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婚約破棄された僕が何もしなくても、僕を愛する最強の家族が元婚約者と間男を完全復讐してくれました  作者: ledled


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第二話 復讐の狼煙~静かに、そして確実に~

月島咲良は、満たされた溜息と共に目を覚ました。隣にはまだ、昨夜の熱を帯びた西園寺蓮の寝顔がある。陽向の質素なアパートのベッドとは違う、高級ホテルのキングサイズのベッド。シーツの滑らかな肌触りも、部屋に漂う高価なルームフレグランスの香りも、何もかもが咲良の心を高揚させた。


「……陽向とは、全然違う」


ぽつりと呟いた言葉は、誰に聞かせるでもない本心だった。

優しくて、穏やかで、いつも自分のことを一番に考えてくれる陽向。それは分かっている。でも、物足りなかった。彼の優しさは、まるで白湯のようだった。体に良いことは分かっているけれど、何の味もしない。何の刺激もない。そのぬるま湯に浸かっている自分が、時々ひどく退屈な人間に思えて仕方がなかった。

それに比べて蓮は、まるで刺激的なカクテルだ。口当たりは甘いが、喉を焼くようなアルコールの強さがある。危険な香りと、欲しいものを何でも与えてくれる経済力。陽向にはないものを、彼はすべて持っていた。


陽向からの連絡が、あの日から途絶えていることには気づいていた。誕生日おめでとうの一言すらない。けれど、咲良はそれを都合よく解釈していた。

(きっと、受験勉強で忙しい私を気遣ってくれてるんだ。陽向はそういう人だもん。私が合格したら、思いっきりお祝いしてくれるはず)

彼の絶対的な優しさの上にあぐらをかき、それが永遠に続くものだと信じて疑っていなかった。自分の行動が、そのぬるま湯の温度を根底から覆すほどの裏切りであるという自覚は、まだ彼女の中にはなかった。


「ん…咲良、起きてたのか」

「あ、蓮さん、おはようございます」

「昨日は最高の誕生日だったろ?」


蓮に引き寄せられ、咲良は甘えて彼の胸に顔をうずめた。このスリルと背徳感が、自分を特別な存在にしてくれるような気がした。彼女はまだ知らない。その特別な高揚感が、破滅への序曲に過ぎないことを。穏やかだったはずの日常が、足元から静かに、そして確実に崩れ始めていることに、まだ気づいていなかった。



その頃、天野家の自室で、兄の慧は静かにノートパソコンのキーを叩いていた。画面には、西園寺蓮という男に関するあらゆる情報が、整然とリストアップされていく。彼のSNSアカウント、交友関係、所属サークル、そして実家である『西園寺建設』の企業情報。


「…なるほどな。典型的な三代目の馬鹿息子か」


慧は冷ややかに呟くと、数人の部下に短く指示を飛ばした。エリート商社マンである彼の持つ情報網と人脈は、常人の想像を遥かに超える。わずか半日で、彼は蓮の父親が経営する会社が、長年にわたり脱税と裏金作りに手を染めているという確たる証拠を掴んでいた。さらには、蓮自身が複数の女子学生と金銭トラブルを起こし、中には示談で処理されたものもあることまで突き止めていた。


「陽向を傷つけたこと、骨の髄まで後悔させてやる」


慧の瞳には、弟に向けられる慈愛とは真逆の、底なしの冷酷さが宿っていた。彼は集めた証拠を細心の注意を払って整理し、それぞれ別の匿名ファイルにまとめる。一つは国税庁の内部告発窓口へ。一つは付き合いのある大手週刊誌のリーク窓口へ。そして最後の一つは、西園寺建設の最大のライバル企業である大手ゼネコンの知人へ。すべてを、絶妙なタイミングで同時に送付する。


慧は送信ボタンをクリックすると、ふっと息を吐いて椅子に深くもたれかかった。

「さて、まずは小手調べだ。経済的に追い詰められれば、あの女もすぐに捨てられるだろう。だが、それだけじゃ足りない。陽向が流した涙の分、いや、それ以上の絶望を味わわせてやらなければな」

彼の復讐は、常に静かで、論理的で、そして一切の情け容赦がない。


同じ頃、高校では妹の莉子が動いていた。

昼休み、莉子はクラスメイトで写真部の友人を呼び出し、スマホの画面を見せた。


「ねえ、お願いがあるんだけど。この人たち、うちの学校の近くのカフェによくいるらしいんだ。それで、すっごく仲良さそうな写真を『偶然』撮ってきてくれないかな? できれば、今日中に」

「え、莉子の頼みならもちろんいいけど…この女の人、月島先輩じゃない? 隣の男は誰?」

「私の大好きなお兄ちゃんを裏切った、最低な二人」


莉子がそう言ってにっこり笑うと、友人はゴクリと喉を鳴らした。普段は天真爛漫な「お兄ちゃん子」である莉子が見せた、氷のような表情に気圧されたのだ。


友人が期待以上の働きをしてくれたのは、その日の放課後のことだった。カフェのテラス席で、蓮が咲良の髪に触れ、咲良がうっとりと目を閉じている、まさに恋人同士にしか見えない写真。莉子はその写真を受け取ると、すぐさま次の段階へと移った。


彼女が事前に探し出していた、咲良のSNSの裏アカウント。そこには、友人限定で公開された愚痴が並んでいた。


『彼氏(陽向)マジつまんない。優しすぎるのも考えものだよね』

『早く卒業したいなー。大人の恋愛って感じ?笑』


莉子はそれらの投稿をすべてスクリーンショットに収めると、先ほどの写真と並べて一枚の画像に加工した。そして、学校の生徒たちが利用する非公式の巨大掲示板に、匿名でスレッドを立てた。


タイトル:【悲報】3年・月島咲良、聖人君子の婚約者を裏切り先輩と浮気か【証拠画像あり】


『長年付き合ってる幼馴染の婚約者がいるって有名な月島先輩だけど、これってどういうこと? 婚約者さん、天使みたいに優しいって評判なのに可哀想すぎ…』


投稿は、まるで乾いた草原に投げ込まれた火種のように、一瞬で燃え広がった。グループLINE、インスタのストーリー。あらゆるSNSを通じて情報は拡散され、咲良を知るほぼすべての生徒の目に触れることになった。

昨日まで、彼女は学校の人気者だった。しかし、一夜にしてその立場は覆る。「婚約者を裏切った尻軽女」。冷たい視線と、悪意に満ちたひそひそ話の的になるまで、もはや時間はかからなかった。



大学の講義を休み、陽向は自室のベッドの上で膝を抱えていた。カーテンを閉め切った薄暗い部屋で、ただただ時間が過ぎるのを待つだけの日々。食欲もなく、眠りも浅い。あの日の光景が、瞼を閉じればフラッシュバックする。

咲良への怒りよりも、悲しみと、自分の無力感が胸を締め付けた。何がいけなかったのだろう。僕の何が、彼女をそんな行動に走らせてしまったのだろう。そんな考えばかりが頭を巡る。


コンコン、と控えめなノックの音に続き、親友の湊が合鍵で入ってきた。


「陽向、生きてるか? 母さんが作った差し入れ、持ってきたぞ」


ビニール袋をガサガサさせながら部屋に入ってきた湊は、憔悴しきった陽向の姿を見て、眉をひそめた。


「…お前、ちゃんと食ってるのかよ。顔色、最悪だぞ」

「湊…。来てくれたんだね」

「当たり前だろ。講義にも来ねえし、心配するに決まってる。…事情は、お前の兄さんから聞いた」


湊の声のトーンが、一段低くなる。その瞳には、親友を傷つけられたことへの純粋な怒りが燃えていた。


「あのクソ女…! お前がどれだけあいつのこと大事にしてたか知ってて、よくそんなことができるな! 相手の男もだ! 許せねぇ…!」

「…やめてくれ、湊。もう、そっとしておいてほしいんだ」

「馬鹿野郎! そっとしておいて、お前がこんなボロボロになってるだけじゃねえか!」


湊はやり場のない怒りを拳に込め、壁を殴りつけたい衝動を必死にこらえた。陽向は、か細い声でぽつりと呟く。


「家族が…兄さんたちが、何かするかもしれないんだ。それが、怖い」

「はっ、当たり前だろ! 俺だってお前の家族だったら同じことするね! いや、する! 陽向のためなら、俺は何でもするぜ」


湊はそう断言すると、陽向の隣にどかりと腰を下ろした。


「いいか、陽向。お前は何もしなくていい。ただ、今はゆっくり休め。後のことは、お前を大好きな俺たちに任せとけ。…あのクズ男、二度と大学でデカい顔できないようにしてやるよ」


湊はスマホを取り出すと、すぐさま大学の友人やサークルの後輩たちに次々と連絡を取り始めた。


「なあ、西園寺蓮って先輩いるだろ? あいつ、いろんな女から金借りて返してないらしいぜ」

「サークルの新入生に手出して揉めてるってマジ?」


それらは根も葉もない噂ではない。湊が少し調べただけで、蓮の素行の悪さは面白いように出てきた。真実を少しだけ脚色し、面白おかしく広める。人の口に戸は立てられない。悪評は善行の何倍ものスピードで伝播していく。

蓮の周りから、少しずつ、しかし確実に人が離れていくための包囲網が、着実に築かれ始めていた。


その頃、学校で自分の立場が急激に悪化していることに、咲良はようやく気づき始めていた。すれ違う後輩たちの冷ややかな視線。昨日まで一緒に笑いあっていた友人たちの、よそよそしい態度。自分の周りだけ、空気が違う。

スマホを開くと、グループLINEから自分が外されていることに気づいた。そして、恐る恐る開いた学校の掲示板で、自分の名前が晒し上げられているのを発見し、全身の血の気が引いた。


(なんで…? どうしてこんな写真が…裏垢まで…)


パニックに陥った咲良の頭に浮かんだのは、たった一人の人物だった。いつも自分を許し、受け入れてくれる優しい婚約者。

何が起きているのか分からない。怖い。助けてほしい。その一心で、彼女は陽向の番号に電話をかけた。こんなことになっても、陽向ならきっと話を聞いてくれるはずだ。


数回のコールの後、電話は繋がった。しかし、聞こえてきたのは、咲良が求めていた優しい声ではなかった。


「…もしもし」


氷のように冷たく、感情の乗らない男の声。陽向の兄、慧だった。


「あ…け、慧さん…? あの、陽向は…」

「何の用だ?」


慧は咲良の言葉を遮り、温度のない声で問いかける。その声に含まれた拒絶と軽蔑に、咲良は息を呑んだ。


「陽向は今、お前のような不誠実で浅はかな女と話す気分じゃない。今後一切、陽向にも、我々天野家の人間にも関わるな。分かったか」

「ま、待って…! 話を聞いて…!」

「聞くべき話など、何もない。二度とかけてくるな」


ブツリ、と一方的に通話は切られた。ツー、ツー、という無機質な音が、咲良の耳に突き刺さる。

スマホを握りしめたまま、彼女はその場に立ち尽くした。背筋を、今まで感じたことのない種類の、冷たい汗が流れていく。

何かがおかしい。これはただの痴話喧嘩じゃない。もっと大きくて、恐ろしい何かが動き始めている。

その得体のしれない恐怖の正体に、咲良はまだ気づけずにいた。

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