第32話 春の朝 見守る瞳
次の日の朝。 目が覚めたミレナはふと壁を見る。
すぐ隣の部屋にはコルヴァンがいる。
分厚い壁だが、町での隣同士の家よりずっと近くてくすぐったくなるような距離だった。
着替えが終わりカーテンを開ける。
気持ちのいい朝日を浴びて大きく伸びをした。
コンコンとドアのノック音がした。
「ミレナ、起きたか?」コルヴァンだ。
「おはようございます」
「おはよう。 始めるか」
「はい」
昨日セリューネに「ルミアベリーを使ったパンをぜひ食べてみたい」と言われ、キッチンを借りて作ることになった。
コルヴァンと一緒に生地をこねているとふと視線を感じた。
キッチンの入口の隙間から淡い朝日の中で影が揺れた。
細身で凛とした佇まい。 鋭い青い瞳が二人を静かに見つめている。
ミレナは思わず手を止めコルヴァンの袖に軽く触れた。
「……誰か見てるみたいです」
コルヴァンは一瞬眉をひそめ、そして低く囁く。
「セリュスだな。 一番上の兄だ」
「え、お兄さん? 挨拶しないと」
「かまうな。 続けよう」
挨拶したかったが、コルヴァンの強い物言いになにも言えなかった。
もう一度入口の方を見るとセリュスはもういなかった。
オーブンに入れて焼き上がるのを待つ。
「こうしてるといつもの朝みたいで落ち着きますね」
「そうだな」
ミレナは先ほど覗いていたセリュスのことを聞きたかったが、なんとなくコルヴァンが触れてほしくないような気がして話してくれるまで待つことにした。
パンが焼き上がり真ん中を切ってルミアベリーで作ったジャムを挟んだ。
「わあ! 美味しそう〜。 いい匂い」
ミレナの嬉しそうな声に微笑むコルヴァン。
お皿にのせて早速食卓へ運ぶ。
廊下を歩いていると二人の人物が声をかけてきた。
「コルヴァンじゃないか。 そっちはフェルが話してた人間の女の子か?」
「昨日は食事会に参加できなくてごめんよ。 ほんとは参加したかったんだけどさ」
コルヴァンは二人と目を合わさず歩を進め、ミレナは軽く会釈してコルヴァンの後につづいた。
「参加する気なんかないくせに」
小さく呟くコルヴァンの声が聞こえた。
「コルヴァンさん、今の方達は?」
「二番目と三番目の兄のディオルグとムルヴァだ」
ミレナは小さく息を呑む。
冷静にしなければと心の中で言い聞かせるものの、背筋にピリリとした緊張が走った。
ちらっと後ろを見ると、ディオルグとムルヴァの姿が目に入る。
ディオルグは細めた目で鋭くこちらを見つめ、ムルヴァは口元に薄く笑みを浮かべているものの、その表情の奥には何か計り知れないものがあるように見えた。
食卓ではヴァルドとセリューネが待っていた。
「お待たせしてすみません」
ルミアベリーのジャムをたっぷり挟んだパンと温かいスープ、たくさんのフルーツがテーブルに並んだ。
「……美味しい……!」パンを一口食べたセリューネが感嘆の声をあげた。
「ルミアベリー、上手く使ったわね」とセリューネからお褒めの言葉をいただき「ありがとうございます」と照れながら言うミレナ。
ヴァルドは食事をしながら、コルヴァンとミレナを交互に見つめ時折穏やかな言葉をかける。
セリューネは「ミレナちゃん、パン作りは楽しいかしら?」と優しく尋ねた。
「はい、とっても……!」
ミレナの声は自然に明るくなりテーブルの空気も柔らかくなる。
食卓には家族の温かさと、コルヴァンとミレナの絆が静かに漂っていた。
パンの香りと春の光に包まれた朝。 ミレナは心の奥でこの瞬間を大切にしたいと思った。
朝食が終わり、ミレナとコルヴァンは庭を歩くことにした。
そこへディオルグとムルヴァが現れた。
「ちょっと話そうよ」とムルヴァ。
「セリュス兄様がお前のこと心配していたぞ」とディオルグ。
「そんなわけ」目を合わさないコルヴァン。
「そんなわけ、じゃないだろう」
ディオルグはコルヴァンを真っすぐ見つめる。 口調は柔らかいが言葉には重みがあった。
ミレナは少し身をすくめ、二人の間の緊張を肌で感じる。
「……別に、心配なんかされなくても」
コルヴァンはそっけなく答えたが、言葉とは裏腹に肩の力が少し緩む。
ムルヴァはその様子を見てくすりと笑った。
「まあまあ、堅すぎるぞ、コルヴァン。俺たちは敵じゃない」
その声には遊び心が混ざっている。
「……ムルヴァ兄様」
コルヴァンの口元に小さく微笑が浮かぶが目はまだ少し硬い。
ミレナはその表情を見て、二人の兄弟間の複雑な空気を理解しつつも温かいものを感じた。
「……怖がらなくていい」
ディオルグがそっとミレナに声をかける。
その声は柔らかくでも芯のある落ち着きがあった。
ミレナは小さく頷いた。
「それじゃ、庭を案内するよ」
ムルヴァが前を歩きながら言った。
ディオルグは静かに後ろからついてくる。
コルヴァンはその間、ミレナの手を軽く握り距離を保つように歩いた。
庭の花々の間を歩きながらミレナは少しずつ兄たちの様子を観察する。
ディオルグは慎重に周囲を気にしつつ、時折コルヴァンに目を向け、ムルヴァは冗談めいた言葉を投げながらもどこか鋭い観察眼を光らせていた。
ふと視線を感じて上を見ると窓から覗いているセリュスの姿があった。
青い瞳は冷たいわけではないのに、どこかこちらの心を見透かすようだった。
「(この兄弟……もしかしたら本当にコルヴァンさんのことを心配して……)」
コルヴァンの横顔を見ると複雑な表情をしていた。
「(言葉足らずなんだから……)」
言葉は少なくても兄たちがコルヴァンを案じているのが歩調の中に滲んでいるのをミレナは感じて、この不器用な兄弟たちの力になりたいと思った。




