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婚約破棄された僕が何もしなくても、僕を愛する最強の家族が元婚約者と間男を完全復讐してくれました  作者: ledled


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隣の芝生は青かった ―ある母親の後悔―

隣の天野さん一家は、私たち月島家にとって、自慢であり、憧れであり、そして少しだけ嫉妬の対象でもあった。

ご主人の誠司さんは、若くして自分の法律事務所を構える敏腕弁護士。奥様の美咲さんは、いつも笑顔を絶やさない、絵に描いたような理想の奥様。そして、息子さんたちと娘さんも、揃いも揃って出来が良かった。特に、うちの娘、咲良さくらと同い年の陽向ひなたくんは、本当に特別な子だった。


幼い頃から、陽向くんはまるで天使のようだった。誰にでも優しく、穏やかで、公園で誰かが転べば真っ先に駆け寄り、自分の持っている絆創膏を差し出すような子。うちの少し我が儘な咲良がどんな無理を言っても、陽向くんは嫌な顔一つせず、にこにこと笑って付き合ってくれた。


「陽向くんみたいな子と結婚できたら、咲良は幸せになれるわね」


夫とそんな冗談を言い合ったのは、いつの頃だったか。その冗談が現実味を帯び、高校生になった二人が正式に婚約した時、私たちは天にも昇る気持ちだった。あの素晴らしい天野家と、親戚になれる。何より、娘の将来は安泰だ。陽向くんなら、きっと咲良を一生大切にしてくれる。私たちは、その幸せな未来を疑うことすらなかった。


咲良は、陽向くんの絶対的な優しさに守られて、すくすくと、そして少しばかり世間知らずに育った。欲しいものは何でも手に入り、思い通りにならないことはほとんどない。それが当たり前になっていたのだろう。隣の芝生は青い、というけれど、うちの娘は、自分たちが立っている場所こそが、どこよりも青く輝く極上の芝生であることに、気づいていなかった。


娘の様子がおかしくなったのは、高校三年生になってからだった。受験勉強を理由に、陽向くんと会うのを避けるようになった。スマホを片時も離さず、誰かとこそこそと連絡を取り合っている。その目は、以前よりもきらきらと輝いているように見えたが、それは受験勉強に打ち込む者の輝きとは、どこか違う種類のものだった。


「咲良、最近少し浮かれているんじゃないか? 陽向くんと、ちゃんとうまくやっているのか」


夫が心配して声をかけても、咲良は「大丈夫だって! 受験でストレス溜まってるだけ!」と、どこか苛立ったように返すだけだった。母親の勘、というものだろうか。私は、言いようのない不安を覚えていた。しかし、娘の将来を信じたいという気持ちが、その不安に蓋をしてしまった。まさか、うちの娘が、あの陽向くんを裏切るようなことをするはずがない、と。


運命の日。それは、咲良の十八歳の誕生日だった。

「友達がお祝いしてくれるから」と言って出かけた娘は、夜遅くに上機嫌で帰ってきた。そして、その翌日から、私たちの日常は静かに崩壊を始めたのだ。


最初に異変を感じたのは、近所での私たちの評判だった。今までこやかに挨拶を交わしていた人たちが、どこかよそよそしい。すれ違いざまに、ひそひそと何かを噂されているような気がする。


そして、決定的な一撃は、一通の封筒によってもたらされた。

差出人は、『天野法律事務所』。

夫と二人、震える手で封を開けると、そこには、私たちの目を疑うような言葉が、冷たい明朝体の文字で並んでいた。


『貴殿の長女、月島咲良様による、婚約者・天野陽向に対する不貞行為』

『悪質な裏切り行為による、婚約の破棄』

『天野陽向が受けた精神的苦痛に対する、慰謝料請求』


頭が、真っ白になった。不貞行為? 咲良が? あの陽向くんを裏切って?

慰謝料請求の書類には、ご丁寧に、咲良の不貞の証拠として、娘が見知らぬ男と親密にしている写真まで添付されていた。その写真が撮られた日付は、咲良の誕生日。あの日、娘は友達とではなく、この男と会っていたのだ。


「馬鹿な…! なんて馬鹿なことを…!」


夫はわなわなと震え、その場に崩れ落ちそうになった。私は、言葉も出なかった。ただ、目の前の現実が信じられなかった。

私たちが築き上げてきた、ささやかな幸せとプライド。隣の天野家との良好な関係。そのすべてが、娘のたった一度の過ち(その時はまだ、そうとしか思えなかった)によって、ガラガラと音を立てて崩れていく。


その夜、帰宅した咲良を、私たちは問い詰めた。

最初は「何のこと?」としらを切っていた娘も、証拠の写真を突きつけられると、顔を青ざめさせ、ついに全てを白状した。大学の先輩と、関係を持ったのだと。


「陽向は優しすぎるだけで、つまらなかったの!」


娘が放ったその言葉に、私は全身の血が逆流するような怒りを覚えた。

つまらない? あの陽向くんが? お前がどれだけ彼の優しさに甘え、守られてきたと思っているんだ。その恩を仇で返すとは、このことか。

夫は激高し、今にも娘に手を上げんばかりだった。私は泣きながらそれを止めた。しかし、私たちの怒りは、もはや娘には届いていなかった。彼女は、学校で孤立し、推薦を取り消されたことへのパニックで、自分の犯した罪の重さを正しく理解できていなかったのだ。


「陽向くんに会って謝りなさい!」


夫がそう叫んだ時、私は絶望的な気持ちで首を横に振った。

無理だ。もう、無理に決まっている。あの温厚な誠司さんが、弁護士として、法律事務所の名前で、こんな冷徹な書類を送ってくる。それは、もはや話し合いの余地などないという、最終通告に他ならない。あの優しい美咲さんでさえ、きっと今は鬼のような形相をしているに違いない。


それから数日後、咲良が雨の中を飛び出し、陽向くんのアパートへ向かった。私たちは、止めることすらしなかった。いや、できなかった。もしかしたら、という万に一つの奇跡を、心のどこかで願っていたのかもしれない。

しかし、ずぶ濡れになって帰ってきた娘の、魂が抜けたような虚ろな表情を見て、すべてを悟った。美咲さんが出てきて、冷たく追い返されたのだと、娘はぽつりぽつりと語った。


「当然だ…」


夫は、それだけを呟いて自室に閉じこもってしまった。

慰謝料の額は、私たちのような平凡なサラリーマン家庭にとっては、あまりにも大きいものだった。しかし、私たちは異議を唱えることなどできなかった。これは、娘が犯した罪の代償であり、私たちが監督不行き届きであった罰なのだ。家の貯金を切り崩し、親戚に頭を下げて金を借り、私たちは何とかその金を工面した。


娘は、結局大学には行けなかった。家にも居場所をなくし、今はどこかのアパートで一人、アルバイトをしながら慰謝料の一部を返済する生活を送っている。時折、生活費が足りないと言って連絡が来るが、夫は決して電話に出ようとはしない。私は、誰にも知られないように、こっそりと自分のへそくりから僅かな金を振り込んでやるのが精一杯だった。


先日、スーパーからの帰り道、久しぶりに美咲さんの姿を見かけた。陽向くんと二人、楽しそうに談笑しながら歩いていた。その穏やかで幸せそうな光景は、まるで別世界の出来事のようだった。

美咲さんと、目が合った。私は、咄嗟に身を隠そうとしたが、間に合わなかった。

しかし、美咲さんは私を咎めるでもなく、無視するでもなく、ただ、ほんの少しだけ、悲しそうに微笑んで、静かに頭を下げた。

その会釈に込められた意味を、私は痛いほど理解した。それは、許しではない。憐れみでもない。「あなたも、辛かったでしょうね」という、同じ母親としての、静かな共感。そして、二度と交わることのない隣人への、最後の別れの挨拶だった。


私は、その場に立ち尽くし、涙が溢れるのを止めることができなかった。

私たちは、すぐ隣にあった、最高の幸せを手放してしまったのだ。娘自身の愚かな手で。そして、それを止められなかった、私たち親の愚かさによって。


隣の芝生は、確かに青かった。けれど、私たちもまた、天野家という太陽の光を浴びて、青々と輝く芝生の上に立っていたのだ。そのことに気づけなかった娘と、気づかせてやれなかった私たちの罪は、あまりにも重い。

この後悔を、私たちは一生、抱えて生きていくのだろう。かつての隣人たちの、幸せそうな笑顔を遠くから眺めながら。

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