第40話 日常に溶ける余韻
ヴァルディアルから帰ってきた翌朝。
窓の外に広がる見慣れた景色。
「(昨日までの大冒険がまるで夢だったみたい……)」
胸に残る温かい余韻とほんの少しの寂しさ。
――隣の部屋にコルヴァンがいた朝。
――船で揺られながら同じ景色を見た朝。
今は再びお隣さんに戻っただけなのに小さな距離がいつもより遠く感じられた。
気持ちを切り替えてパン作りに取り掛かる。
キッチンで小麦の匂いや生地をこねる感触、石窯から香ってくる香ばしい匂いがミレナをいつもの日常へと戻していった。
コルヴァンが来て一緒に朝食をとる。
「疲れてないか?」
「ぜんぜんです。 パンを作ってると美味しそうに食べる町の人たちや子供たちの顔が浮かんできて。 はやく届けたいです」
「そうか」コルヴァンは柔和に微笑んだ。 けれどその視線にはほんのわずかに名残惜しさの色が浮かんでいた。
朝食が終わり二人で片付けをして町へ行くことにした。
ミレナはコルヴァンの横を歩きながら「(そういえば、コルヴァンさんと出会ったのちょうど今頃だったかな)」と思い出す。
澄んだ朝の風に、焼き立てのパンの香りが混じって頬をなでた。
「いい香りだ」
「ですね」呟くコルヴァンに微笑むミレナ。
コルヴァンが隣にいる――それだけで落ち着いた。
彼からもらったネックレスは今日も温かい。
パン屋に到着すると子供たちが寄ってきた。
「ミレナお姉ちゃん!」
「お待たせしちゃったね」
「魔法使いの国に行ってきたんでしょ? どんなところだった?」
目をキラキラ輝かせる子供たちを前に、ミレナとコルヴァンは顔を見合わせて答える。
「素敵なところだったわ。 ルミアベリーっていってね、魔法使いの国限定の果実があるの」
それから魔法栗を食べたことや湖が透明できれいだったこと、小さな魔法使いハルのことも話した。
「ねぇ、そのお話、絵本にしてほしいな」
子供のその言葉にお? となる二人。
するとコルヴァンが子供の頭に優しく手を置き「いいアイディアだな。 考えておこう」と言うと子供は照れ笑いした。
その様子を見ていた町の人やおじさん、おばさんは自然と笑みがこぼれて和やかな空気が広がった。
ミレナがデニッシュを並べているとおじさんが声をかけてきた。
「コルヴァンさん、なんか雰囲気変わったか? なんとなく柔らかくなったような」
「変わったんじゃないわ。 これが本来のコルヴァンさんなのよ」ミレナは自信を持って言った。
ミレナの胸にはヴァルディアルでの日々の温もりがよみがえっていた。
家に帰り二人は絵本作りに取り掛かる。
コルヴァンの隣で心穏やかにインクを調合しながら、ミレナはあの湖畔の朝と小さな魔法の光景を思い出した。
今日も二人の間には自然で柔らかな時間が静かに流れていく。
◇コルヴァンside◇
朝、窓からミレナの家を見る。
「遠いな……」
近いけど遠いと感じるのはコルヴァンも同じだった。
パンを届けにミレナに付き添う道すがら、焼き立ての香りに微笑みながらも隣を歩く距離に言いようのない愛おしさを覚えていた。
パン屋に到着して子供たちと話す。
デニッシュを並べているミレナを見ながら心の中でそっと呟く。
「(……いつからだろう。 こんなに彼女のそばにいるだけで落ち着くようになったのは」
家に帰り一緒に絵本を作っているときも穏やかな幸福に満ちていた。
昼も夜も一緒に食事をして絵本を作る。
けれど別れ際、ミレナが「また明日」と笑って自分の家へ戻る瞬間、胸の奥がほんの少しざわつく。
夜の窓辺に座り、ぼーっとする。
ミレナが笑顔で去った後の静けさの中で胸にぽっかりと空いた何かに気づいた。
――この感覚は以前にはなかったものだ。
心の奥である想いが静かに芽生える。
やはり、彼女の近くにもっといたい。
言葉にすれば恥ずかしく声には出せない想い。
だが確かに胸の奥で温かく膨らんでいた。
コルヴァンは小さく息を吐き、机に置かれた絵本のページに視線をやる。
ミレナと描いた小さな魔法の世界――二人だけの物語が今後の自分の毎日を形作るように感じられた。
いつか伝えられたら……。
その時のためにもっと彼女と共に歩む日々を大切にしよう。
この気持ちを胸に、明日もまた彼女と歩む日々を楽しみにするのだった。




