧れていた部分があったからくらいついていけてるんだと思う」
「そうですね。……私もです。私も常に寄り添って、多くのことに気を回ししゃんとしていて隙の無い、格好いい侍女にあこがれて……」
「うんうん、侍女さんも仕事人という感じがして格好いいよね」
「そうなんです」
手をきゅっと握ってローザリンデは表情をほころばせて肯定した。
そして話しながら、クラウディアはやはりとても見る目があると思った。
(合う、と思います。……ユリウス様と、合うと思います)
話をしながらそう思う。
けれども、喉まで出かかっても結婚の話について、そしてローザリンデが離婚したことについては口にできない。
ユリウスも聞きたいだろうと思う。
人から聞いていたとしてもローザリンデの言葉で聞きたいだろうと思う。
わかっているのに、喉に引っかかって出てこない。
なんせ、ノルベルトもそうだと思っていた。自分たちは合うのだと思っていた。けれども離婚してしまった。
それがなぜなのかわからない、その違いが分からない。でもユリウスはとてもいい人で素敵な人だ、手を伸ばしたいと思った。
ユリウスとはなんとも言えない関係が続いていた。
ユリウスの方もローザリンデを気に入ってくれているとは思うしローザリンデもユリウスのことを気に入っている。
しかし、どうにも話が前に進まない。
お互いに仕事も忙しく、手紙をやり取りしたり、時間を作っては会うものの急いでいないということが逆にあだとなり決定打がなかった。
ないまま、時間がたって、昨年ノルベルトと遭遇した実家のパーティーへと赴いた。
それには微かな期待が宿っていた。
ノルベルトと会えば何か決定的な違いが見つけられるかもしれない、ユリウスとの関係の新しい形が見つかるかもしれない。
そんな願望も混じった期待だったが、ノルベルトは想像以上に変わっていた。
「……ローザリンデ」
ふとノルベルトから声をかけられて振り返ると、まずは顔色が悪くて驚いた。そして頬がこけていて変な痩せ方をしている。
健康的とは言えない生活を送っているとすぐに察することができた。
「少し話をしたいんだが」
「……ええ、構わないけれど」
そうして二人は空いているソファーの席に向かい合って座って、ローザリンデはグラスを置いてノルベルトを見つけた。
精神的に余裕がないのか小さく貧乏ゆすりをしていて、「ハァ~」と相変わらず大きなため息をついたあと少し黙った。
パーティーを彩る貴族たちの話声と美しいワルツの音色だけが二人の間に流れていた。
「……あの女……アンネリースとは別れたんだ」
ぽつりと紡がれた言葉に、たしかノルベルトとの間に子供もいる若い女性だったはずだと以前、パーティーであった時のことを思い出した。
「たった一回のことで、できただなんていうからおかしいとは思ってたんだ。でも言い逃れはできないし、二人の子供ならって言ったのに……」
「なにがあったんですか」
「元からいる本命の男との子供だった」
「……」
驚きの事態に、ローザリンデはなにを言ったらいいのかわからなかった。
「あの時、やめとけばよかった本当に後悔してる。結婚さえしてなければ、養育費なんて……クソ……ああクソ」
「つまり、婚姻して生まれてしまった以上、認知するしかなく、離婚する際に養育費などの支払いを求められて……ということですか?」
「ああ! でも明らかに俺の子供じゃなかった、だから俺はこんなはずじゃなかったって、伝えたんだ。俺の人生滅茶苦茶にしやがってって、元の人生を取り戻そうとして、訴えただけだったんだ!」
「……」
「でも、父も母も俺の責任だって言いやがって、そのうえ体裁を考えて借金をしてでも払えと言いやがった」
ノルベルトは項垂れながら事情を話した。
彼は災難だったと思うが、もとより、ノルベルトから手を出したという話も聞いているし、彼の父と母の言葉も一理ある。
元はノルベルトがその時の楽しさに負けたという原因がある。
さらにいえば、それでも子供を受け入れるという選択肢もあったのではないかと思う。
つらい道にはなるだろうが、それでも向き合う道はあったと思う。
なんにせよいまだにノルベルトは、目の前の楽しいことだけにとらわれて、向き合う努力をすることなく逃げ続けているというのが事実だろう。
どんなにやつれたとしても、離婚したときと中身は変わっていないままだ。
「……俺はもうどうしたらいいのか、わからない。……ただ、思い至ったんだ、本当に後悔するべきことを……」
「……本当に後悔するべきこと?」
「お前との離婚だ」
「……」
「お前と離婚した時から何もかも狂いだしたような気がする。考えてみれば結婚していた時の方が楽だった」
「……」
「あんなに喧嘩したけど俺たちそれでも寄り添ってやってきていたよな。相性も良かったし、なぁ、ローザリンデ」
ノルベルトは、一番最初に立ち返り、自分のしたことをまた後悔している。
楽な方へ、楽な方へと進んでいる。
「俺たち、やり直さないか?」
問いかけられて、不可能だと答えようとした。
それは当たり前の返答だった。
どれほど今の二人が釣り合っていないか、ローザリンデの仕事、両親や社会からの目、そういうことを鑑みて、ローザリンデは判断を下そうとした。
いつも通り、多くのことを考えて。
しかし、思った。
きっとそれだけでは人と深くきちんと向き合った事にはならないような気がする。
それはユリウスという距離を近づけたい相手がいるからゆえのことだ。
今まではそれでも、人の人格に立ち入るようなことは言わなかった。
だってそれは、ローザリンデの仕事ではない。
クラウディアにも言わないし、そこまで立ち入らない。
そしてノルベルトにもそうだった。彼と別れる時も、ローザリンデは彼の人格に立ち入ったことを言わなかった。
思えば仕事のように考えていた部分もあった。
けれどもそれだけでは、人の本当のところというのはわからない。結婚前にノルベルトのことを正しく理解できていなかったのはそういう部分があったからではないのだろうか。
これは役目、ではなくローザリンデの人生だ。
自分の人生に関わる人にぐらい、深く、自分らしく、芯を持って接したい。
そうすることが第一歩になるのではないか。
くっと顔をあげてローザリンデは腿の上に置いている手をぎゅっと握って口を開いた。
「ありえません。それに、あなたのその後悔は、ただ嫌な現状から逃げ出したいというためのただの口実ではありませんか、ノルベルト」
ノルベルトは、くっと眉間にしわを寄せた。
「あなたは、自分で行動を起こしているのにいつも打たれ弱い。プライドが高くて、人を馬鹿にしていて、自分が苦労することを極端に嫌っている」
「……」
「こんなはずじゃなかったと言って、それをサポートした人も、その結果ある関係も簡単に否定する。そうして後悔を言い訳に逃げ出す」
彼の眉間の皺はどんどんと濃くなっていく。
「こんなはずじゃなかったなんて言って、あたかも自分にはもっと良い可能性があったかのように口にして、現実は今しかないというのに、向き合う努力をしないで逃げ出す」
「そんなふうに、思ってたのかよ」
「はい。それにあなたがこうして私から説教くさいことを言われて今度は『お前なんかに話をするんじゃなかった』と幻滅したみたいにいうこともわかっています」
「っ」
ノルベルトは図星だった様子で、言葉に詰まって責めるようにローザリンデを見た。
「あなたは、いつも自分が嫌な目に遭った時、人のせいにして自分勝手に振る舞います。それがすべての元凶なのではないですか。結局、後悔して離婚したのに、離婚したことを後悔しているんですから!」
「……わ、わかったようなことを言いやがってっ!」
「威嚇して、それらしい言葉を言えば誰もが、自分の思い通りになるわけなどないんです。そちらこそ子供っぽいことしないでください」
「はっ、はあ?」
「後悔して戻ったって、その先うまくいっているとは限りません。自分が選ばなかった道は、楽な道に見えるし正解だったのかもと思うかもしれません」
「……」
「それでも、決めたからにはと向き合って、努力をして得た結果こそ価値のあるものではないんですか。そうして人は成長していくんじゃないんですか?」
彼はいよいよ黙り込んで、ぐっと拳を白くなるまで握っていた。
「今のままのあなたでは、何を後悔してどうやり直したって、待っているのは破滅だけです」
「……っ、お前に、なにがっ」
「わかりません。あなたは自分が嫌なことを伝えるでもなく、こんなはずじゃなかったというだけで察してほしがって逃げるばかりで、あなたのことなど私にはわかりません」
「っ~」
「でも、言わなければ踏み込まなければ、振り回されるだけなのでいうことにしました。私はあなたに捨てられただけの、後悔すれば戻れるような都合のいい女ではありません」
「っああ、そうかよ!」
「ええ、なので離婚を後悔しているからなんていう不躾な復縁のお誘いなど丁重にお断りさせていただきます」
それだけ言って、ローザリンデは立ち上がった。ノルベルトは頭を抱えて髪をかきむしりもう何も言い返しては来ないのだった。
ローザリンデは次にユリウスに会った時、ノルベルトとのことを話した。
彼が二人が夫婦としてやっていくうえで大切な仕事を放棄していたこと。それを不安定に思っていたこと。そしてそれを伝えると後悔を理由に別れを切り出されたこと。それが一番、虚しく悲しいことであったこと。
話している間も不安で、これを話してユリウスがどう判断するかわからないし、自分でもユリウスになにを言わせたいのかよくわからなかった。
それでも出来事に対する気持ちと、夫婦感について話し合ったり気持ちを伝えることは、自分の人生においてとても大切なことだと思った。
ユリウスはしばらく黙って考えた。
返答に困っているものだと思われる。
(当たり前ですよね。自分は後悔しないなんて未来のことを決めつけることはできませんし、するかもしれないとも言えないのですから)
ローザリンデは少しユリウスがかわいそうになったし、さらにいうとそんなどうしようもないことを相談してくる面倒くさい女性だと思われて結婚を断られても仕方がないと思った。
それほど長い時間ユリウスは黙っていたわけではなかったが、その時間はやけに長く感じられて、心臓が変なふうに高鳴っていた。
「……」
「……」
「……大切な話だから言うけれど、ローザリンデさん」
感情の読めない声で言われて、「はい」と心細い返事をする。
「後悔しないとは言い切れない。なにがあるかわからないのにそんな無責任なことは言えない」
「そう、ですね」
ユリウスの言葉に、断られると思って、悲しげな笑みを浮かべて、仕方ないと思った。
「でも、後悔する前に、あなたに言います。どんなことが自分にとって、以前より悪くなったと思ってしまったのか、原因は何なのか、改善できないことなのか」
ユリウスはローザリンデの目を見てまっすぐと言う。
「二人で考えてもどうしようもないと思った時、誰に頼ってもどうしようもないと思った時、後戻りの方法を模索しましょう」
「……方法、ですか」
「はい。どうしようもない時は、別居なり……離婚でも、もしくは新しい場所に移動してみるなり、選択肢は単に別れる以外もあるはず」
「……」
「私はそれを探すことを約束できますし、勝手に一人で突き放したりしないことも約束できます」
それは、ローザリンデの中には無かった答えだけれど、ありえて良いはずの選択肢だった。
「……どう、かな」
心配そうに問いかけられて、ローザリンデは思わず無言で深く頷いた。
ダメなわけなどない、ローザリンデは元から、そうやって一人だけでは至らない選択肢を知って、考えて、やっていきたかったのだから。
「ありがとう、ございます。よろしくお願いします。ユリウス様」
「いいえ、こちらこそ。大切な話をしてくれてありがとう。あなたとはとてもいい関係を築けそうです」
そうして二人はまずは手を取り合って握手をした。
ローザリンデはちゃんと向き合ってよかったと、とても満たされた気持ちなのだった。
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