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【完結】魔法使いと隣のパン屋さん  作者: 禾乃衣


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第37話 小さな魔法使い

 アルディスに案内され屋敷の奥へ進むと広いリビングに通された。

 大きな窓からは湖畔の光が差し込み白いカーテンが風に揺れている。

「ここで少し休むといい」

 アルディスが席をすすめた時だった。


 部屋の隅の本棚の影から小さな気配がする。

 ミレナが視線を向けるとそこに小柄な少年が立っていた。

 年は十歳くらいだろうか。 淡い栗色の髪に深緑の瞳。

 ミレナと目が合うと慌てて視線を落とした。


「ハル、怖がらなくてもいいよ。 こっちへおいで」

 ハルは穏やかに言うアルディスの元へとことこ歩き彼の袖をぎゅっとつかみくっつく。

「この子はハル・オルディン。 私の弟子だよ」

「弟子をとったのか」とコルヴァン。

「ああ、お前の弟弟子になるね」

「オルディン家といえば代々古代魔術を守る家系……」

「そうだね。 このハルはオルディン家の末息子でね、兄弟たちの跡継ぎ争いで才能を潰されたくないというお母上からの頼みで預かることになったんだ」

「……そうか」


 目を合わせるがなにも話さないコルヴァンとハル。

「挨拶したらどうだい?」と苦笑いするアルディス。

「俺はコルヴァン」

「コルヴァン……ノヴァ?」

 ハルの小さな声に片眉をぴくつかせるコルヴァン。

 そんなコルヴァンの微妙な雰囲気を悟ったのか、ハルは怯えてアルディスの陰に隠れた。


「ハル、怖くないよ。 お前の兄弟子にあたる。 いろいろ教えてもらいなさい」

「俺が教えるのか?」

「ここにいる間だけでも。 ね?」

 アルディスの言葉にふぅっと息を吐くコルヴァン。


 ミレナは、アルディスの陰からこちらを見ているハルと目が合った。

「は、初めまして」そっと笑みを浮かべ挨拶するとハルがミレナの方へとことこ寄ってきた。

 ミレナがハルの前でしゃがみ込むと「……人間?」とハルが小さく呟く。

「そ、そう。 私人間なの……怖いかな」

 ミレナの問いかけに首を振るハル。

 その仕草が可愛らしくて自然と笑みがこぼれて「よろしくね」と言うとハルはこくりと頷いた。


「温かいお茶を淹れよう」

 アルディスが言い皆椅子に座る。

 ほのかな優しい香りがするお茶を一口飲むと温かさがじんわり体に染み込み長旅の疲れも取れていくようだった。

 朝食にアルディスが作ってくれたスコーンをいただく。

「あ、アルディスさん」ミレナはスコーンを見て思い出し、バッグの中から瓶を出した。

「これ、ルミアベリーで作ったジャムなんですけど、よかったら」

「おお! ミレナちゃんの手作り! ありがとう。 いただくよ」

 アルディスがスコーンにジャムをのせてハルに差し出すとぱくっと一口かじった。

「……あまい」

 ぽつりとこぼしたその言葉に場がふっと和んだ。

「よかった。甘いの、好き?」

「……うん」

 ミレナが聞くと小さなな声で返事をしたハルは、ジャムの瓶を見てから「これ……また食べてもいい?」と上目づかいで尋ねてきた。

「もちろん。 いっぱいあるから」

 ミレナの笑顔の答えにハルの瞳が少しだけ明るさを帯びた。


 そのやりとりを見ていたコルヴァンはわずかに眉を寄せたまま黙ってお茶を口にしていた。

「どうした、コルヴァン?」アルディスが声をかける。

「……いや。 俺に弟弟子ができるとは思わなかっただけだ」

 吐き出すように言ったその声音に、ハルが不安そうに身じろぐ。

 アルディスはそれを察し、苦笑しながら肩をすくめた。

「そう言うけどね、弟子というのは面倒を見てこそ成長するものだよ」

「俺は教師じゃない」

「教師じゃなくてもいい。 ただ兄として」

 その言葉にコルヴァンは小さく目を伏せた。 すぐには返事をしないが、ハルをちらりと見てほんのわずかに唇の端を動かした。


 やがて話題はハルの日常へと移った。

 ゴホンと咳払いをしてコルヴァンが聞く。

「ハル、魔術の勉強は好きか?」

「……本を読むのが好き。 呪文の古い言葉……難しいけど、読めると嬉しい」

 小声ながらもはっきりとした答えに、コルヴァンは目を細めて柔和な顔で「そうか」と言う。

「ハルはまだ十歳だが古代語の素養は相当なものだ。 兄たちに知られればきっと引きずり回される。 だからここにかくまったんだよ」

 その話を聞きながら、ミレナはハルの小さな肩を見つめた。 幼いながらも背負っているものがあるのだと感じ胸が少し痛んだ。


 ハルはそんな大人たちの視線に気づいたのか、もじもじと指をいじりながら呟いた。

「……でも、ぼく、強くなりたい」

「強く?」

「お母さまが安心できるように……それに、いつか自分で選びたいから」


 その言葉に、コルヴァンの目がわずかに動いた。 無言のままハルを見つめる兄弟子の視線は厳しくもありどこか共感の色を帯びていた。

「ハル、お前は強くなる。 守りたいものがあるということは己を鍛える理由を手に入れたということだ。 そしていつか必ずお前を導く光になる」


 ハルはじっとコルヴァンを見つめ、目に少し光を宿したまま小さく頷いた。

「……うん」と心の奥で決意を確かめるように。


 ミレナもアルディスもそんなハルを微笑ましく見守る。

 コルヴァンは、はっとして咳払いをして「胸に留めておくように」と言い、少し照れながらお茶を口にした。


 窓から差し込む光がやわらかくリビングを満たし、小さな魔法使いの決意と師弟の絆を優しく照らしていた。

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